四章 五節
「…………」
弾真は絆の背を見つめ、しばらく動かなかった。
「……ねえ。……大丈夫?」
愛花の言葉にも、すぐには反応を見せない。
「…………。手当て、しなきゃ。ホムラも、志吹も、宮子さんも。……あの子も」
そう言って、忌染核へと銃をしまう弾真。
「僕はホムラと志吹。稲穂さんは、宮子さんとあの子を。いいかな」
「え……ええ」
「頼むよ」
弾真は、愛花に視線を向けぬまま、ホムラの元へと走った。
ホムラは地面に座り、傷口を何度も舐めている。弾真が近づくと、その行為を止め、じっと沈んだ目で、その姿を見上げた。
その身体には触れぬまま、弾真はしゃがみ、ホムラに声をかける。
「……ありがとう。……ごめん、ホムラ」
ホムラは反応らしい反応を見せず、立ち上がって、志吹の元へと向かった。傷からの出血は、もうさほどでもない。大事ではないようだ。
「志吹!」
声をかけつつ、弾真はホムラを追いかけるように、志吹のそばへ。
「……おう……。……すまねえ弾真、オレらのせいで……」
寝そべったまま、志吹は弾真に目を向けた。
「いいんだ。……身体は? 平気?」
「……。……駄目だな。冗談すら、思いつかねえ」
目にも、声にも力がない。弾真は、戦闘不能とは縁が遠いはずの志吹の現状を、深刻に思った。
「すぐに治療室に連れて行く。立てる? 無理なら、誰か人の手を借りて……」
「いらねえ。……それよりも、オレをあの子の所へ連れてってくれ。治して、やらなきゃ……」
「……でも、志吹。その身体じゃ……それに、彼女はもう……」
「いいから、連れてけって……。頼む、弾真」
「……」
弾真は少し迷った後、志吹に肩を貸し、女子生徒の元へと向かった。
女子生徒のそばには、恋人のほかに、愛花、宮子の姿があった。
「宮子さん、大丈夫?」
「ええ、さすがに痛いけれど……平気よ。それよりも……」
弾真は、下方に流れる宮子の視線につられた。
折れ曲がった足。刺し傷だらけの胴体。切り傷と打撲で、色の変わった腕と顔。誰が見ても、その有り様が生命の終わりを告げていることがわかる。弾真は、志吹の体重が、自分にぐんと力なく寄りかかってくるのを感じた。
「おい、起きろよ、美香。起きろよ……。オレだぞ、ここにいるぞ。起きろって。これから、一緒にゲームをしに行くんだろ? アイスを二人で食べるんだろ? 日曜日には、遊園地に行くんだろ? オレ、プレゼント、用意してるんだ。楽しみだろ? だからよ……起きろよ……」
ただ、一人。涙を流しながら、恋人の名を呼びかける傷だらけの男子生徒の姿があった。
誰もが、その姿を直視出来なかった。
「……気持ちは、わかるわ」
そんな中、愛花が一歩、前に踏み出た。
「でも、もう、彼女は……」
「起きろよ。……起きろよぉ……起きてくれよぉ、美香……」
「…………」
だが、それ以上の言葉は、発することが出来なかった。
「弾真くん」
代わりに、弾真たちに近づいてくる足音と、優し気な声。
耳に慣れた声に心を軋ませながら、弾真は振り向く。
「溟……」
「……うん。……久しぶり」
溟は、わずかに微笑み、ゆっくりとひとつ、瞬きをした。
「元気だった……みたいだね。ずっと何をしてたのか、よく知らなかったけど……安心した」
「……。何の用事だい、溟」
「……そんなに邪険な言い方しなくってもいいじゃない。幼馴染なんだし」
溟は、弾真に傷つけられたように、眉を歪ませた。同じように、弾真の眉の根も捻じ曲がる。
「……でも、何だか大変そうなのはわかるから、すぐに済ませるね。弾真くん、教えてもらいたいことがあるの」
「何?」
「さっき、絆くんと、何を話してたの?」
弾真は、溟と目を合わせた。
その目が自分を見ていないことは、眼鏡越しでもすぐにわかった。
