五章 三節
「負けを認め、俺の前に跪くなら、眼鏡は返そう」
絆の声は、弾真には聞こえていなかった。
目に映る景色と、脳の奥に焼き付いた過去が、重なっていく。
身体が震える。恐怖から、目を閉じることが出来ない。せめて目の前の景色から逃れようと視線を外せば、また別の、しかし同じ意味を持つ景色が飛び込んでくる。三百六十度すべてが、弾真に対してトラウマを思い起こさせ、また新たなトラウマを植え付ける光景だった。
両目を通じて、聞こえてくる。……すべてが。すべての声たちが、見えてしまう。
――勝てるわけねえんだよ、Eランクなんかが。
――そもそもガンナーって何だよ、舐めてるだろ。
――でも流石だよな、高見絆。わかっちゃいたけど、圧勝だぜ。
――ホントホント、剣も忌術もいいセン行ってる。
――ありゃもっと強くなるぜ。
――わたし、今のうち仲良くなっておこうかな?
――尊敬するぜ、あの強さと、容赦のなさ。ははは。
――それに引き換え、何だよあの対戦相手。
――だよなあ? 傷一つつけられてねえでやんの。
――Eランクって言っても、もう少し頑張るべきじゃない? 失礼でしょ。
――サンドバックにもなってねえな、あれ。
――根性ねえな。
――弱すぎ。
――え、あいつ【負け犬】って呼ばれてんの? はは、お似合いだ。
――ははははははっ。みっともね。
――戦うだけ無駄じゃねえか。
――あいつ、何のために学園にいるんだ?
――頑張れ、頑張れ、絆くん! もうちょっとだよ!
――………………。
――もう終わりだろ? 降参しちまえばいいんだ。
――ヘタレだなあ、あいつ。
――弱いにもほどがあるでしょ。
「…………。………………え………………?」
数々の言葉の中から、弾真の目が、ひとつの沈黙を聞き取った。
そこだけが、他の場所と違う空気を纏っていた。
それは、静かな、氷のような目。そして、相反する熱を持った、雷のような目。
弾真にとっては、他のどんな目よりも、確かな輝きを持っている目だった。
(……稲穂……さん……?)
愛花だ。
数ある観客席への出入り口のひとつ、その脇で、弾真にまっすぐ両目を向けている。
その目に、侮蔑や嘲笑といったものは存在していなかった。……いや、感情らしい感情自体、浮かんでいるようには見えない。
しかし、間違いなく、弾真のことを否定していなかった。
ただ、弾真という存在を見つめ、知ろうとしている。静かに……そして、真摯に。
(来て……くれたんだ)
望みが叶ったぬくもりが、安らかに、そして温かく全身を渡っていくのを感じる。
「……はは」
弾真は、目を伏せた。
笑ってしまう。……ただ、彼女が闘技場にいなかった。それだけで、やるべきことを見失っていた。自分に出来ることがあることを、忘れていた。とんだ馬鹿だ。
でも今、彼女は自分の目が届く場所にいてくれている。
あんなに……綺麗な目で、自分を見てくれている。
(なぁ。……裏切って、いいのか? あの目を)
弾真は、そんな自分自身を試す問いかけを、自らに投げかけ始めた。
こんな自分の姿を見て、彼女はどう思うだろうか?
(どう考えたって、カッコ悪い。これ以上ないほど情けない。周りの、心無い言葉を吐きやがる奴らと同じ感想に至っても仕方ない)
それでいいのか?
(……いいわけない。今のままじゃ、稲穂さんに伝えた言葉が嘘になる。嘘つきな僕なんて、僕自身が認めたくない)
決めたのだろう? 彼女が、支えとなるものを見つける手伝いをすると。
(ああ、決めたよ。確かに決めた)
それぐらいなら、自分にも出来ると思ったのだろう?
なら、お前が与えられる、その「支え」の正体とは何だ?
言葉にしてみろ。
(彼女は、僕に勝った。だからこそだ。僕から勝ち取った勝利を、価値あるものに感じて欲しい。凄い奴に勝ったんだって、そう思って欲しい。それを自信に繋げて欲しい。誇りにして欲しい。その誇りを、支えにして欲しい……!)
思いのかけらが、確かな形となる。
(それが、強さになるから……!)
弾真は、最後の問いを、自分に叩きつける。
――今、僕は。重実弾真は、何をすればいい?
……単純なことだ。
今の自分を、過去に置き去れ。そして今すぐ、こうありたいと望む自分に追いつけ。
――彼女に、あの偽りのない目に――嘘をつかない、自分に!
