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第4話「目が笑っていない」

20話中の第4話です。

「ごきげんよう、クロード殿下。こんなところでお会いするとは」


 完璧な微笑み。完璧なお辞儀。

 何百回と繰り返してきた「従順な令嬢」のあいさつを、一分のスキもなくやってみせた。


 クロード殿下は、バルコニーの入り口に寄りかかったまま動かない。

 月明かりに照らされた銀灰色の髪が、夜風に揺れている。青灰の瞳が、じっと私を見ていた。


「……殿下?」


 返事がない。

 数秒の沈黙が、やけに長く感じられた。この人は何を見てるんだろう。私の仮面に、どこかほつれでもあったかしら。


「ああ、すまない。少し考え事をしていた」


 ようやく口を開いた殿下は、気のない声でそう言った。バルコニーの手すりまで歩いてきて、私の隣に立つ。ひとり分の距離を開けて。


「兄上の式典の後、ずいぶんと大変だったろう」


「……お気遣いありがとうございます。ですが、殿下のご宣言は正当なもの。私にはもったいないお話でしたから」


 模範的な返答。殿下は悪くない、私が至らなかった。この国の令嬢なら誰でもそう答える。


 クロード殿下が、小さく息を吐いた。

 ため息なのか苦笑なのか、分からなかった。


「君は、いつもそうなのか」


「……といいますと?」


「聞かれたことに、聞かれた通りに答える。求められた通りの顔をする。求められた通りの言葉を返す」


 心臓がどくん、とひとつ跳ねた。

 顔には出さない。出しちゃだめだ。


「殿下、私はただ——」


「いつもそんな笑い方をするのか?」


 さえぎるように言われて、私の口が止まった。


 殿下がこちらを向いた。

 青灰の瞳が、月明かりのなかで真っすぐに私を射抜いている。


「——目が笑っていない」


 ◇


 しん、と静まり返った。


 夜風が吹き抜ける。バルコニーの下で噴水の水音がする。広間からは楽団の旋律がかすかに届いてくる。

 それだけが、この沈黙を埋めていた。


 目が笑っていない。


 たった一言で、この人は私の仮面を見抜いた。

 何百回も社交の場に出て、何十人もの貴族と言葉を交わして、誰ひとり気づかなかったことを。侯爵家の人たちでさえ、私を「従順で退屈な令嬢」だと信じて疑わなかったのに。


 前の人生でも、こんなことはなかった。上司にも同僚にも、私が本当に何を考えてるか見抜いた人なんていなかった。みんな「がんばり屋の後輩」か「使い勝手のいい部下」としか思ってなかった。


 なのに。この人は。


 動揺を、笑顔で塗りつぶす。


「まあ、殿下ったら。目が笑っていないだなんて、面白いことを仰いますのね」


 ころころと笑ってみせる。社交の場で何度も使った、無害な笑い声。


「お酒の飲みすぎではありませんか? 月明かりのせいで、影が少し濃く見えるのでしょう」


 完璧。軽く受け流して、冗談にしてしまう。これで大抵の相手は引き下がる。


 クロード殿下は、引き下がらなかった。


「今のもそうだ」


「え?」


「目は笑ってない。声だけ笑っている」


 息が、止まった。


 この人は本気で見てる。社交辞令なんかじゃない。私の笑い方、声の温度、目の奥の光。ぜんぶ見てる。


 背筋をぞわっと冷たいものが駆け抜けた。

 怖い。見抜かれることへの、純粋な恐怖だ。


 私の計画は「誰にもホントの顔を見せないこと」で成り立っている。従順な仮面の下で策を進めて、誰にも気づかれないまま侯爵家の足場を崩す。なのに、出会って数分でこの人は仮面の存在に気づいてしまった。