「……絆は、僕にランクマッチを申し込んで来た。試合は一週間後。試合に負けたり、辞退をしたら、僕に退学しろと言って来た」
「……。そう。……絆くん、やっぱり変わらないな」
「……」
「お願い、弾真くん。試合を辞退して」
弾真にとっては、決して軽くない言葉と、その意味。だが溟は、それをあっさり口にした。
「絆くん、きっと弾真くんを守りたいんだと思う。友達として、まだ大切に思っているから、一週間も期間をもうけたんじゃないかな。それだけあれば、弾真くんが、いろいろと準備出来るからって……」
「絆は、もう僕にそんな気遣いをする奴じゃない」
「そんなことない。だって彼、優しいもん。みんなを守るんだって、そのために強くなって、みんなを助けるんだって。そう、毎日言ってるの、わたし知ってるもん」
「……」
「弾真くんに対しても、同じだと思う。本当は、戦わずに済むなら、それが一番いいんだよ。だから、ね? 弾真くん……」
「……それだけかい、溟。話っていうのは」
「っ……」
溟の顔が険しくなった。胸の前で、強く握りしめた右手を、左の手のひらで包み込む。
「ちゃんと聞いてよ、弾真くん。知ってるでしょう? 絆くんは、みんなを守るっていう気持ちで、毎日を過ごして、強くなってるの。わたしは、そんな絆くんの邪魔をして欲しくないの。万が一、弾真くんと戦って、絆くんにもしものことがあったら……」
「……」
「絆くんは、みんなを守れる人になるんだよ。わたしたちの故郷に住む人たちだけじゃない。もっともっと、たくさんの人だって守れるようになるって頑張ってる。それは弾真君には出来ないことをやるってことでもあるんだよ。……そんな絆くんと、どうして弾真くんは戦うの?」
「……。それは」
「お願い。絆くんの邪魔をしないで。彼は、たくさんの人から必要とされてる人だから。……わたしだって、そんな絆くんだから……」
会話ではなく、一方的に言葉を叩きつけられるだけのやり取り。弾真は怒りとも失望ともとれない感情が沸き上がるのを覚えた。溟は言葉を止めない。
「幼馴染なんだよ? 彼の言う通り、退学してあげるのも、友情っていうものなんじゃないかなって思うよ、わたし。……だから、お願い。武器なんて捨てて、絆くんに守られる人になって。彼は、強いから。みんなを守ってくれる人だから。……彼を、信じてあげて」
「…………」
「お願いね」
それを最後の一言にして、溟はそっと弾真たちから離れて行った。その足取りに、弾真の返事を待つ意志はなかった。
「……何だよ、あいつ。……ランカーでもないのに、妙なこと言いやがって。なあ、美香、お前もそう思うだろ? 笑う気にもなれないよな、あほらしくてさ……。でも、笑おうぜ。その方が、楽しいよな? お前、言ってたもんな。辛くっても、笑っていた方が、ずっといいって……。そうすれば、いつか幸せが歩いてくるって……」
遺体を見つめながら、男子生徒が呟き出す。
それを見て、愛花はぐっと口元を引き締め、また一歩、前に出た。
「……もう、彼女は、あなたの声には応えられないわ」
「……」
「でも、それだけ想ってくれた恋人がいたんだもの。きっと、思いは伝わっていたわ。幸せな日々を過ごせていたと思う。……だから、眠らせてあげて。……ゆっくり、休ませてあげて」
男子生徒は、口をつぐみ、そっと立ち上がる。
「……。くっ……!」
そして突如、涙に濡れた顔を愛花に向け、忌装を行い、具現されたナイフを突き出した。
「! ……な、何……!?」
愛花は目を見開き、数歩、後ずさった。
「知ったような口利くなよ。あんたも、ランカーだろ? あんたでもいいよ、助けてくれよ。一度でいい、一度でいいんだよ。俺の恋人を、助けてくれよ。……助けて、くれよぉ!」
「っ……。私は、傷を治す忌術は……」
