第7話「第二王子の違和感」
20話中の7話目です。
俺の朝は、書類の山から始まる。
王宮の東棟、第二王子の執務室。窓から差し込む朝日が、机に積まれた報告書を照らしていた。地方領主からの陳情、税収の報告、貴族同士の揉めごとの調停案。兄上が「退屈だ」と投げ出した案件が、毎週のように回ってくる。
第二王子ってのは、要するにそういう役回りだ。
華やかな場に立つのは兄上。裏で帳尻を合わせるのが俺。別にそれを不満に思ったことはない。宮廷の派手な場は性に合わないし、書類と数字のほうがずっと正直で扱いやすい。
最近まで、そう思ってた。
◇
異変に気づいたのは、先週のこと。
兄上を支持する貴族グループ——実質的にはヴェルナー侯爵家の勢力圏だが——の動きに、微妙な変化があった。
きっかけはちっぽけなことだった。宮廷の定例会議で、侯爵家と親しい子爵が発言を求められたとき、以前なら間を置かず侯爵家の方針に同調してたのに、一拍遅れた。
一拍。それだけ。
ほかの誰も気にしてなかった。でも俺には、その「一拍」がひっかかった。
会議のあと、過去の議事録と突き合わせてみた。子爵の発言パターンは、ここ数年で初めて変化していた。前は侯爵家の発言の直後にすかさず追従してたのが、最近はほかの議題で時間を稼いでから、あいまいな形で同意するようになっている。
はっきりした離反じゃない。でも、距離を測り始めてる。
なぜだ。何が変わった。
次に目についたのが、ロートリンゲン商会の動き。侯爵家への宮廷納品を一手に担う商会が、最近になって東部のシュヴァルツ商会との接触を始めたという報告があった。侯爵家以外との取引ルートを探ってる。
これも表面上は「取引の多角化」にすぎない。でもタイミングが妙だ。
子爵の態度の変化と、商会の動き。ひとつひとつは小さい。でも並べてみると、侯爵家の周辺で何かが少しずつ動いている。
書架から宮廷の人事記録と社交記録を引っぱり出して、ここ数ヶ月の動きを洗い直した。
そして——ひとつの名前が浮かんだ。
◇
リーゼ・フォン・アルトハイム。
兄上の婚約者。伯爵家のひとり娘。社交界では「地味」「おとなしい」「目立たない」と言われる令嬢。
宮廷の記録には、ほとんど足跡がない。夜会に出席して、壁際で微笑んで、誰とも深い話をせずに帰る。そういう令嬢だとみんなが思ってる。
だが、記録を時系列で追ってみると、妙なことに気づいた。
先月の夜会。出席者名簿にリーゼの名前がある。同じ夜会に、ロートリンゲン商会のヘルミーネ夫人も出席していた。
その翌週、ヘルミーネ夫人がシュヴァルツ商会と初めて接触。
偶然か?
