四章 三節
「その必要はない」
「……!」
人混みの中から、硬い声と共に歩み出てくる人影があった。
その声と姿に、弾真の身体が硬直する。
誠実な印象を感じさせる黒い短髪。引き締められた目と口元。まっすぐ空に伸びる高い背丈。腕には、手を包みこむように婉曲した鍔が特徴的な、銀色の長剣を握っている。胸には、Aランカーの証であるバッジが光っていた。
すぐ背後に付き添っていた、長い黒髪の女子生徒を人混みの隅に待たせ、男子は、こちらにゆっくりと近づいて来た。数メートルの距離を維持したところで、止まる。
その姿を見て、弾真は全身がさらに強張っていくのを感じた。……それでも、どうにか自分の身体をなだめ、ゆっくりと構えを解いて行く。
「絆……」
「久しぶりだな、弾真。その赤い髪はどうかと思うが……とにかく元気そうで何よりだ」
「……。……絆もね」
わずかなやり取りだけでも、愛花が見知らぬ男子生徒の正体を推測するには十分すぎた。
あの男子が、高見絆。幼馴染でありながら、弾真に土を付けた張本人。……その背後でこちらを見ている清楚な印象の少女が、琴弦溟で間違いないだろう。
絆は、弾真にまっすぐに目を向けたまま、そっと目に悲しみを宿した。
「お前の噂はたびたび耳にしていた。俺たちと一緒にいた頃と比べると、ずいぶん道を外してしまったみたいだ。残念だよ」
「絆の話もよく聞くよ。……【不眠を齎す者】。そう呼ばれるようになったって」
「皆が勝手にそう呼んでいるだけだ。俺が変わったわけじゃない。志はずっと変わらぬまま、胸の中にある。お前と違ってな」
冷たく、厳しく見える絆の両目。確かに変わらない。あの日……自分を負かした、あの時の目と。
「……。僕は、同じでは、いられなかった。あの負けは、僕にとって意味がありすぎた」
「それはそうだ。俺は、お前を変えるつもりであの試合に臨んだ。俺が残念なのは、お前が間違った方向に変わってしまったことだよ、弾真」
「……」
「いろいろと話はあるが、今は他にやることがある。……そこの二人」
男子二人組を見やり、絆は声をかける。
「約束の時間より、事が起こるのが早いが?」
「へへ、待ちきれなかったのさ。……なぁに、あんたの力なんざ借りなくっても、あいつらをおびき寄せることぐらい……」
棍の男が、汗にまみれた顔でにやにや笑う。弾真は、それを見て、ある考えに思い至った。
「……まさか、僕たちを誘い出すために……」
「そうさ! てめえらのことは調べたぜ、カラーズ。こうすりゃお前たちが俺たちの所に出てくると思った。その風紀委員も一緒にな。……そこを、そこにいる助っ人と一緒にぶっ殺すって戦法よ」
「助っ人? 絆のことか」
「俺は馬鹿じゃねえ。ランカー含めた四人に二人で挑むなんざ無謀な真似はしねえ。声をかけたら、喜んで引き受けてくれたぜ、奴はよ。へへへ、役に立つはずねえ犬とガンナーは勘定から抜くとして、これで三対三。しかもこっちは全員がランカーだ、これなら――」
「待て。それは違う」
絆の声が、男に制止をかける。
「――あ?」
「伝えられた段取りの中に、人を殺すだなんて話はなかった。……かつての友人の道を正すためならばとお前たちの誘いに乗ったが、無関係な人間を殺めるような奴らからの依頼とあれば話は別だ」
「何だと……? てめえ、裏切るのか? まさか最初から、そのつもりで……」
動揺を隠し切れない棍の男に対し、絆は一貫して冷ややかな顔をしていた。
「そうじゃない。ただ俺は人殺しをやる人間を許す気など持ち合わせていない。理由もなく弱者を傷つける行為なんてもっての他だ。俺は弱い人々を守るために、この道を選んだ。その障害となる人間は、俺の敵だ」
絆は、弾真たちと男子二人組の間へと移動し、剣の切っ先を、男たちへと向けた。
「弾真たちと戦いたいのならば、まず俺を倒してからにしろ」
「っ……は。正義のヒーローぶりやがって。……知ってるんだぜ? あんた、試合で自分より弱い奴は必要以上に痛めつけるってな。相手に取っちゃ、悪夢なんてもんじゃねえ、楽に眠りにつくことすら許さねえ戦いぶりだから、【不眠を齎す者】、だってよ……! 何人も、再起不能にさせてるってよ……!」
