第18話「断罪の日」
学園の卒業式典の朝。
白い大理石の大広間に、ふたたびステンドグラスの光が降り注いでる。
第1話と同じ日。同じ場所。同じ光景。
でも——いまの私には、ぜんぶが違って見えた。
あの日、私はここで名前を呼ばれて、捨てられた。なにも知らずに。なにも準備せずに。ただ立ちつくすしかなかった。
今日の私は違う。ぜんぶ知ってる。ぜんぶ仕組んだ。
◇
朝、屋敷を出る前に鏡を見た。
淡い紫のドレス。控えめな銀の髪飾り。侯爵夫人に言われたとおりの「目立たない」装い。
鏡のなかの私は完璧な従順令嬢だった。静かで、地味で、なんの力もない。そう見えるように。
これが最後だ。
この仮面をつけるのは今日で最後。
髪飾りの位置を直す。すこしだけ手が震えた。緊張じゃない。これから起きることへのおそれでもない。
ただ、終わりが来るっていう実感が指先を冷たくしてた。
深く息を吸って、屋敷を出た。
馬車の窓から朝の王都が流れていく。石畳の通り、パン屋の煙突から立ちのぼる白い湯気、早朝から市場に向かう荷馬車。この街で過ごした日々が、窓の外に流れては消えていく。
◇
式典がはじまった。
大広間には貴族の子弟たちが居ならび、教師たちが壇上に座ってる。春の陽光がステンドグラスを通りぬけて、床に色とりどりの模様を描いてた。
華やかで、厳かで。誰もが「いつもどおりの式典」だと思ってる。
エルヴィン殿下が壇上に立った。
金糸の刺繍が入った礼服。自信まんまんの笑顔。正義をおこなう者の高ぶった表情。
あの日と同じ。なにひとつ変わってない。
私は広間の端にいた。壁の花。いつもの場所。
まわりの令嬢たちがひそひそ囁き合ってる。「今日、なにかあるらしいわ」「エルヴィン殿下がなにか発表されるって」。知ってる。ぜんぶ知ってる。
エミーリア嬢が殿下の近くにひかえてる。いつもの淡い微笑み。控えめなしぐさ。聖女みたいなたたずまい。あの子はなにも知らないんだろう。殿下がこれからなにをするのか、それがなにを意味するのか。
そして——広間の壁ぎわに、もうひとり。
クロード殿下が立ってた。
目は合わなかった。殿下は正面を見てた。その横顔からはなにも読み取れなかった。
あの回廊の日以来、一度も会話してない。
エルヴィン殿下が一歩前に出た。
「——本日、この場をお借りして、皆に伝えたいことがある」
広間が静まった。
「リーゼ・フォン・アルトハイム」
名前を呼ばれた。
何百人もの視線が私に集まった。
「私はお前との婚約を破棄する」
ざわめき。ささやき。同情。さげすみ。
ぜんぶが——あの日と同じ。
「お前は私の妃にふさわしくない。エミーリアこそが、私の隣に立つべき女性だ」
エミーリア嬢が殿下のとなりで身をすくめる。「私のせいでごめんなさい」の顔。いつも同じパターン。
私は深く頭を下げた。
「……仰せのままに、殿下」
声が震えた。涙がにじんだ。
本物の涙だった。ただし理由はエルヴィン殿下のためじゃない。
顔を伏せた瞬間、視界のすみにクロード殿下の姿が映った。
壁ぎわに立ったまま、こちらを見てる。
なにを思ってるのか、わからない。
(——さようなら、エルヴィン様)
心のなかでつぶやいた。あなたは最後まで予定どおりに動いてくれた。あなたに恨みはない。最初から——あなたは私の復讐の標的じゃなかった。ただの、幕引きの合図。
◇
広間を出た。
あの日と同じ回廊を歩く。石造りの壁。足音の反響。背中に追いかけてくるざわめき。
でも——あの日とはひとつだけ違うことがある。
あの日の私は「これでぜんぶが動き出す」と思ってた。復讐のはじまりだって、拳を握りしめてた。