「そうじゃねえよ! だから知ったような口効くなよ! 何だよ、思いが伝わっていたって! 美香が幸せだったって! わかるはずねえだろ!? あんただって、あいつらと同じランカーのくせによぉ!」
「ちが、私は」
「わかってたまるかよ、お前らみたいなのに、俺たちの気持ちがよ! 馬鹿にされて、見下げられて、価値がねえもんだからって好き勝手遊ばれて! それでも強くなれねえで! そうやって生きてた俺たちの、何を知ってるんだよ!? ……お前らは楽だよなあ、俺らみたいなのを倒してれば、それだけで苦労なんてしねえんだから! 何も考えねえで、何も知らないままでさぁ!」
「っ……」
「なあ、強いんだろ? あんた強いんだろ? 何でも出来るんだろ? なら、叶えてくれよ、美香の言ってた言葉、現実にしてくれよ! 幸せって奴、こいつに感じさせてくれよ! 弱い俺にゃあ無理なんだよぉ! 頼む、頼むから……う、ぐ……うあぁっ……うあああああああ!」
ナイフを握る手も、言葉も、まるで芯が通っていない。男子生徒は立ち続けることもままならず、武器を落として、泣き崩れた。
けれど愛花は、男子生徒を前にして、たじろいでいた。
「……そうだよ、あいつもランカーじゃねえか」
あたりから、次々に声が上がる。非ランカーの生徒の声だ。
「非ランカーの苦労なんて、知らないんだ、あいつは」
「何でここにいるのよ。何の助けにもならないくせに」
「オレたちに同情する気なら、やめてくれよ、ランカー」
「強い奴にはわかんねえよ、弱い奴の気持ちなんて」
「いいよな、勝つのが当然の奴は」
「楽そうだよな、生きるの。こっちとは大違いだ」
「おい、止めとけよ。あいつもランカーだから、力で黙らせて来るぞ……」
愛花は、声を押し留めつつ、あたりを見やった。
胸に光るバッジを持たない人々が、自分を視線と言葉で突き刺してくる。
「………………」
愛花は、自分の心臓が重く響く音を聞いた。息が苦しくなってくるのを感じた。目をまっすぐ前に向けることが出来ないことに気付いた。
ただ、胸が、苦しくなった。
苦しさの元凶は、胸の奥に押し留めていた、負の感情の奔流だ。
身体が震える。崩れ落ちそうになる。
けれど、出来ない。
愛花自身が自分に染み付かせたものが、自分を楽にさせてくれない。
いつものことだった。だが、ここまでそれが苦痛なのは、初めてだった。
「……っ!」
「稲穂さん!」
愛花は駆け出した。人にぶつかりながらも、それをかき分けていく。弾真は思わずその背を呼び止める。しかし、愛花は止まらず、すぐにその姿は見えなくなった。
弾真は、一度目を伏せた後、再び愛花が走って行った先を見つめる。
「いいよ、行って、弾真くん。後のことは、あたしたちに任せて大丈夫だから」
「……宮子さん」
痛々しい様子の左手を抱えながら、宮子はしっかりと頷いた。
「弾真くんは、きっとここにいる誰よりも、愛花ちゃんと一緒に過ごしてるでしょ。今、愛花ちゃんにきちんと向き合える人は……愛花ちゃんが受け入れられる人は、きっと弾真くんだけだから。だから、行ってあげて」
「オレも同じ意見だな」
志吹も、血だらけの頬を無理に歪ませる。
「正直、あのランカー風紀委員がどうなろうと知ったことじゃねえが……。今ここにいるのは、あいつにとっちゃあ敵ばっかりだってのは確かだ。一人ぐらい、味方になる奴が追っかけていってもいいんじゃねえか。……何より、お前がそうしたいんだろ?」
「……。うん」
少々弱々しくはあったが、弾真は二人に対して首を縦に振った。
「ありがとう、志吹、宮子さん」
「いえいえ。愛花ちゃんを、お願いね」
宮子は気丈な、そして柔らかな笑顔を浮かべる。
「愛花ちゃんは、あたしたちの隣に並んでくれた子なんだから」
「うん、わかってる」
弾真は、愛花が走って行った道を、駆け足で辿り始める。その後には、ホムラも続いた。