たぶん偶然だ。「地味な婚約者」が商会の女主人と話をしたところで、何が起きるってんだ。
頭ではそう結論づけた。
でも、あのバルコニーでの目が頭をよぎる。
目が笑ってなかった。
完璧すぎる仮面の下に何かを隠してる目。あんな目で笑う人間が、本当に「地味でおとなしい令嬢」なのか。
もうひとつ。
図書室で見た、あのノート。鉱業権の二重課税の計算式。あれを書ける人間はこの学園に数えるほどしかいない。少なくとも、ただの嫁入り前の令嬢の知識じゃない。
偶然が重なりすぎてる。
書類を机に置いて、窓の外を見た。
宮廷の中庭に、侯爵家の紋章が入った馬車が止まっている。あの家の人間がこの宮廷をでかい顔で歩き回る光景には、もう見慣れた。兄上の後ろ盾であり、実質的に王太子派閥を動かしている家。
俺が侯爵家をどう思ってるかは、まだ誰にも言ってない。
正義感、なんて言えば聞こえはいい。
でも正直なところ、侯爵家のやり口には前から引っかかるものがあった。地方領主への圧力。商権の独り占め。宮廷人事への口出し。どれも証拠を掴めるほど荒くはないけど、数字を追えばゆがみは見える。
帳尻を合わせる係をやってる人間には、帳尻が合ってない部分がよく分かるのだ。
それでも今まで動かなかったのは、確証がなかったから。
そして、あの令嬢が現れるまでは、動く理由もなかったから。
◇
執務室の椅子にもたれて、天井を見上げた。
仮にだ。
リーゼ・フォン・アルトハイムが、ただの令嬢じゃないとする。侯爵家の周辺で起きてる変化の裏に、あの女が関わってるとする。
目的は何だ。なんのためにそんなことをする。
分からない。
分からないけど、放っておけない。
放っておけない理由が、職務上の心配なのか、それとも別のなにかなのか。そこは考えないことにした。
(……考えたくなかった、ってのが本音だけどな)
◇
午後。宮廷の回廊で、偶然兄上とすれ違った。
兄上の隣にはエミーリア嬢がいた。ふたりは楽しそうに笑ってて、俺に気づくと兄上が軽く手を挙げた。
「おう、クロード。また書類に埋もれているのか。たまには外に出ろ」
「兄上こそ、たまには書類に目を通されてはいかがですか」
「はは、手厳しいな」
兄上はまるで気にした様子もなく笑って、エミーリア嬢と連れ立って去っていった。
婚約者がいるのに、堂々とべつの女を連れ歩く。前の俺なら「兄上らしいな」で片づけてた。
エミーリア嬢の笑顔は華やかだ。男が見たいと思うような笑い方をする。兄上が惹かれるのも分からなくはない。
でも、あの笑顔はなにかに似てる。
そうだ。リーゼ・フォン・アルトハイムの笑顔に似てる。「完璧に作られてる」って意味で。
ただし決定的に違うところがひとつ。エミーリア嬢の笑顔は「見せるため」に作られてる。あの令嬢の笑顔は「隠すため」に作られてる。
今は、少しだけべつのことを考える。
あの「婚約者」は、これを見てどう思ってるんだろう。
悲しんでるのか。怒ってるのか。それとも、もっとべつのことを考えてるのか。
あの目が笑ってない女は、兄上に捨てられることを、本当に怖がってるのか。
◇
夕方。執務室に戻って、一日の報告書を整理する。
侯爵家の周辺の変化。子爵の態度。商会の動き。その中心にいるかもしれない、ひとりの令嬢。
確証はない。ぜんぶ俺の推測にすぎない。
でも確かめたい。
あの仮面の下に、なにがあるのか。あの目の奥で、なにが動いてるのか。
それは王子としての職務だ。宮廷の安定に関わるかもしれない以上、調べるのは正当な行為だ。
(……そう自分に言い聞かせてるだけだろ)
職務だ。これは職務。
図書室で見た、あの顔を思い出す。
「愚かではありませんので」と言い放ったときの硬い声。取り繕いをぜんぶ脱ぎ捨てたみたいな、冷たくて、鋭くて、きれいな表情。
あれが、あの女の本当の顔だ。
もう一回見たい。
あの顔を。あの声を。
……あの目が見たいだけじゃない。
思わず自分の頬をぱんと叩いた。
鈍い音が、静かな執務室に響いた。
「……職務だ」
誰もいない部屋で、声に出して言った。
窓の外を見る。もうすっかり日が落ちて、宮廷の灯りが回廊をぼんやり照らしてた。
あの令嬢は今ごろ、学園の寮で何してるんだろう。
また窓際の席で分厚い本を読んでるんだろうか。あの小さな字でびっしりノートを埋めてるんだろうか。覗き込んだときに一瞬だけむき出しになった目。「愚かではありませんので」。
あの声を思い出すだけで口元がゆるむのは——
もう一回、頬を叩いた。
「職務だ。——職務だから」
説得力は、ゼロだった。
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