今日の私は——ぜんぶが終わったことを知ってる。そして、なにかが壊れたことも。
◇
断罪の翌日から、侯爵家のまわりで異変が起きた。
まず取引先が動いた。
ロートリンゲン商会のヘルミーネ夫人が、侯爵家との宮廷納品契約の更新を「検討中」と回答した。長年の独占契約がはじめて保留になった。
ほかの商会も侯爵家への納品条件の見直しを要求しはじめた。「契約内容に不明瞭な点がございまして」「市場価格との乖離を是正したく」。言葉は丁寧だけど意味はあきらかだ。一社だけなら圧力で黙らせられる。でも三社、四社とつづけば——流れは止められない。
次に、社交界。
侯爵夫人イルゼが茶会を催したけど、出席者は例年の半分以下。「所用で」「体調が」。丁寧な断りの手紙が山のように届いた。
社交界の空気は敏感だ。力のある者に寄りそい、力を失いつつある者から離れる。それを本能でかぎ分ける。
そして——子爵家。
グラーフ子爵が宮廷の定例会議ではじめて侯爵家の方針に「慎重に検討すべきでは」と異を唱えた。小さな声だった。でもその一言が会議室の空気を変えた。侯爵の顔色が目に見えて変わった。
エルヴィン殿下が気づいたのは、さらにその翌日。
「何が起きているんだ。なぜ皆、母上の家から離れていく」
でも誰も答えなかった。答えられる人がいなかった。
侯爵家から人が離れた理由は——「侯爵家に従う理由がなくなった」から。恩義の鎖も、利害の鎖も、おそれの鎖も、ぜんぶ——静かに、一本ずつ、解かれてた。
◇
そしてクロード殿下が動いた。
断罪から三日後。第二王子が国王に、侯爵家の不正に関する調査報告書を提出した。
農地開発事業における公金の流用。地方領主への脅迫。商権の不当な独占。数年分の帳簿と証拠を添えた報告書。
国王は報告書を受理して、侯爵家への正式な調査を命じた。
それはクロード殿下自身の判断だった。
私の駒としてじゃなく。あの人が自分の意思で。
知らせをエルザから受け取ったとき、私は長いあいだ手紙を見つめてた。
殿下は動いてくれた。
私を許したからじゃないだろう。侯爵家の不正を見過ごせなかったから。この国のために。
あの東屋で言った言葉のとおりに。「この国に害があるなら、兄であっても見過ごさない」——あの声は、嘘をつけない人の声だった。
手紙を焼いた。灰が崩れるのを見つめながら、ただひとつだけ思った。
ありがとう。
そして——ごめんなさい。
◇
侯爵家の没落は静かに、でもたしかに進んでた。
カールが王都の社交場で「何かの間違いだ」と声を荒げたけど、誰も取り合わなかった。
侯爵がディートリヒに命じて原因を調査させたけど、すべての糸は途中で切れてた。匿名の通報。自発的な判断の連鎖。たどってもたどっても、中心にいるべき人物にたどり着けない。
エルヴィン殿下は混乱してた。後ろ盾を失い、婚約者を切り捨てたあとに残ったのは——エミーリア嬢と空っぽの王子の肩書きだけ。
エミーリア嬢は殿下のそばにいるだろうか。後ろ盾のない王子のとなりに。——いないだろう。あの子は賢い。沈む船からは降りる。それを責める気にはなれない。
断罪の日、私を「ふさわしくない」と切り捨てた殿下。
ほんとうにふさわしくなかったのは——どちらだったんだろう。
考えてもしかたのないことだ。
エルヴィン殿下のことはもうどうでもいい。最初から——どうでもよかったのかもしれない。復讐の舞台装置としか見てなかった。それはそれで残酷なことだけど。
どうでもよくない人の顔が——まだ胸の奥にある。
あの回廊で背を向けた銀灰色の髪。「俺は君の駒か」っていう低い声。答えられなかった私。答えなかったんじゃない——答えられなかったのだ。嘘をつけなかった。この人にだけは。




