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第5話「侍女の手紙と、地方領主の恩」

20話中の第5話です。

 あの夜会から数日が経った。


 クロード殿下のことは、考えないことにした。考えても仕方ない。あの人が仮面の存在に気づいたとしても、その下に何があるかまでは知らない。警戒はする。でも計画を変える必要はない。


 私には、やるべきことがある。


 ◇


 日曜日の朝。学園の休日を利用して、私は王都の外れにある小さな茶館を訪れた。

 貴族が来るような店じゃない。石畳の路地裏にある、古い看板が軋む庶民の店。だからこそ、侯爵家の目が届かない。


 奥の席に、ひとりの女性が待っていた。


「お久しぶりです、リーゼ様」


 エルザ。かつてアルトハイム家に仕えてた侍女だ。

 侯爵家の「配置転換」で辞めさせられたひとり。今は王都の仕立て屋で働いている。三十代半ば、落ち着いた雰囲気のなかに芯の強さがある女性だった。


「エルザ、元気にしてた?」


 仮面は外す。この人の前では、外していい。

 エルザは私が小さい頃から世話をしてくれた人だ。侯爵家に追い出されたあとも、こっそり繋がりを保ってきた。


「ええ、おかげさまで。——それで、お手紙の件ですが」


 エルザが鞄から封筒を取り出した。なかには数枚の紙が入っている。

 手紙の写し。侯爵家の家令ディートリヒが、あちこちの貴族に送った書簡の控えだ。


「仕立て屋のお客に、侯爵家のお屋敷で働いている女中がおりまして。その方から少しずつ」


 辞めさせられた元侍女たちは、それぞれの職場で新しい人脈を作っていた。仕立て屋の客、市場の商人、貴族の屋敷の使用人。下働きの人たち同士の繋がりは、貴族の目には映らない。

 私はこのネットワークを時間をかけて育ててきた。元侍女たちに無理は言わない。「何か面白い話があったら教えてね」ってお願いしてるだけ。見返りは、新しい職場の紹介状とか、困ったときの相談役とか。(前の人生で学んだことだ。ネットワークは恩と信頼で動く。命令じゃ動かない)


「ありがとう、エルザ。くれぐれも無理しないでね」


「リーゼ様こそ」


 エルザが少しだけ声を落とした。


「……あの家のこと、本気でやるおつもりですか」


 私は微笑んだ。仮面じゃない、本物の笑顔で。

 ただ、その笑顔が穏やかだったかどうかは……自信がない。


「本気よ」


 エルザは何も言わなかった。小さくうなずいて、お茶を一口飲んだ。

 昔からそう。この人は、余計なことを聞かない人だ。


 ◇


 茶館を出て、学園の寮に戻る。

 自室の鍵を閉めて、エルザからもらった手紙の写しを広げた。


 侯爵家の家令ディートリヒ。侯爵家の「汚れ仕事」を一手に引き受ける男だ。表向きは礼儀正しい執事だけど、裏では脅しまがいの手紙を平然と書く。父にあの手紙を送ってきたのも、こいつ。


 写しのなかに、一通。目を引くものがあった。


 宛先はブレンナー男爵。王都から馬車で二日ほどの地方の領主だ。

 内容は、要約するとこう。


 「貴殿の領地の鉱山の採掘権について、ヴェルナー侯爵家が管理を引き継ぐのが望ましい。王都での貴殿の立場を考えれば、賢明なご判断をされることと信じている」


 丁寧な言葉づかいの裏に、はっきりとした脅し。逆らえば王都での地位を脅かすぞ、って意味だ。

 父に送られてきた手紙と同じ手口。同じ男の筆跡。


 ブレンナー男爵。

 私の相関図にはもう名前がある。侯爵家の勢力圏の端っこにいる小さな領主。侯爵家に従ってはいるけど、本心では不満を持ってるはず。自分の鉱山を取られかけてるんだもの。


 (……ここだ)


