第8話「子爵の借金と、一本目の柱」
20話中の8話目です。
侯爵家を支える三本の柱。
その一本目、グラーフ子爵家。
自室の相関図を前に、子爵家の情報を整理していた。
グラーフ子爵ハインリヒ。四十代後半。先代が侯爵家に恩を受けた縁で、二十年以上にわたって従っている。宮廷の定例会議では侯爵家の方針にかならず同調して、地方の小領主への圧力にも協力する忠実な配下だ。
でも、エルザのネットワークから得た情報で、この人の裏の顔が見えてた。
賭博。
ハインリヒ子爵は、王都の裏通りにある賭博場の常連だった。子爵家の収入じゃとても足りない額をつぎ込んで、借金が膨らんでる。返済のために侯爵家からの「報酬」を充ててるけど、それでもぜんぜん足りない。
侯爵家はこの弱みを知ってるのかもしれない。知った上で利用してるのかもしれない。いずれにせよ子爵にとって侯爵家との関係は「恩義」であると同時に「生命線」でもある。
前の人生で学んだ。生命線で繋がってる相手を引き剥がすには、べつの生命線を用意すればいい。
◇
問題は、子爵の借金を私が直接肩代わりするわけにいかないこと。
アルトハイム伯爵家の令嬢が子爵の賭博の借金を、なんてやったら目立ちすぎる。侯爵家の耳にも入る。
間に人を挟まなきゃいけない。
数日かけて、筋道を組み立てた。
まず、エルザに頼んで子爵が通う賭博場の情報を集めた。賭博場を仕切ってるのは、王都の商人ギルドに属するフリードマンって男。金貸しも兼ねてる。
次に、フリードマンの商売上の弱みを調べた。彼の金貸し業は王都の法令ではグレーゾーン。合法ではあるけど、ギルドの監査が厳しくなったら困る立場だ。
ここで、もうひとつの駒を使う。
ヘルミーネ夫人。夜会で種を蒔いた、ロートリンゲン商会の女主人。
夫人は商人ギルドの有力会員でもある。ギルドの監査方針に、一定の影響力を持ってる。
私がやったことは、ふたつだけ。
ひとつ目。ヘルミーネ夫人に別の機会に再び接触した。今度は夜会じゃなくて、学園の参観日に保護者として来てた夫人の知人を通じて、ごく自然に。話題は商人ギルドの最近の動向。夫人が「監査が甘い」とこぼしたのに同調して、「お力のある方が声を上げてくだされば」とだけ言っておいた。
ふたつ目。フリードマンの金貸し業の実態を、匿名でギルドの監査担当に報告した。手紙は元侍女のネットワークを通じて、いくつもの中継点を経由して届くようにした。私の名前はどこにもない。
結果は、思ったとおりに動いた。
◇
ギルドの監査担当が動いて、フリードマンの金貸し業に調査が入った。
フリードマンは慌てた。事業自体は合法だけど、帳簿の処理にいくつかグレーな部分がある。深掘りされるとまずい。
そうなるとフリードマンが考えることはひとつ。手元の債権を整理して身軽になること。
回収がむずかしい貸付先、つまり支払いが滞りがちな客の債権を、べつの誰かに売る。
子爵の借金は、まさにその「回収困難な債権」にあたる。
そして、債権の買い手はもう用意してあった。
エルザの紹介で知り合った、王都の小さな両替商。表向きは独立した商人だけど、その運転資金の一部は私がアルトハイム家の個人資産からこっそり出してる。
両替商はフリードマンから子爵の債権を額面の六割で買い取った。フリードマンは厄介な債権を処分できて、両替商は利益を得る。みんなが合理的な判断をしただけの、ふつうの商取引。
ただし結果として、子爵の「借金の持ち主」が侯爵家の影響圏にある金貸しから、私が間接的に動かせる両替商に移った。
ここまでの流れに、私の意思は一切出てない。
ギルドの監査は匿名の通報がきっかけ。フリードマンの債権処分は彼自身の判断。両替商の買い取りは市場原理。すべての点が、それぞれ独立した判断の結果として繋がってる。(前の人生で上司がよく言ってた。「お前が動いたと分かる時点で三流だ。全員が自分で判断したと思ってるのが一流の根回しだ」って)
あの人に褒められたことは一度もなかったけど、今ならたぶん、及第点はもらえると思う。
◇
ここからが仕上げ。
両替商が子爵に連絡を取った。内容は穏やかなものだ。
「フリードマン殿から債権を引き継ぎました。ご返済の期限については、柔軟に対応させていただきます。ご無理のないように」
脅しでも取り立てでもない。むしろ逆。
今まで返済に追われてた子爵にとって、これは信じられないくらいの温情に見えるはず。
子爵は安心する。そしてこの両替商に恩義を感じる。
両替商と私の繋がりを、子爵は知らない。知るすべもない。
恩は貸すな。気づかれないように置いておけ。
上司の言葉が、また頭のなかで響いた。
◇
数日後。エルザから報告があった。
「子爵のお屋敷の使用人から聞いたのですが——旦那様が最近、少しお顔色がよくなったと。以前は夜も眠れないご様子でしたが、ここ数日は穏やかにお過ごしだと」
そっか。
子爵は長いあいだ苦しんでたんだ。侯爵家に従い続けるために賭博に溺れて、借金に追われて、それでも逆らえない。
かわいそうだとは思う。でも、同情だけじゃ何も変わらない。
私がやってるのは子爵を救うことじゃない。子爵と侯爵家のあいだに、目に見えないクサビを打ち込むこと。
今すぐ子爵が侯爵家を裏切ることはない。
でもいずれ選択を迫られたとき、「侯爵家なしでもやっていける」って実感が、子爵の判断を変える。借金の鎖が外れた人間は、かつての主人に無条件には従えなくなるものだ。
その変化は外からはほとんど見えない。会議での発言が一拍遅れる程度の、ほんのかすかな変化。
でも、一拍で十分。
その一拍が積み重なれば、やがて侯爵家は気づく。会議の空気が前と違うことに。あの即座の追従が、ちょっとずつ遅れてることに。
でもそのころには、二本目も三本目も、もう手遅れになってる。
◇
夜。自室で相関図を広げた。
子爵家の名前の横にある赤い丸に、細い線で取り消し線を引く。
手がすこし震えた。緊張じゃない。達成感でもない。
これは、まだ始まりにすぎない。
三つの柱のうち、ひとつ目を揺らしただけ。折ったわけじゃない。侯爵家が本気で引き止めにかかれば、子爵は元に戻るかもしれない。
でも、たしかに動いた。
私の手で、ひとつの駒が動いた。
相関図をしまって、窓の外を見た。月が出てる。ふと、バルコニーのことが——
(考えるな。あの人のことは今は考えるな)
月を見ると、あのバルコニーを思い出す。青灰の瞳を思い出す。「そっちの君のほうがいい」って声がよみがえる。
復讐の糸を紡ぐ私と、あの声に揺れる私。同じひとりの人間のはずなのに、うまく重ならない。
ランプを消して、ベッドに潜り込んだ。
明日も従順な令嬢の顔をしなきゃいけない。
明日も誰にも見えないところで、糸を紡がなきゃいけない。
暗がりのなかで、目を閉じた。
三つのうちの、ひとつ。
次は——マリアンヌ。
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