第3話「夜会と、最初の種」
20話中の3話目です。
王宮の大広間が、シャンデリアの光で金色に染まっている。
春の夜会。王族主催の社交の場に、私は第一王子の婚約者として出席していた。
淡い紫のドレスに、控えめな銀の髪飾り。侯爵夫人から「あまり目立つ装いは避けなさいね」と言われている。王子の婚約者のくせに、王子の隣には立たせてもらえない。私の定位置は広間の端っこ。壁の花ってやつだ。
エルヴィン殿下は広間の真ん中で、取り巻きの貴族たちに囲まれて笑ってる。その傍らにはいつの間にか、男爵令嬢のエミーリアが寄り添っていた。
周囲はそれを見て見ぬふり。婚約者がいるのに別の女を侍らせるなんて普通なら大問題だけど、侯爵家が黙認してるから誰も口を挟まない。
私も、黙ってる。
従順な婚約者は、嫉妬なんてしないもの。(……嫉妬する気持ちなんて最初からないんだけどね)
グラスを傾けながら、広間をぐるっと見渡す。今夜の目的は、殿下の隣で微笑むことじゃない。
視線の先に、ひとりの婦人がいた。
ロートリンゲン商会の女主人、ヘルミーネ夫人。
五十代半ば。旦那様を亡くしてから商会をひとりで切り盛りしている、かなりのやり手だ。侯爵家とは古い取引関係があって、宮廷への納品を一手に引き受けている。
そして、侯爵家の「搾取先リスト」のなかでも、とくに不満が溜まっているはずの人。
前の人生でイヤというほど見てきた。大口顧客に依存してる取引先ほど、不満を表に出せない。でも不満は確実にある。それを引き出すのが、営業の仕事だった。
グラスをテーブルに置いて、自然な足取りで夫人のそばへ向かう。
◇
「まあ、ヘルミーネ夫人。ご無沙汰しております」
声をかけると、夫人はちょっと驚いた顔をした。王子の婚約者が自分から話しかけてくることなんて、滅多にないのだろう。
「これはリーゼ嬢。お元気そうで何よりですわ」
社交辞令の微笑み。警戒はしてない。私はただの「地味な婚約者」だから。
「夫人のお屋敷のお庭、先日お馬車で前を通りかかったときに拝見しましたの。白い薔薇がとても見事で……あの品種は、南部のものですか?」
「あら、よくお分かりになりましたわね。ええ、南部の農園から取り寄せた苗でして——」
ここからは、前の人生のスキルだ。
営業でいちばん大事なのは、相手に気持ちよくしゃべらせること。聞き上手は、話し上手よりずっとたくさんの情報を手に入れる。
薔薇の話から庭の手入れへ。庭の手入れから領地の話へ。領地の話から、自然に商売の話へ。
「——最近は仕入れの値も上がりまして、なかなか厳しゅうございますわ」
夫人の声が、ほんの少しだけ曇った。
ここだ。
「まあ、大変ですわね。ヴェルナー侯爵家とのお取引は長いとお聞きしていますけれど……やはり、ご苦労も多いのでしょうか」
さりげなく核心に触れる。大事なのは、深入りしないこと。こっちから踏み込みすぎると警戒される。相手が自分から話したくなるように、ほんの少しだけ扉を開ける。
夫人が一瞬、口をつぐんだ。
周りをきょろっと見回す。誰も聞いてないのを確かめてから、声をひそめた。
「……正直に申しますとね、リーゼ嬢。近頃は納品の条件が厳しくなる一方で。こちらの利幅は年々薄くなっておりますの。それでも侯爵家との取引を切るわけにはいきませんから」
(ビンゴ)
顔には出さない。ただ、深くうなずいてみせる。
「それはおつらいですわね……。私には商いのことは分かりませんけれど、夫人がこれほどご尽力されているのに、報われないのは悲しいことですわ」
同情する。でも、解決策は出さない。まだ早い。
