表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/18

第3話「夜会と、最初の種」

20話中の3話目です。

 王宮の大広間が、シャンデリアの光で金色に染まっている。


 春の夜会。王族主催の社交の場に、私は第一王子の婚約者として出席していた。

 淡い紫のドレスに、控えめな銀の髪飾り。侯爵夫人から「あまり目立つ装いは避けなさいね」と言われている。王子の婚約者のくせに、王子の隣には立たせてもらえない。私の定位置は広間の端っこ。壁の花ってやつだ。


 エルヴィン殿下は広間の真ん中で、取り巻きの貴族たちに囲まれて笑ってる。その傍らにはいつの間にか、男爵令嬢のエミーリアが寄り添っていた。

 周囲はそれを見て見ぬふり。婚約者がいるのに別の女を侍らせるなんて普通なら大問題だけど、侯爵家が黙認してるから誰も口を挟まない。


 私も、黙ってる。

 従順な婚約者は、嫉妬なんてしないもの。(……嫉妬する気持ちなんて最初からないんだけどね)


 グラスを傾けながら、広間をぐるっと見渡す。今夜の目的は、殿下の隣で微笑むことじゃない。

 視線の先に、ひとりの婦人がいた。


 ロートリンゲン商会の女主人、ヘルミーネ夫人。

 五十代半ば。旦那様を亡くしてから商会をひとりで切り盛りしている、かなりのやり手だ。侯爵家とは古い取引関係があって、宮廷への納品を一手に引き受けている。

 そして、侯爵家の「搾取先リスト」のなかでも、とくに不満が溜まっているはずの人。


 前の人生でイヤというほど見てきた。大口顧客に依存してる取引先ほど、不満を表に出せない。でも不満は確実にある。それを引き出すのが、営業の仕事だった。


 グラスをテーブルに置いて、自然な足取りで夫人のそばへ向かう。


 ◇


「まあ、ヘルミーネ夫人。ご無沙汰しております」


 声をかけると、夫人はちょっと驚いた顔をした。王子の婚約者が自分から話しかけてくることなんて、滅多にないのだろう。


「これはリーゼ嬢。お元気そうで何よりですわ」


 社交辞令の微笑み。警戒はしてない。私はただの「地味な婚約者」だから。


「夫人のお屋敷のお庭、先日お馬車で前を通りかかったときに拝見しましたの。白い薔薇がとても見事で……あの品種は、南部のものですか?」


「あら、よくお分かりになりましたわね。ええ、南部の農園から取り寄せた苗でして——」


 ここからは、前の人生のスキルだ。

 営業でいちばん大事なのは、相手に気持ちよくしゃべらせること。聞き上手は、話し上手よりずっとたくさんの情報を手に入れる。


 薔薇の話から庭の手入れへ。庭の手入れから領地の話へ。領地の話から、自然に商売の話へ。


「——最近は仕入れの値も上がりまして、なかなか厳しゅうございますわ」


 夫人の声が、ほんの少しだけ曇った。

 ここだ。


「まあ、大変ですわね。ヴェルナー侯爵家とのお取引は長いとお聞きしていますけれど……やはり、ご苦労も多いのでしょうか」


 さりげなく核心に触れる。大事なのは、深入りしないこと。こっちから踏み込みすぎると警戒される。相手が自分から話したくなるように、ほんの少しだけ扉を開ける。


 夫人が一瞬、口をつぐんだ。

 周りをきょろっと見回す。誰も聞いてないのを確かめてから、声をひそめた。


「……正直に申しますとね、リーゼ嬢。近頃は納品の条件が厳しくなる一方で。こちらの利幅は年々薄くなっておりますの。それでも侯爵家との取引を切るわけにはいきませんから」


 (ビンゴ)


 顔には出さない。ただ、深くうなずいてみせる。


「それはおつらいですわね……。私には商いのことは分かりませんけれど、夫人がこれほどご尽力されているのに、報われないのは悲しいことですわ」


 同情する。でも、解決策は出さない。まだ早い。


「ところで——先日、東部のシュヴァルツ商会が宮廷への卸を始めたと耳にしましたわ。夫人の扱う品とは少し分野が違うようですけれど、南部の素材に強いとか。もしご存じなければ、お名前だけでもお伝えしようかと思いまして」