男の棍は、小刻みに震えていた。じりじりと、その足が後方へと下がりつつある。
無理もない。絆のあまりにも鋭すぎる眼圧が、そうさせているのだ。
「屑と言葉のやり取りをする気はない。さあ、来るのか? 来ないのか? 来ないのならば、俺から……」
「……うあああぁーーー!」
長ドスの男が、絆に向かって突進していく。相方は思わず手を伸ばして止めたが、無駄だった。
腰だめに刃を構えたまま、男は突進。その切っ先が、絆に迫る。
それを見ながら、絆は身動ぎひとつしなかった。
「だあっ! ……っ!?」
長ドスの切っ先は、絆の身体に届く前に、耳障りな音と共に止まった。……まるで、絆の目の前に、壁があるかのように。
目を凝らした男は、絆の身体が、大きなシャボン玉のような何かに包まれているのに気付く。
「な、何だこれ。く、くそっ、どうして刀が……」
「覚悟はいいな」
忌操術、《否退障壁》。忌力によって身体の全方位に作り上げられた防護壁の中で、絆は余裕をもって剣を構える。
剣を持った右手の甲を上に向け、顔の高さまで持ち上げる。腰を落とし、左足を前に出しつつ、左の肩を相手に向け、無駄な力を抜いた左の手のひらを柄頭にあてがう。絆が目に力を込めると同時に、剣の全体に青い色の炎が揺らめきだした。
間合いを見極め、絆は右足を踏み込み、剣を前に突き出す。左側の半身は後方へとまわし、身体の発条の力を切っ先へと送り込む。
ドン、という重い音が、中庭の空に舞った。ドスの男が、後ろに転げまわる。
「うぐあっ……。……あ、あ、ぁあぁあああぁぁああぁあぁ! 痛い、いだい、いだいいい!」
男は、叫びをまき散らしながら地に伏した。
男の両手は、手首から先がなくなっていた。少し間をおいて、刀を握ったままの手がぼとりと落ちてくる。人混みの壁が、悲鳴で染まった。
「傷口は炎で焼いてある。失血死はしないから安心していい。お前たちと違って、俺は人を殺したりはしない。守るために、戦っているのだから」
剣についた血糊を炎で払いながら、絆は再び構えを取る。
「……ひ、ひいいっ……!」
棍の男は後ずさり、尻もちをつく。慌てて立ち上がり、棍を構えるが、誰から見てもわかるほどに震えていた。眼からは、涙が零れている。
「そう怯える必要はない。お前からも、命までは取らない」
小さく零し、絆は剣を握る手をコンパクトな動作で振るった。
剣の刃が、ばらりと鎖状に変形。炎を纏いつつ、まるで四肢を持たない生き物のように、棍の男に迫る。
その切っ先に、棍棒が真ん中から断ち切られる。続いて右の手首から先が切り落とされる。さらに左手を肘のあたりから切断した。
「あっ、あっ、ああぁ……!」
「だが、光と涙は奪わせてもらう」
瞬時に絆は剣を元の形に戻し、男に接近。痛みよりも強い、黒い感情に倒れつつあった男の顔を左腕で掴んだ。男の顔と、絆の手のひらの間で、深く青い忌力の光が輝き出す。
「! 絆、止め――」
弾真の声は、絆に届かなかった。
爆音が響き、絆の手中で炎の爆発が起こる。男はそれを顔面でまともに受け、叫びを上げながら吹き飛んだ。
「っぁぁぁああああああああああっ、目が、目があっ、俺っ、のっ……目があああああ!」
焼けただれた顔に、男は手のひらのない手を何度も押し付けながら、地面を転がっていた。その光景と肉が焦げた臭いに、口元を覆う人間は決して少なくなかった。
そうでない人間たちは、ほぼ例外なく、絆の実力に絶句していた。身体も頑丈で、忌力で常に保護されている忌抗者の腕を容易く切断するなど、簡単に出来ることではない。
絆は、男たちに背を向ける。その傍らに、黒い髪をなびかせながら、溟が駆け寄って来た。
「……絆くん」
「ああ。溟、誰でもいいから先生を呼んできて、彼らを連れて行かせてくれ。俺の名前を出せば動いてくれる。事情を説明すれば、他の人間含めて忌装具の使用も不問になるはずだ」
「うん、すぐ行ってくる」
「助かる。そっちは任せたぞ。俺には、まだやることがある」
「……。わかった」
溟は、弾真にちらりと目をやった後、絆の後方へと下がっていった。
「頑張って。無理しないでね」
「ああ」
二人が交わしたやり取りに、弾真は胸中の古傷をちくりと痛めた。




