三章 二節
耳の奥まで響き渡る電子音と、目に痛いライトたち。薄暗い店内は、ゲームという存在も相まって、現実世界から切り離された場所である間隔を、愛花に与えた。
「……ずいぶんとうるさいわね」
「驚いた? 確かに、初めてだとちょっと戸惑うかもね」
ホムラに鎖を通して引っ張られ続けた手を揉み解しながら、弾真は愛花の言葉に応えた。
さすがに店内に入ることは出来ないため、ホムラはこの店の屋上へと飛び上がり、そこに身を隠している。
「……それで? ここで何をするの?」
愛花は、弾真と宮子に問いかけた。
志吹は店に入った途端、「オレ、格ゲーな」と言い残して、さっさと離れて行ってしまった。
弾真曰く、志吹は格闘ゲームの腕が半端ではないらしい。未経験者の愛花は当然として、弾真や宮子でもまったく歯が立たず、むしろ彼の退屈に繋がるため、放っておいていいとのことだった。
「うーん……まあ、いろいろあるけど。稲穂さんは何がやりたい?」
「私? 私はいいわよ、別にゲームなんてする気ないし」
「興味ないのはわかるけどさ。でもせっかく来たんだし、何かやっていってもいいんじゃない? 案外面白いかもよ」
「面白いかもって、例えば? どんなものがあるの?」
「えっと……物を取るゲームとか、敵を銃で撃つゲームとか、車に乗るゲームとか」
「……窃盗? 殺人? 無免許運転?」
「ごめん、言い方が悪かった。クレーンで景品を取るゲームとか、迫ってくるゾンビを倒して身を守るゲームとか、そういうものだよ」
「……ふぅん」
愛花は、どれもいまひとつピンと来ない、といった様子だ。
「まあ、とりあえず手近なものから実際に遊んでみようよ。宮子さん、それでいいかな?」
微笑みを浮かべながら、宮子はこくりと頷く。
「じゃあまず、クレーンゲームやりに行かない? 何か面白いものあったら挑戦したいし」
その言葉で、最初の目的地が決まる。
ゲームとゲームの間を縫うようにして、三人はクレーンゲームのコーナーへ。
ぬいぐるみやフィギュア、菓子の大箱などが、透明な箱の中で器用にバランスを取っている。愛花の視線が、多種多様な景品たちを移り歩いた。
「……これは、どういうゲーム? あれをどうするの?」
(……本当に知らないんだ……クレーンゲーム)
驚愕を露わにするのは失礼だろうと、弾真はぐっとこらえながら返答する。
「……さっき言った、景品を取るゲームだよ。中にクレーンみたいな機械があるでしょ? お金を入れて、あれを操作して、何らかの方法で景品をあの受け取り口に入れれば、それがそのまま手に入るっていうゲーム」
「へえ、簡単ね」
「いやいや、単純ではあるけど、簡単ではないよ。物は試しって言うし、何か気になる景品があったら、やってみればいいんじゃない?」
「……んん……」
きょろきょろと、いろんなクレーンゲームに目を配る愛花を、横で呼ぶ声がした。
「ねえねえ愛花ちゃん、弾真くん! これとかどう?」
声の主、宮子が指さしたのは、ぬいぐるみだ。マグカップに丁度収まる程度のサイズをしたうさぎのぬいぐるみで、白や茶、黒など、様々なカラーが、山となって人の目を誘っている。
「愛花ちゃん、初めてだっていうし、こういうのから始めてみてもいいんじゃないかな? あたしがお金出すから」
「いいの? 宮子」
「うんっ。あ、もしたくさん取れたら、ひとつあたしにちょうだい? あたしうさぎ好きだから、そうしてくれたら嬉しいな」
「わかった、いいわよ。……でも、少し意外。宮子って、案外普通の女の子っぽいところもあるのね」
「そんなことないと思うよ? あたしがうさぎを好きなのは、性欲の象徴だからだし」
