表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「断罪ですか? ええ、ずっとお待ちしておりました!!」~婚約破棄は想定内。計算外だったのは、あの人だけ~  作者: chiro


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/21

番外編「共犯者の独白」

番外編になります。

 最初からわかっていた。

 あの女は危険だと。


 ◇


 夜会のバルコニーではじめて言葉を交わしたとき、俺が見たのは完璧な令嬢だった。控えめな微笑み。丁寧な言葉づかい。兄上の婚約者として、一分のすきもないたたずまい。

 だが——目だけが笑ってなかった。


 社交の場で愛想笑いをする人間はめずらしくない。貴族なんて笑顔の仮面をつけて生きる生き物だ。でもあの女の目は愛想笑いとも違った。笑ってないんじゃなくて——笑えなかった。なにかをこらえるみたいに、くちびるだけで弧を描いてた。


 あのとき俺は「見抜きたかった」んだと思ってた。嘘を見抜くのが得意だから。帳簿の数字が合わないときと同じ感覚で、あの女の笑顔のつじつまが合わないことに気づいただけだと。


 嘘だ。俺自身への嘘。

 あの仮面の下にいるほんとの人間を——見たかった。最初から。

 月明かりのなかで、あの女が小さく会釈して去っていく背中を見送った。華奢な肩。すこしだけこわばった背筋。あの背中が視界から消えたあとも、俺はしばらくバルコニーから動けなかった。


 ◇


 図書室で、あの女の素顔を見た。


 税制の本を手に取って、棚の裏に隠れるようにして読んでた。こっちに気づいてない横顔は夜会のときとは別人だった。眉間にちいさなしわを寄せて、指でページの端をはじくようにめくる。くちびるが無意識に動いてる。数字を追ってるんだろう。

 あの顔が——好きだと思った。


 認めたくなかった。兄上の婚約者だ。第二王子が横恋慕するなんて、王室の醜聞以外のなにものでもない。だから「職務上の関心」だと自分に言い聞かせた。侯爵家のあやしい動きを追うなかで、あの女の存在が目に入るのは仕方がないと。

 嘘だ。ぜんぶ嘘。あの女を目で追ってたのは、職務となんの関係もない。


 「逃げるな」と言った。あの女にじゃない——自分自身に言い聞かせてたのかもしれない。

 あの女が息をのむ音が聞こえた。仮面にヒビが入る音だった。一瞬だけ見えた素顔は、怒りとおどろきと——もうひとつ、名前をつけるのがこわいものが混ざってた。

 「そっちの君のほうがいい」——言葉が勝手に出た。本心だった。取りつくろった完璧な笑顔より、必死になにかを守ろうとするむき出しの目のほうが、ずっと——きれいだと思った。


 ◇


 菓子屋に連れていった日。


 あの女が焼き菓子を口に入れた瞬間、仮面が落ちた。目を丸くして、ほおをすこしふくらませて——子どもみたいな顔で「美味しい」とつぶやいた。

 あの顔を見たとき、俺は終わったと思った。

 何百人もの貴族をだます仮面の下に、こんな顔が隠れてた。無防備で、やわらかくて、壊れそうなほど人間らしい顔。


 もう「職務」じゃごまかせない。帳簿の数字を追う目で、この女を見てるわけがない。

 「君がいるからだろう」——口がすべった。取りつくろうひまもなかった。耳が熱くなるのがわかって、菓子を口に詰め込んでごまかした。


 あの女はすこし目を見ひらいて、それから困ったみたいに笑った。仮面じゃない、本物の困惑。その笑顔が胸の奥に刺さって抜けなくなった。


 ◇


 東屋で、あの女にはじめて弱みを見せた。

 「兄は王の器ではない」——家族にも言ったことのない本音を、なぜあの女に話したのか。信頼とも違う。ただ、この人の前でなら鎧を脱いでもいいと——そう思えた。

 あの女は黙って聞いてた。あいづちを打つでもなく、なぐさめるでもなく、ただ真っすぐにこっちを見て。あの沈黙がどんな言葉より心地よかった。


 俺が「ここにいる」と言ったとき、あの女の目が揺れた。

 ほんの一瞬。すぐに仮面を戻したけど——俺は見た。あの揺れを。

 あの瞬間、確信した。この女は誰かに「そばにいる」と言われたことがなかったんだと。何年ものあいだたったひとりで戦いつづけて、誰にも助けを求めなかった。求められなかった。

