三章 四節
「今日の一件は、必ず風紀委員長と先生に報告するわ」
ゲームセンターを出て、ほぼ全裸の男たちが尻尾を巻いて逃げるのを見た後、カラーズたちと愛花は解散することにした。
志吹は「さっさと着替えてぇ」と言って帰宅。宮子は助けた女子生徒を家へと送る役を買って出た。残った弾真もホムラと共に帰ろうとしたが、愛花に「話がある」と呼び止められ、自宅近くの公園で、話をする流れとなった。
町の中心部からは離れた、閑静な区画。賑やかさが遠くにある公園のベンチで、目の前に仁王立ちする愛花の言葉を受け、弾真は小さく数回頷いた。
「わかった。そうなる覚悟をしての行動だった。きっと、志吹と宮子さんも。止めたりはしないよ」
「ええ、止められても、私は同じことをするわ。……でも、それだけじゃない」
「?」
「あの男子二人もよ。とてもじゃないけれど、あいつらがやったことも静観なんて出来ない。顔も名前も覚えたし、必ず報いは受けさせる。……必ずね」
「……うん。そうあるべきだと、僕も思う。……な、ホムラ」
手に持った鎖の向こうでお座りをしているホムラは、何の反応もしない。弾真は苦笑いの後、愛花に視線を向けなおした。
「それが、さっき言っていたって話ってやつ?」
「いえ。……ここからが本題」
相変わらず立ったまま、愛花はぐっと、弾真に向ける視線に力を込めた。
「あいつらが付けていたバッジは見たわね? 色は銅……つまり、Bクラスのランカー。そうよね」
「ああ、僕にも見えた」
「あのバッジが偽造物だったり、誰かから少しだけ借り受けたものだったりしない限り、あの男子二人組はランカーであることは間違いない。そうね」
「もちろん」
「あなた、ランクは? あと金髪と宮子のも教えて」
「僕はEランク、志吹と宮子さんはCランクだ」
「……なら、何故あなたたちは、あいつらに勝てたの?」
弾真は、何も答えない。構わず愛花は話を続けた。
「場所は特殊だったし、お互い忌力を十分に発揮した戦いだったとは言えないから、本来の実力で測れる戦いでなかったのはわかる。数でもあなたたち、カラーズが有利だった。でも……少なくともあなたは、忌装具も使わず、体術のみでランカーを圧倒したわ。あれはいったいどういうこと?」
「……順番に答えるよ。まず、志吹と宮子さんはランク以上の実力を持っている。彼らは素行が悪いから、学園がランカーとしての立場を与えるのを恐れて、Cランクに押し留めているって一部では噂になってるくらいなんだ。そんな二人なんだ、鍛錬もろくにしてない相手に勝てるのは当然だよ。それと、僕が勝てたのはあの男子が怯えていたからだ。あれじゃあ強さどうこう以前に、戦いにならない」
「……」
「それにあのドスは志吹の使うダンビラと似た性質の武器だ。太刀筋も近いところがあったから、何度も志吹と模擬戦をしてる僕には見切れたんだよ。忌装具だって、あの場では相応しくないと思ったから使わなかっただけだ」
「そこ。忌装具が相応しくないって思った理由は? 騒ぎを起こしたくなかったから? 校則違反だから? 地形的に使いづらかったから? ……いいえ、きっと違う。あなたは――」
「……」
「――無くても勝てるとわかっていたのよ」
弾真は、その言葉に否定を返さず、ただ沈黙した。
「……。正直、ずっとおかしいと思っていたわ。あの試合の時から」
愛花は目を閉じ、弾真との試合を一通り思い浮かべてから、開いた。
「私が油断していたのは認める。けれど……やっぱり、Eランクの忌抗者が私に一撃を与えられるはずがない。あの二人だけじゃなく、あなただってEランクで留まっている人間であるとは思えないの。ガンナーであることや、素行の問題を鑑みても、Eランクとして扱われるような弱い人間だなんて思えない」
「……そういう話か」
「ええ。あなたには、何かまだ隠していることがあるはず。それを教えて」
弾真は口を閉ざし、少しの間、思慮にふけった。
実際自分は、《バーク》と《スナール》がなくてもドスの男に勝てると確信していたから、忌装をしなかった。
……それと、まだ隠していることがある、という点も、間違っていない。
しかし、それを口にする気持ちを、弾真は持ち合わせていなかった。
「それを訊く理由は何? 稲穂さん」
「理由?」