「取るの止めてもいい?」
「もうお金入れちゃった。えへへ」
宮子の言葉通り、ゲームのボタンの横には、残り回数を示す数字が表示されていた。五百円を一気に投入したために一回分のサービスがついて、計六回挑戦することが出来る。
「さ、頑張って、愛花ちゃん!」
「……はぁ。わかったわよ」
仕方なく、ゲームに向き直る愛花。
「それで、ここから何をすればいいの? このボタンを押せばいい?」
「ああ。一つ目のボタンで、クレーンを奥へ動かす。二つ目のボタンで横だ。押している間だけ動くから、ここだと思ったところでボタンを放せばいい」
「わかったわ」
弾真の説明を受け、とりあえず愛花は、軽く一つ目のボタンを押し、少し間をおいて放した。続けて、二つ目のボタンも同様に操作する。愛花は、うさぎの山のほとんど中央地点へとクレーンを動かした。アームが降りていき、先端がうさぎとうさぎの間に入り込んでいく。
「……えっ?」
するする、金属製のアームが、ぬいぐるみの表面を撫でて上がっていく。空を掴んだそれは、受け取り口へ続く穴の上で、意味もなく開いた。
「ああ、残念。あと五回だ」
動揺を隠せぬ愛花が、弾真に言葉で詰め寄る。
「ちょっと待って。今ので一回?」
「え? そうだけど」
「掴む力弱すぎない? あんな小さいぬいぐるみ、持ち上げるだけの力があるの?」
「ああ……まあ、一応は。確かに力は弱いけど、そういうものなんだ」
「……へえ、そう」
それ以上は何も言わず、愛花はもう一度挑戦。アームはまったく同じ道筋をたどり、まったく同じ結果をもたらした。さらにもう一度。またもや山の中央に、やる気の感じられないアームが突き刺さり、ぬいぐるみの頬をつついて、上へと戻っていく。
「っ……」
「稲穂さん、もうちょっと取りやすいやつを狙ってやらなきゃ。もっと穴に近い奴とかを――」
「黙ってて」
見かねた弾真の助言を一蹴し、愛花は再度山の中央へとアームを触らせた。またもや収穫なし、残り回数は二回。
操作台の上に手をつき、半ば前のめりになって、愛花はゲームの中を凝視している。
その様子を、やはり弾真は黙って見ていられなかった。
「あ……あの、稲穂さん。やっぱりもうちょっと標的を」
「黙ってて」
「……でもさ、今のままじゃ」
「黙ってて」
「……せ、せめてちょっと落ち着いて」
「黙ってて」
「…………はい」
取り付く島もない。弾真は、小さくため息をついた。
五回目のクレーンが動き出す。その時、弾真の袖が、くいっと引かれる感触があった。
「ね、弾真くん。これあげる」
「え? これ……」
袖を引いたのとは逆側の手で、宮子は弾真に冷たいペットボトルを差し出していた。パッケージからして、スポーツドリンクのようだ。
「何だか苦戦しそうだなって思って、買って来た。弾真くんから、愛花ちゃんにあげて? ……言ったでしょ? サポートするって」
「っ……。でも、あの様子じゃ受け取ってもらえない」
「そこはほら、考えないと。ほらほら、もう時間ないよ」
「……。わ、わかったよ」
弾真は、アームが五回目の意味のない開閉をするのを見届けた後、宮子からのよく冷えたジュースを受け取り、弾真はしばし逡巡。
「……よし。えいっ」
そしてジュースのボトルを、愛花の脇の下へと押し付けた。
「っ、ひゃああぁん!?」
素っ頓狂な声をあげ、びくりと愛花が跳ねる。その背後で、宮子が思わず吹き出していた。
冷静になるどころか、かえって顔を真っ赤にして、愛花は弾真を振り返る。
「……な、何するのよ!」
「は……はは。その、人間の脇の下って、神経が集まってる、言わば急所だから。こうすれば、反応してくれるかもって」