 この人に恩を売る。ただし、直接じゃなく。私の名前は出さない。


 ◇


 翌日。学園で、ある人物を訪ねた。


 学園の教務主任、フリッツ先生。白髪まじりの穏やかなおじいさんで、入学審査を担当している。前に図書室で税制の調べものをしてたとき知り合った。私が領地の経営に関心を持ってることを、好意的に見てくれてる数少ない人。


「先生、少しお聞きしたいことがあるのですが」


「おや、リーゼ嬢。何でしょうかな」


「地方の領主のお嬢様が学園への入学を希望された場合、推薦はどのように——」


 世間話のふりをして、入学審査の仕組みを確認する。地方領主の子弟が王都の学園に入るには、有力貴族の推薦状が必要なこと。そしてフリッツ先生自身も、教務主任の権限で推薦に相当する紹介状を出せること。


「先生のお考えで、地方の優秀なお子さんを推薦されることもあるのですか?」


「ええ、ありますとも。才能ある若者に門戸を開くのは教育者の務めですからな。もし心当たりがあればいつでも」


「ありがとうございます。勉強になりました」


 にっこり笑って、その場を離れる。

 フリッツ先生は「好奇心旺盛な令嬢が質問に来た」くらいにしか思ってないだろう。


 次に、私はもう一通の手紙を書いた。

 宛先はフリッツ先生。内容は「ブレンナー男爵のご息女が学園に興味を持っておられるようです」という、さりげない一筆。

 差出人は書かない。学園の教師仲間から聞いた噂話、って体裁にしておく。


 フリッツ先生は教育熱心な人だ。地方領主の子弟の話を聞けば、自分から男爵に連絡を取るだろう。男爵の娘は学園に入学できて、男爵は「王都に味方がいる」と感じる。

 その恩は、私には繋がらない。私の名前はどこにも出ない。


 でも、いずれ回収する。

 男爵が侯爵家の脅しに屈しかけたとき、王都に味方がいるという安心感が、ほんのちょっとだけ抵抗する力になるかもしれない。そのときに、私がそっと手を差し伸べれば。


 前の人生の上司は、こうも言ってた。


 ——恩は貸すな。気づかれないように置いておけ。相手がホントに困ったときに初めて意味を持つ。


 乱暴で口の悪い人だったけど、営業のコツだけはホンモノだった。


 ◇


 夜。自室で相関図を広げた。

 ブレンナー男爵の名前の横に、小さく印をつける。まだ赤い丸じゃない。種を蒔いただけの、鉛筆の点。


 三つの柱を崩すための布石は、少しずつ増えている。

 ヘルミーネ夫人への種。ブレンナー男爵への恩。ひとつひとつは小さい。でも、小さな糸が積み重なれば、やがて網になる。


 窓の外を見た。月が出てる。

 あの夜会のバルコニーが頭をよぎる。月明かりのなかで、青灰の瞳が——


 だめだめ。考えない。


 相関図に目を戻す。侯爵家を支える三つの家。子爵家、マリアンヌの家、もうひとつ。

 それぞれの弱点はつかんである。あとは、正しい順番で、正しいタイミングで——


 ノックの音がした。


「リーゼ様、お手紙が届いております」


 侍女の声。侯爵家が送り込んだ監視役のひとりだ。

 さっと相関図を引き出しにしまって、いつもの顔を作ってドアを開けた。


「ありがとう。どなたから?」


「学園の事務局からですわ」


 受け取って、侍女が去るのを待ってから封を切る。

 なかみは学園行事のお知らせ。来月の慈善バザーの実行委員の募集だった。


 慈善バザー。たくさんの学園生が参加する大きな行事。侯爵家の関係者も当然出席する。

 マリアンヌも。


 案内状を机に置いて、しばらく眺めた。

 二本目の柱を崩すための舞台が、向こうから用意されようとしてる。


「……ありがたいわね」


 ひとりごとをつぶやいて、ランプの灯りを落とした。


面白ければ、ブックマークや評価で応援いただけると嬉しいです。


本日は5話迄 投稿します。

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