「稲穂さんの目に、僕がどんな人間に見えているのかは、少しだけわかったけれど……。でも、君はSランクで、僕は所詮Eランク。君が強くて、僕が弱いのはわかりきっている。僕の話をしても、稲穂さんに収穫はないと思うんだけど」
「……」
愛花の心の中に、にわかに戸惑いが湧き出た。
確かに、自分は弾真を気にしている。だが、その理由とは何なのか。
考えたことなどなかった。その答えを今、心中に探し求めてみても、見当たらない。
「……いいでしょ、どうだって」
故に愛花は、そんな誤魔化しの言葉を前に出した。
「収穫になったかどうかは、話を聞いた後に私自身が決めることでしょ」
「……僕にだって言いたくないことの一つや二つぐらいはあるんだ。……稲穂さんの質問に答えることは、それを掘り起こすことになる」
「だから、言いたくない?」
「そういうこと。……少しだけでいい、遠慮してくれると、助かるかな」
話をおしまいにするつもりで、弾真は立ち上がり、公園から出て行こうとした。
「……っ……あれ?」
しかし、ホムラが動かない。いくら鎖を引いても、びくともしない。
「ちょっと、帰るよホムラ。ホムラったら――」
「悪いけれど、私はまだ納得出来ない。……遠慮も出来ない」
その隙に、愛花は弾真へ向ける言葉を上乗せした。
仕方なく、弾真は身体を愛花に向ける。
「――……そんなに気になるの?」
「ええ、だから訊いてるの」
「だから教えろって? ……理由も言わないで。僕も嫌だって言ってるのに」
「……。……あなたには悪いけれど、私、人とはぶつかり合うのが常の毎日なの。……納得出来るまでぶつかるしか、人との接し方を知らないのよ」
身勝手な理屈だ。弾真はそう感じた。
だが同時に、こうも思った。
(……初めてだな、こんな人に会うのは)
ここまで、自分という人間に目を向けてくれている人間に出会うだなんて。
ある意味で、自分と同じ目線に立っている志吹や宮子とは訳が違う。自分より、はるかに上の立場にいる人間が、こちらに視線を投げかけて来てくれるだなんて……それこそ、初めてのことではないだろか。
それを、自分の都合を理由に拒絶してしまうのは、少々気が引けた。だが、過去の出来事を、言葉を使って身体の外に出すのも、気が進まなかった。
「……そんなに言うなら、戦って決めることにしようか」
弾真は、答えを出すことを愛花に任せ、己の中で解決することから目を逸らした。
その上で提案したのが、勝負とは。自身の戦闘狂ぶりに苦笑する。
「戦う? これから模擬戦でもするの? ここで?」
「それは無理だから、別のことで決めようか」
「じゃあ何をするの? 話を出したのはあなたよ、あなたが決めていいわ」
「……それじゃあ、こうしよう」
弾真は、鎖を握った右手を、目の高さまで上げた。
「そろそろいい時間だ。これから日課の、ホムラの散歩をしようと思う。町内をぐるりと回って、この公園に戻って来る。それに着いて来られたら稲穂さんの質問に答えるよ。それでどう?」
「……は? 馬鹿にしてる? 犬の散歩に着いて行くことが、どうして戦いになるのよ」
「馬鹿になんてしてない、そこは信じて欲しい。……どうする? 稲穂さん」
長い前髪と眼鏡の向こうで自分を見る弾真の意図を、愛花は完全に把握することが出来なかった。だが同時に、断る理由がないことも、弾真が提案したことを受け入れれば自分の欲求が満たされることも確かだと思った。
「いいわよ。散歩に着いて行けばいいのね?」
「ああ。コースは毎日変わるから、道順を教えることは出来ない。でも終着点は間違いなくここだ。最後まで僕らに着いて来て、稲穂さんが僕らとほぼ同時にこの公園に辿り着いたら君の勝ち。僕らを完全に見失ったり、途中でギブアップしたりしたらこっちの勝ちだ。それでいい?」
「……。わかった」
「よし、それじゃあ、軽くストレッチしておいて。僕もするから」
言いつつ、弾真は屈伸と、アキレス健を伸ばす運動を繰り返す。
「……どうしてそんなこと。というか、何で私までストレッチ?」
「いいからいいから」
「……」
内心で、弾真の真意を少し見抜きつつあることを自覚しつつ、愛花は少し足腰を伸ばす運動をした。
「……よし。じゃあ、行こうか。ホムラ」