「……ふぅん。そう。だからって、普通そんなところに冷たいペットボトルを突き付ける? ああ、そっか。これはあなたなりの忠告ってことね。普段から急所は守っておけって、そういうことね? 心に留めておくわ。じゃあお礼に、今度は私があなたの急所に冷たい斧を突き付けてあげるわ。どこがいい? 脳天? 首? みぞおち? 心臓?」
「わ、悪かったから、それは勘弁して。……けど、稲穂さん、黙っててとしか言わないから。用事があるのに、話しかけても効果ないんじゃ、他の方法を取るしかない。違う?」
「……。用事って?」
何も言い返せず、愛花は弾真に向き直るしかなかった。
「まずは、これ。よければ飲んで」
「……。……ありがと」
ジュースを受け取って、開封し、一気に煽る。冷えた液体の感触が、愛花の喉を通り過ぎて行った。
「落ち着いた?」
「……少しはね。それで? まだ何か?」
「うん。……今日は遊びに来ているのに、こんなこと言うのは変だろうけど。僕が戦った稲穂さんは、もっと、ずっと冷静だったよ」
「っ……」
「標的をよく見て、最適な手段を取る。戦いでは基本と言えることだ。だからさ、ただ突っ込むだけじゃなく、仕留めるために最適な手段を取るようにするべきじゃないかな。……例えば、ほら」
弾真は、透明の箱の中、中央の山から零れ落ちたらしい、一匹のうさぎを指さした。
「あれなら全体が見えているから、他のぬいぐるみにアームを邪魔されない。向きからしても、いい位置を掴めそうだ。あと、ぬいぐるみの頭に小さなタグがついてるのが見える? あそこにアームの先を通せれば確実だと思う。力は弱くても、場所を選べば持ち上げることは不可能じゃない。見ている限り、初めてにしては操作も上手いし、稲穂さんなら取れると思うんだ」
「……つまり、あれを狙えってこと? ゲームをしているのは私よ。お金を出してくれた宮子の言葉ならまだしも、あなたの言うことを聞く理由はないわ」
「確かに、僕の言う通りにする必要はないけど。でも……稲穂さんはどう思う? 一息ついて、アームの性質も知った今、どの景品なら取れそうか、何となくわかるんじゃない?」
「…………」
「僕が言いたいことは言った。あとは、稲穂さんの思う通りにやってみればいい。無視されたって、僕は気を悪くなんてしないから」
「……そう」
愛花は、再びゲームへ向かう。
じっくり全体を見渡した後……ボタンを操作。押している時間が、先ほどとは異なっていた。二つ目のボタンも同じで、結果、クレーンはぬいぐるみの山の中央へは向かわなかった。
クレーンが降りていく。その先には、弾真が指さした、白いうさぎのぬいぐるみがあった。その片方の先端が、ぬいぐるみ頭頂部のタグの隙間を通り、もう片方は足の間をくぐり抜ける。
その様子を見て、愛花は息を呑み、弾真は笑う。
ぬいぐるみが、クレーンに持ち上げられる。ぐらりと揺れながら、取り出し口へ続く穴へと運ばれて行く。愛花は黙って、その様子を見ていた。
アームが穴の上で開き、初めて、成果らしい成果を愛花へともたらす。受け取り口へすぐさま手を突っ込み、愛花は白いうさぎのぬいぐるみを取り出した。
「……。取れた……」
両手で持ち、じっと見つめ、目を瞬かせる。
口角が持ち上がり、目じりが下がり、温かな吐息が漏れる。
「あ……」
それは、弾真が初めて目にする、愛花の笑顔だった。
(っ……。……稲穂さんって、こんな風に笑うんだ)
いろんな感情よりも先に驚きが来て、弾真はにわかに硬直した。
「…………。あっ」