「ところで——先日、東部のシュヴァルツ商会が宮廷への卸を始めたと耳にしましたわ。夫人の扱う品とは少し分野が違うようですけれど、南部の素材に強いとか。もしご存じなければ、お名前だけでもお伝えしようかと思いまして」
これは「善意の世間話」だ。少なくとも、表面上は。
でも、ヘルミーネ夫人ほどの商人なら、この情報の意味が分かるはず。侯爵家以外にも選択肢がある、ということ。依存先はひとつじゃなくていい、ということ。
夫人の目が、一瞬だけ鋭くなった。
そしてすぐ、穏やかな笑みに戻る。
「まあ、ご親切にありがとうございます。覚えておきますわ」
深くは聞かない。私も深くは言わない。
それでいい。種は蒔いた。芽を出すかは、夫人次第。
「素敵なお話ができて嬉しかったですわ、夫人。またお庭のこと、教えてくださいませ」
にっこり笑って、その場を離れる。
背を向けた瞬間、夫人の視線が私の背中にとどまるのを感じた。「この子、ただの地味な婚約者じゃないかも」。そんな小さな疑問が、夫人のなかに生まれたはず。
でも今はまだ、それ以上は考えないだろう。
◇
夜会はまだ続いている。
広間では楽団が新しい曲を奏で始めて、若い貴族たちがダンスの輪を作っていた。エルヴィン殿下がエミーリア嬢の手を取って踊りに加わる。周りからため息みたいな空気が漏れたけど、私は見てないふりをした。
壁の花にも、限界がある。
前の人生なら、こういうとき同僚と愚痴を言い合えた。居酒屋の隅で「あの取引先ほんと無理」って笑い飛ばせた。でもここには、そんな相手がいない。侯爵家の目があるかぎり、誰にも本音は見せられない。
少しだけ息を抜きたくて、広間を抜け出した。
バルコニーに出ると、夜風が頬を撫でた。
春とはいえ、夜はまだちょっと冷える。でも、広間のむわっとした熱気と香水の匂いより、冷たい空気のほうがずっとマシだった。
手すりに手を置いて、庭園を見下ろす。月明かりに照らされた噴水が、銀色にきらきら光ってた。
今夜の収穫を、頭のなかで整理する。
ヘルミーネ夫人の不満は本物だ。侯爵家との取引に限界を感じてる。今すぐ動くことはないだろうけど、いずれ選択を迫られる場面が来る。そのとき、今夜の会話を思い出してくれればいい。
ひとつ目の種は蒔いた。
次は——
「——兄上の婚約者殿か」
背後から、声がした。
低くて、素っ気なくて、それでいてどこか面白がっているような響き。
振り返る前に、完璧な笑顔を貼りつけた。
仮面の装着には、もう一秒もかからない。
バルコニーの入り口に、ひとりの青年が寄りかかっていた。
銀灰色の髪に、冷めた青灰の瞳。エルヴィン殿下みたいな華やかさはない。そのかわり、こっちを見透かすような静けさがある。
第二王子、クロード・ヴァン・レーヴェンハルト。
王位継承権第二位なのに、社交界ではほとんど話題にならない人物。政務に関わってるとは聞くけど、兄みたいに人前に出ることは好まないらしい。
式典の日、広間の壁際から私を見ていた——あの目。
あの視線のことは、忘れてなかった。
「ごきげんよう、クロード殿下。こんなところでお会いするとは」
完璧な微笑み。完璧なお辞儀。完璧な、壁の花の令嬢。
クロード殿下は、それを黙って見てた。
数秒。長い数秒だった。
「……ああ、ごきげんよう」
気のない返事。でも、その目だけが笑ってなかった。
いや……笑ってないのは、私のほうか。
この人の目には、何が映ってるんだろう。
月明かりの下、夜風がふたりの間を通り抜けた。
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本日は5話迄 投稿します。