弾真の声で起き上がり、ぶるりと身体を震わせ、ホムラはすたすたと、公園の出口へと向かっていく。鎖を手にした弾真も、それに続く。
「行くよ、稲穂さん。公園から出たら勝負開始だ」
「ええ」
一匹と一人の、数歩後ろを愛花は着いて行く。
公園から出る。するとホムラが急激に加速し、弾真との間にある鎖がびんと張った。弾真もホムラに置いて行かれないように走り出し、身体に速度を乗せる。愛花もそれにならった。
(やっぱりね……)
提案としては不可思議であること。ストレッチを勧めてきたこと。そもそもホムラが普通の犬ではないこと。愛花には、何となくこの散歩が平凡なものでないことがわかっていた。
道を曲がるごとにぐんぐんとスピードが上がり、あっという間にジョギングの速度を超え、疾走と言える速さになる。
速くはあるが、毎日身体を鍛えている愛花にとっては、着いて行くことは造作もない。甘く見られたものだと愛花は思った。
その瞬間。
弾真とホムラの姿が、愛花の視界から消えた。
「…………えっ?」
一瞬のうちに生まれた困惑を制し、走り続けながらも、視線を周囲にくまなく配る。
探していた姿は、道ではなく、横の塀の上にあった。足とほぼ同じ程度の幅しかない塀の上を、ホムラと弾真が変わらぬ速度で走っている。
弾真が、ちらりと後方を見やり、笑みを浮かべた。
それに気づき、愛花はぎりっと奥歯を軋ませた後、塀へと飛び乗り、追いかける。バランスを取ることならば、自身の得物の上で何度も行っている。惑いはしたが、不可能でなかった。
塀から塀を飛び移り、さらには民家の屋根へ、そこから別の屋根へ、アパートの屋上へ。塀を伝って道へ降りたかと思えば、今度は橋の手すりの上へ、ジャンプで反対側の手すりへ、またジャンプで元の手すりへ。橋を渡り終えると、今度は車道のど真ん中を疾走。こちらへまっすぐ走ってくる乗用車を飛び越え、そこを足場にして背後のトラックの荷台へ、積み荷を足蹴にした後、歩道へと飛んで、素直な道でひたすらに加速をかけていく。車に乗っていた人たちの怒号など、あっという間に置き去りになった。
(……何よ、これ。何よ、あれ。何よ、あいつ!)
正直、愛花の予想を超えていた。せいぜい全力疾走程度のスピードで町内を一周してくるだけかと思ったが、それどころではない。ほとんど道ではないところを走っている。極めてハードかつ高速で行うパルクールのようなものだと言えた。
そんなコース取りをするホムラも異常だが、長さ二メートル弱の鎖を掴んだままそれに着いて行く弾真もまた普通じゃない。時折スライディングや宙返りまでする余裕すら見受けられる。
しかし、それを声や表情に出すような真似を愛花はしたくなかった。余計なことは息と一緒に吐き捨て、ひた走る。
一匹と一人は、再び民家の屋根へ。愛花もそれを追いかける。天井で寝転んでいた猫が走り逃げる速度が、今はゆっくりに見えた。
屋根から屋根へ、屋根から屋根へ、屋根から屋根へ、広い敷地を持つ日本家屋の屋根へ。そこから庭へ降り、全速力で横断。その最中、弾真が横を向き、会釈をする。愛花がその先を見ると、縁側に座って将棋に興じていた老夫婦が、笑顔で手を振っていた。思わず、愛花も足を止めぬまま頭を下げる。
塀を超え、歩道を走り、その脇の電柱を走って上り、真ん中あたりで跳躍。
また屋根へ飛び、走る。弾真が左手で右方向に詫びのサインを送る。その先のアパートの一室で、肩を抱き合うカップルが驚いていた。
また屋根へ飛び、走る。弾真が下へと合図を送る。肉屋の店主らしきエプロン姿の男性が、笑いながら手を振っていた。
また屋根へ飛び、走る。弾真が歩道に手を振る。小学生男子の集団が、こちらを指さし、歓声のようなものを上げていた。
また、飛んで……そして、開けた場所に降りた。
ホムラと弾真が急停止する。愛花はそれを見てブレーキをかけるが、勢いを殺し切れず、砂埃を巻き上げて、ややオーバーランした。
「っ、はあっ、はあっ、はあっ……」
「ふうーっ。……はは、さすがだ、稲穂さん」
「え? ……はっ、はあっ……」
愛花が汗にまみれた顔を上げると、そこには自身と同じように、夕日に汗を光らせている、弾真の顔があった。
「今回も、僕の負けだね」
愛花は、今自分が立っている場所が、スタート地点であった公園であることに、たった今気が付いた。