 それがたまらなく腹立たしかった。


 ◇


 嵌められたと気づいた日。


 図書室の机の上に、あまりに都合よく置かれた帳簿の写し。俺の目に入る位置に。俺が反応する中身を。

 ——ぜんぶ計算だった。


 回廊であの女を問い詰めたとき、俺は怒ってた。本気で怒ってた。信じてたものを裏切られた怒り。

 「俺は君の駒か」——声が震えてたかもしれない。

 あの女は答えなかった。否定もしなかった。巧みな嘘も、完璧な言い訳も、なにひとつ返さなかった。あの女ほどの人間が——俺の前でだけ嘘をつけなかった。


 背を向けて歩き出した。あの女がなにか言いかけたのが聞こえた。でも振り返らなかった。振り返ったら——許してしまう気がした。


 ◇


 執務室でひとりで書類を読み返した夜。


 怒りは消えなかった。でも帳簿の数字は嘘をつかない。侯爵家の不正は本物だった。あの女が俺に見つけさせたものは——ぜんぶ本物だった。


 そして気づいてしまった。

 あの女が俺を利用しなきゃいけなかったのは——俺以外に頼れる人間がいなかったからだ。何年もひとりで、仮面の下で拳を握りしめて、誰にもほんとの顔を見せずに戦ってきた。

 その孤独に、怒りとはべつの感情が胸の底で燃えた。

 書類を握る手に力が入った。侯爵家への怒り。あの女への怒り。そしてあの女をひとりで戦わせてた、この世界のぜんぶへの怒り。

 俺は第二王子だ。この国の不正を正す力がある。その力を自分の意思で使う。あの女の駒としてじゃなく。だがあの女が見つけた真実を見なかったことにもしない。


 ◇


 門の前で待った。


 朝が早いのは慣れてる。でもあんなに夜明けが遅いと感じたのははじめてだった。

 馬車が出ると聞いて、体が動いてた。考えるより先に。護衛の手配を口実にしたけど、我ながら下手な嘘だ。あの女になら一秒で見破られる。


 門から出てきたあの女の顔を見た瞬間、ああと思った。

 あの夜会の完璧な仮面はもうなかった。化粧も薄い。目の下にくまがある。鞄ひとつの身軽な——いや、身軽すぎるいでたち。この街になにも残さずに去る人間の荷物だ。


 「最初から共犯にしろ」


 言えた。言おうと決めてたことを真っすぐに。照れも言い訳も要らなかった。

 あの女が泣いた。計画にない涙だと顔に書いてあった。

 泣くなと言いたかった。泣かれるとこっちまでなにかが壊れそうになる。

 だがあの涙を見てわかった。あの女がどれだけ長いあいだ、泣くことすら自分に許さなかったか。仮面の下でどれだけの涙を飲み込んできたか。

 手を伸ばして涙をぬぐった。指がほおに触れた瞬間、あの女の目が——はじめて、なんの計算もなく俺を見た。


 ◇


 いま、アルトハイムの庭のベンチに座ってる。

 「視察」って名目で月に何度もこの領地を訪れてる。従者たちは呆れ顔だけど、知ったことじゃない。薬草は国の重要産業だ。視察は王太子の職務だ。

 ——誰もだませてないことはわかってる。


 となりで焼き菓子を食べてる女が、「また何か企んでる顔だな」と言った俺を見て笑った。あの菓子屋の日と同じ——仮面じゃない、本物の笑顔。


 最初からわかってた。あの女は危険だと。

 だが——俺が落ちたのは完璧な仮面じゃなく、その下で震えてたほんとの彼女のほうだった。


 となりの手にそっと触れた。

 握り返された。細い指が、たしかな力で。


 あの夜会のバルコニーからここまで、長い道のりだった。嘘と仮面と策略と、怒りと理解と、名前をつけるのに時間がかかった感情と。

 だがいま、となりにいるこの女の手はあたたかい。秋の風が薬草畑の上を渡っていく。菓子の甘いにおいがする。


 ——ああ。もう共犯で構わない。



(了)


これまで読んでくださり、ありがとうございます。

番外編も書きました。もし良かったら、評価して頂けますと幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