見られていることに気付き、愛花は弾真から一瞬顔を逸らした。間をおいて、咳払いと共にぬいぐるみを弾真の眼前に突き付ける。
「んんっ。……取ったわよ」
もう愛花に笑顔はなく、いつも通りの静かな両目があるだけだった。弾真もまた平静を取り戻し、賞辞を送る。
「うん、おめでとう」
「…………。うん」
人形を手元に戻しながら、愛花は頷いた。しばらくそのままでいたが、ふと何かを思い出し、宮子へと顔を向ける。
「……宮子、はい。お金出してもらったし、これはあなたのだわ」
ぬいぐるみを差し出した手は、宮子の手に、そっと押し留められる。
「いいの、取ったのは愛花ちゃんだもん。あたしは、いっぱい取れたら、でよかったから」
「でも……」
「いいんだってば。取れて嬉しかったんでしょ? そう感じてくれただけでも、あたしは十分」
「……わかったわ。……じゃあ……」
今度は弾真に向き直り、うさぎを突き付ける。
「はい」
「え? いや、僕は……」
「あなたの助言があったから取れたのは事実よ。……だから、はい」
「……。いいよ、それは稲穂さんのだ。宮子さんも言ってたけど、取ったのは稲穂さんだから」
「でも、それだとあなたへの……ほら……」
愛花は、弾真の顔をちらちら見ながら、口元をもごもごと動かした。
「? ……もしかして、アドバイスのお礼とか……そういうの、気にしてる?」
「…………。ん」
「そんなのいいよ、気にしないで。あれは、僕が言いたくて言っただけだ」
「でも、公平じゃない。そんなの、あたしが嫌」
「……そう言われても……。……っ」
弾真は、背中に宮子の肘が突き付けられるのを感じた。それで、ふと思いつく。
「……え、えっと……。……じゃあ……無理、かも、しれないけど……」
「何?」
「……その。よければ……一度でもいいから、僕の模擬戦に、付き合ってもらえたら……とか」
「……」
愛花は騒がしい店内で、弾真との間で沈黙を作り出した。
予想通りの反応が返って来たため、弾真は内心「やはり」と思い、笑った。
「……はは、まあ駄目だよね。……じゃあ、ジュースとか……あ、ブルーベリーでも」
「いいわよ」
「……え?」
両目を丸めた弾真の前で、愛花は確かに首を縦に振った。
「模擬戦ね。私にも、試合とか鍛錬の時間があるから、いつでも必ずとは言えないけど。でも、それ以外の時間でよければ相手になるわ。一度とは言わず、何度だっていい」
「ほ、本当に?」
「ええ。私としても、普段戦うことの出来ないタイプの相手と戦えるから」
「……」
喜びよりも驚きが強く、弾真は礼も言えず、ぱちぱちと何度も瞬きをした。それに構うことなく、愛花は話を先へと進める。
「じゃあ、連絡先を交換しておいた方がいいわね。あなた、ケータイは?」
「……あ、ああ、持ってる持ってる」
宮子からの視線を横目に感じながら、二人はチャットアプリのIDを交換した。
「これでいいわね。……それじゃあ、このぬいぐるみは、本当に私がもらっていいのね?」
「ああ、もちろん」
「……わかった。受け取る。粗末にはしないわ。……うん、絶対。大切にする」
そう口にしながら、愛花はそっと、ちいさなぬいぐるみを両手で包み込んだ。
それを見ていた弾真の背後に、宮子が近づき、耳打ちをする。
「弾真くん。あたしへのお礼は? 今晩一発ヤる? それとも今からヤる? どっちがいい?」
「やらない。……今度、ちょっと高級なチョコレートでも部室に持っていく」
「ん、わかった。それでいいよ」
したたかな友人にやれやれと肩をすくめながら、手にしたぬいぐるみを見つめてこっそりと微笑んでいた愛花を見て、弾真もまた、頬を綻ばせた。