 逃げなきゃ。

 これ以上この人としゃべってたら、何かが崩れる。


「——夜風に当たりすぎてしまいました。殿下、失礼いたしますわ」


 お辞儀をして、くるっと背を向ける。

 早く。早くこの場から離れなきゃ。


「一つだけ」


 背中に、声がかかった。

 足が止まる。止めたくなかったのに、勝手に止まってしまった。


「別に、責めているわけじゃない」


 振り返ると、殿下はまだ手すりに寄りかかったまま、庭園のほうを見ていた。


「この宮廷で、目まで笑っている人間のほうが珍しい。大抵は仮面をつけて生きている」


 こっちを見ないまま、淡々と続ける。


「ただ——君の仮面は、少し上手すぎる。上手すぎて、逆に目立つ」


 何を言えばいいのか、分からなかった。

 いつもなら、どんな言葉にも完璧な返しを用意できるのに。


「おやすみ、アルトハイム嬢。夜風で身体を冷やさないように」


 それだけ言って、殿下は広間のほうへ歩き出した。

 すれ違いざま、ほんの一瞬だけ目が合った。


 その青灰の瞳に何が映っていたのか。

 読み取る余裕は、なかった。


 ◇


 同じ頃。


 広間に戻ったクロードは、壁際でグラスを手に取りながら、自分でもうまく説明できないもやもやを感じていた。


 不思議な女だ。

 完璧に笑ってる。完璧すぎて、不自然だった。あの笑顔の下に何があるのか、それが分からないのが妙に気になる。

 兄の婚約者。地味で、従順で、話題にもならない令嬢。宮廷の誰もがそう思っている。

 でも、あの目は違った。

 バルコニーで逃げるみたいに背を向けた瞬間、ほんの一瞬だけ、仮面の下の何かが覗いた気がした。


 もう一回、話してみたい。

 (……なんでだ)


 ◇


 殿下の姿がバルコニーの向こうに消えてから、私はやっと息を吐けた。


 手すりをつかむ手が、かすかに震えてた。

 寒さのせいじゃない。


 何なの、今の。

 あの人は何者なの。


 第二王子。王位継承権第二位。政務に関わってるけど社交界ではほとんど話題にならない。兄みたいに注目を浴びることを好まず、宮廷の裏で実務を回してるタイプ。そこまでは知ってた。

 でも、あんな目をする人だとは思わなかった。


 式典の日の視線は、気のせいだと思ってた。

 気のせいじゃなかった。


 あの人は見てる。ほかの誰も気にしないものを、ちゃんと見てる。


 冷静になれ、リーゼ。

 ひとりの人間に仮面の存在を気づかれたからって、計画が破綻するわけじゃない。バレたのは「仮面をつけてること」であって、「仮面の下に何があるか」じゃない。


 この人の前では、もっと慎重にすればいいだけ。

 接触を減らす。会話を避ける。第二王子と関わる理由なんて、もともとない。


 ないんだから、避ければいい。それだけ。


 なのに。


 あの言葉が、耳の奥でぐるぐる回ってた。


 ——目が笑っていない。


 見抜かれた怖さとは別の、もっと奥のほうがちいさく震えてた。


 仮面をつけてから、ずっと。

 誰にも気づかれないのは当然だと思ってきた。気づかれないのが正しい。気づかれないことが安全。

 でも、気づかれないってことは、本当の私は誰にも見えてないってことでもある。


 前の人生でも。この人生でも。


 見てほしいなんて、思ったことなかったはずだ。

 なかったはずなのに——


 頭をぶんぶん振る。

 余計なこと考えてる。今夜はヘルミーネ夫人への種蒔きが成功した。それで十分。あの第二王子のことは、忘れればいい。


 バルコニーを離れて、回廊を歩き出す。

 広間から漏れる灯りが、石畳に長い影を落としていた。


 忘れればいい。

 忘れれば……。


 忘れられたら、よかったのに。


面白ければ、ブックマークや評価で応援いただけると嬉しいです。


本日は5話迄 投稿します。

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