「――……ぅぅぅぅぅぅぅぅうううううううううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」
弾真は、夕刻が迫る天に向かって腹の底から叫びを吐き出し、勢いそのままに立ち上がった。
思慮も、常識も、理性も、自分自身を抑えつけるものすべてを振り払う咆哮。
弾真は、牙を剥いた。愛花に誇れる自分になるために。
会場全体に、叫びが響き渡る。思い思いに勝手を口にしていた観客たちはその圧に例外なく押し黙り、その様に目を見開く。
しかし、例外もあった。
「かはは、吹っ切れたみたいだぜあいつ。でもそうこなくっちゃなぁ。おら、やったれ弾真ぁ!」
観客席の一角、志吹が口の端を持ち上げる。
「いけいけーっ、いいぞー! かっこいいぞー、弾真くーん!」
その隣で、宮子が右手を突き上げ、声を上げる。
「……言ったでしょ。目を離さないって。そう、決めたって」
静かに、誰にも聞こえない言の葉を、愛花が零す。
そのすべてを両目で受け止めて、弾真はぎんと目に力を込めた。
「弾真、お前――うっ!」
絆の言葉が、銃声と、何かが砕ける音でかき消される。
次の瞬間、絆は自身が左手に持っていた眼鏡が、片方の蔓のみを残し、粉々になって床に落ちていることに気付いた。
……そして、その射撃の正確さと素早さに気付き、絆の心がざわめき出す。
「もう、それはいらない」
銃口から煙を吐き出す《スナール》を左手にして、弾真ははっきりと心の内を言葉にした。手早く《忌弾生成》による再装填を済ませ、構えを取る。
「必要ないんだ。僕が、本当にやりたいと思うことをやるためには。……僕が、こうありたいと望む僕になるためには」
「…………。ほう、無駄に叫び声を上げる人間が、そのお前の望む姿とやらなのか? 聞くに堪えなかったぞ、負け犬の遠吠えは」
「そうだ。……僕は【負け犬】だ。それでも犬には変わりない。戦うための、牙を持ってる」
「牙、だと?」
「そう、牙だ。僕は戦うために、この牙を生まれ持ったんだ」
大きくもなければ、鋭利でもない。誰かを守れるわけでもない。
それでも弾真を戦士たらしめている牙。心臓や目、四肢、心……。弾真という人間を形作る様々なもの。誰にも必要とされずに、けれど存在し続けていたすべてが、牙なのだ。
もう、余計なことには使わない。過去という鎖や、人の目という檻に抑え続けられる自分を、もう許さない。そんな暇があったら、この牙を使って、理想とする自分になるべく足掻いた方がいい。どうせ誰も欲さない牙だ、どう使おうと、文句なんて言わせやしない。
立派なんて言葉からは、程遠い決意。その程度が限界な、ひ弱な人間。
それでも、自分は、自分のままで、生きていくしかないから。
弱い自分を信じてくれた人に捧げた決意は、意地でも通す。
弾真は、それが出来る自分になると、心に決める。
「僕はこの牙に嘘をつきたくない。誰にも必要とされない牙でも、僕にとってはかけがえのない牙だから。……誰にも僕を縛らせやしない。どんな鎖で繋がれても、どんな檻で囲われても、この牙で噛み砕いてやる。僕は……僕は、この目が開いている限り、このなまくらな牙を剥く! そしてすべてに喰らい付く!」
「……そうか。心底、残念だよ。牙を抜かれて飼われていれば幸せだというのになぁ!」
忌々しげに蔓を投げ捨て、絆が剣を縦に振るう。連なる刃が、弾真へと襲い掛かる。
弾真はそれを、わずか十センチ、横に動いただけでかわして見せた。ほぼ同時に、《スナール》を絆へと向けて撃つ。
絆の目が見開かれる。身を斜めに傾けて弾丸を避け、再び前を向いた時、そこに弾真の姿はなかった。
「な! 馬鹿な……っ」
一瞬のうちに、視界から消えた。
剣の刃を手元に手繰り寄せ、あたりに目を配る。その姿を見つけた時、弾真は残っていた三体のゴーレムの内、一体に肉薄していた。
振り下ろされた縦斬りを最低限の動きでかわし、その右腕を足場にして、ゴーレムの真上へと飛び上がる。宙で上下逆さになりつつ、弾真は左右の銃を順番に発射、頭の楔を的確に撃ち抜いた。
「舐めるな!」
そこに、絆が繰り出した二発の光弾と刃の波状攻撃が襲い掛かる。弾真は空中にいながら、《バーク》を二発、《スナール》を一発、自分へと向かってくる物体に射撃した。
鎖の刃に弾丸が着弾、絆が意図した方向とは別の方向へと折れ曲がる。刃はふらふらしながら、弾真がいる場所とは全く違う場所を通り過ぎた。
光弾も、弾丸と接した瞬間、明後日の方向へと軌道を変えた。ひとつは床に当たって爆発、もうひとつは防護壁にぶつかり、炸裂して傷を付ける。かけられた忌術によって瞬時に修復をする透明な防護壁の向こうで、観客たちが腰を浮かせかけた。
(……あれすら、見えているのか……!?)