 これは「善意の世間話」だ。少なくとも、表面上は。

 でも、ヘルミーネ夫人ほどの商人なら、この情報の意味が分かるはず。侯爵家以外にも選択肢がある、ということ。依存先はひとつじゃなくていい、ということ。


 夫人の目が、一瞬だけ鋭くなった。

 そしてすぐ、穏やかな笑みに戻る。


「まあ、ご親切にありがとうございます。覚えておきますわ」


 深くは聞かない。私も深くは言わない。

 それでいい。種は蒔いた。芽を出すかは、夫人次第。


「素敵なお話ができて嬉しかったですわ、夫人。またお庭のこと、教えてくださいませ」


 にっこり笑って、その場を離れる。

 背を向けた瞬間、夫人の視線が私の背中にとどまるのを感じた。「この子、ただの地味な婚約者じゃないかも」。そんな小さな疑問が、夫人のなかに生まれたはず。

 でも今はまだ、それ以上は考えないだろう。


 ◇


 夜会はまだ続いている。

 広間では楽団が新しい曲を奏で始めて、若い貴族たちがダンスの輪を作っていた。エルヴィン殿下がエミーリア嬢の手を取って踊りに加わる。周りからため息みたいな空気が漏れたけど、私は見てないふりをした。


 壁の花にも、限界がある。

 前の人生なら、こういうとき同僚と愚痴を言い合えた。居酒屋の隅で「あの取引先ほんと無理」って笑い飛ばせた。でもここには、そんな相手がいない。侯爵家の目があるかぎり、誰にも本音は見せられない。

 少しだけ息を抜きたくて、広間を抜け出した。


 バルコニーに出ると、夜風が頬を撫でた。

 春とはいえ、夜はまだちょっと冷える。でも、広間のむわっとした熱気と香水の匂いより、冷たい空気のほうがずっとマシだった。


 手すりに手を置いて、庭園を見下ろす。月明かりに照らされた噴水が、銀色にきらきら光ってた。


 今夜の収穫を、頭のなかで整理する。

 ヘルミーネ夫人の不満は本物だ。侯爵家との取引に限界を感じてる。今すぐ動くことはないだろうけど、いずれ選択を迫られる場面が来る。そのとき、今夜の会話を思い出してくれればいい。


 ひとつ目の種は蒔いた。

 次は——


「——兄上の婚約者殿か」


 背後から、声がした。

 低くて、素っ気なくて、それでいてどこか面白がっているような響き。


 振り返る前に、完璧な笑顔を貼りつけた。

 仮面の装着には、もう一秒もかからない。


 バルコニーの入り口に、ひとりの青年が寄りかかっていた。

 銀灰色の髪に、冷めた青灰の瞳。エルヴィン殿下みたいな華やかさはない。そのかわり、こっちを見透かすような静けさがある。


 第二王子、クロード・ヴァン・レーヴェンハルト。

 王位継承権第二位なのに、社交界ではほとんど話題にならない人物。政務に関わってるとは聞くけど、兄みたいに人前に出ることは好まないらしい。


 式典の日、広間の壁際から私を見ていた——あの目。

 あの視線のことは、忘れてなかった。


「ごきげんよう、クロード殿下。こんなところでお会いするとは」


 完璧な微笑み。完璧なお辞儀。完璧な、壁の花の令嬢。


 クロード殿下は、それを黙って見てた。

 数秒。長い数秒だった。


「……ああ、ごきげんよう」


 気のない返事。でも、その目だけが笑ってなかった。

 いや……笑ってないのは、私のほうか。


 この人の目には、何が映ってるんだろう。


 月明かりの下、夜風がふたりの間を通り抜けた。


面白ければ、ブックマークや評価で応援いただけると嬉しいです。


本日は5話迄 投稿します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