剣も忌術も、弾真の放つ銃弾よりも強力なはず。しかしそれが弾丸によって逸らされたということは、弾真はただ銃を放ったのではなく、攻撃を逸らすのに最も適切な場所へ弾丸を送り込んだという事実を物語る。正面からなら打ち負ける弾丸でも、最低限の威力を持っている以上、着弾場所を選べば不可能ではない。
まるで身体が安定しない空中で反転しつつ、自身へ高速で迫ってくる攻撃を捉え、かつ最適な場所を見定め、正確に射撃する。銃を扱った覚えがない絆ですら、その行動が異常であることを理解していた。
着地して、すぐさま弾真は次の標的を見定めた。ゴーレムは動くことなく、ただじっと左腕の大盾を構え、胴体と頭部をその向こうに隠している。
だが、鎧自体の構造は人体とほぼ相違ない。弾真には、盾の向こう側にある部分含め、ゴーレムの全体像を人間の形に当てはめ、見透かすことが出来た。
《スナール》で、盾で隠し切れていなかった右足首、その一部を狙撃。弾真は着弾を確認する前に駆けだして接近、飛び上がりながら盾に蹴りを加える。すると、ゴーレムの右足首がたちまち崩壊し、大きく体勢が崩れた。
踏ん張りの効かなくなったゴーレムは、弾真の脚に後ろへと押し倒される。完全に露出した楔を、《バーク》で接射。弾真は二体目を片付けた。
(すべてが手に取るようにわかる。身体も軽い……。本当に、鎖から解き放たれたみたいだ!)
弾真は、砕ける楔の欠片を見ながら、口元に狂気すら匂わせる笑みを浮かべた。
必要な情報を迅速に吸い込んでくれる両目と、そこから導き出せる最適な戦法を最速で実行する身体。今なら、自分以外のすべてをスローモーションの世界に押し込める。これほどまでに自分の身体が精錬されているとは、今の今まで弾真自身気付いていなかった。
脳裏に思い起こされるのは、ホムラとの散歩だ。視力と身体を錆び付かせずに済んだのは、間違いなくあの日課のおかげだろう。
もしあれが、ホムラが自分を鍛えるために行ってくれていたことだとしたら。……そう考えると、言うことを聞かなくても、やはりホムラは最高の相棒だと思えた。
おかげで、この戦いを楽しむのに事欠かない。
弾真は休むことなく駆け出し、絆に《スナール》を撃って牽制しつつ、最後に残ったゴーレムへ。上半身を盾で守っているゴーレムの股下に足から飛び込み、スライディングで通り抜けつつ、絶妙なウェイトシフトで反転。腹を下にした極めて低い姿勢になりながら、弾真はゴーレムの両足、そのひざ裏を左右の銃で撃ち抜いた。
ゴーレムの身体が、仰向けに倒れてくる。弾真は立ち上がりながらその軌跡を捉え、一歩後退。すると、ゴーレムの頭部が弾真のちょうど足元に振って来た。それを右足で踏み付け、しっかりと押さえつけた後、弾真は《バーク》の一撃で楔を砕き割る。
ゴーレムが、床に溶けて消えていく。弾真は、ぎろりと絆に目を向けた。
「覆したよ、絆。文句はあるかい」
「……くっ……」
弾真の牽制を防いだ剣の向こうで、絆が歯噛みする。
「……よくもまあ、そんな力を隠していたものだ。俺と過ごしていた時には、こんな力は……」
「あの頃の僕にはなかったものだからね。こんな戦い方も……この目を、戦いで使う度胸も。……でも、今は違う」
「そうか。……まったく。……本当に、ここまでやる気はなかったんだがな……!」
絆は忌染核を取り出す。それは煌々と、青く光っていた。
先ほどと同じ形状の楔が次々と忌染核から飛び出し、弾真を囲むように地面に刺さっていく。その数、八本。すべてが、フィールドの床を引き寄せ、集め、新たなゴーレムとしての形を成していく。
「すべての力をもって相手してやる。さあ、俺に傷一つ付けられぬお前の弱さを思い知れ!」
さらに絆が叫ぶ。忌力の光が絆の周りに集まり、円形に収束した。
「守りたい」。そう毎日のように口にする絆が、その思いごと結晶化させたような、強固な防護壁、忌操術、《否退障壁》。生半可な攻撃では、破るどころか傷一つ付けられない。単純な身体への接触すら拒む、言わば絆自身の結界だ。
(……あれは、簡単には破れない。ゴーレムもいる。……少し、分が悪いな)
だが、やるしかない。彼女が誇るであろう人間は、ここで降参を選ばないはずだ。
再装填しつつ、弾真は自分を取り囲む、九体の敵を睨みつけた。
それらが、一斉に動こうとした時だった。




