第17話「誰も来ない夜会」
ヴェルナー侯爵家が夜会を開く。その知らせはエルザのネットワークを通じて私の耳に届いてた。
招待客は限られてる。子爵家、エッシェンバッハ家、ベーレンス男爵家。侯爵家を支える三家だけを集めた内輪の夜会。名目は「親睦」だけど、ほんとの目的はべつにあるんだろう。
侯爵家は気づきはじめてる。三家の態度に、かすかな——でもたしかな変化が起きてることに。
この夜会は、結束の確認だ。
三家を集めて顔を合わせ、あらためて忠誠を確かめる。侯爵のやり方。直接「裏切るな」とは言わない。食事を共にして酒を酌み交わして、「我々は仲間だ」って空気で語らせる。
(前の人生の大手メーカーが下請けを集めて「懇親会」を開くのと同じだ。笑顔の裏にある意味を、全員がわかってる)
でも——今回は、侯爵の思惑どおりにはいかない。
◇
夜会の当日。
私はアルトハイム家の屋敷にいた。断罪のあと学園を離れた、元・婚約者。もう王宮の行事に出る資格はない。
侯爵家の夜会の様子はリアルタイムじゃわからない。結果を知るのは明日以降。
自室の窓辺に座って、夜空を見上げた。
いまごろ侯爵家の広間ではシャンデリアが灯って、長いテーブルに豪華な料理が並んでるだろう。侯爵が上座に座り、夫人が微笑み、カールがえらそうに笑ってる。
その席に——何人が座ってるだろうか。
◇
ヴェルナー侯爵家。大広間。
シャンデリアの光が、磨き上げた銀食器に反射してる。テーブルには七人分の席が用意されてた。侯爵家から三名、三家からそれぞれ当主と夫人の計六名。合わせて九名の晩餐。
開始時刻の午後七時を過ぎた。
最初に知らせが届いたのは、子爵家から。
使用人が恐縮した顔で侯爵に耳打ちする。
「グラーフ子爵様よりお伝言でございます。『急な所用が入り、本日はお伺いできません。重ねてお詫び申し上げます』とのことです」
所用。
侯爵は表情を変えなかった。「そうか」と一言だけ返した。
子爵が侯爵家の招待を断ったのは——はじめてのことだった。
次に、エッシェンバッハ家。
こちらは当主とマリアンヌが到着したけど、開始から三十分で夫人が「体調が優れない」と言い出した。マリアンヌが夫人の腕を取って、申し訳なさそうに頭を下げる。
「せっかくのお招きなのに、申し訳ございません。母がこのような状態ですので、今夜はお暇させていただきます」
マリアンヌの笑顔は完璧だった。
やわらかくて、申し訳なさそうで、誠実で。ただ目だけが違った。あの茶会の日と同じ、薄い氷の膜を張ったみたいな目。
侯爵夫人イルゼだけが、それに気づいた。マリアンヌが退室する背中を見送りながら、イルゼは夫の顔をちらっと見た。
侯爵はなにも言わなかった。
ベーレンス男爵家。
男爵は出席した。でも席についてからの態度はあきらかに前と違ってた。
侯爵が話題を振っても、返事が短い。前なら身を乗り出して同意してたはずの政策の話に、「ええ、まあ」とあいまいにうなずくだけ。酒のグラスには口をつけるけど、目が泳いでた。
となりに座るカールが男爵に話しかけたとき、男爵は笑顔を作ったけど視線を合わせなかった。
食事は形ばかり進んだ。
会話は弾まなかった。侯爵が話題を出し、カールが場をつなぎ、イルゼが気をつかい——でもテーブルの半分は空席だった。
広い大広間に、空いた椅子が並んでる。
銀食器が、誰にも使われないまま光を反射してる。
◇
午後九時。男爵が辞去を申し出た。
「遅くなりましたので、本日はこれにて。すばらしいお食事をありがとうございます」
型どおりの挨拶。でも「すばらしいお食事」に込められた温度は、社交辞令のそれですらなかった。ただ口が動いてるだけの空っぽな音。
男爵が去ったあと、大広間には侯爵、イルゼ、カールの三人だけが残された。
沈黙が落ちた。
カールがグラスのワインをひと口飲んで、不機嫌そうに口を開いた。
「——どうしたんです、今夜は。子爵は来ない、エッシェンバッハは早退、ベーレンスはあの態度。たまたまでしょう。それぞれ事情があったんですよ」
侯爵は答えなかった。
テーブルの上の、手をつけられてない料理を見つめてた。七人分の席のうち四席が空いてる。子爵夫妻、マリアンヌと夫人。ベーレンス男爵は来たけど、いないほうがましだったかもしれない。
「あなた」
イルゼが静かに声をかけた。
「……なぜだ」
侯爵の声がいつもと違ってた。
二十年以上、宮廷を動かしてきた男の声じゃなかった。
「なぜ、誰も——」
言葉を途中で切った。グラスに手を伸ばしたけど、持ち上げなかった。
その手がわずかに震えてた。
イルゼが息をのんだ。
この男が動揺するところを、彼女は何年ぶりに見ただろう。
「偶然よ、あなた。きっと偶然だわ」
なぐさめの言葉だった。でもイルゼ自身、その言葉を信じてなかった。
偶然が三つ重なったら、それは偶然じゃない——夫が自分で言った言葉を、いま夫人は思い出してた。
カールだけが、空になったグラスにワインを注ぎ足してた。
「大げさですよ、父上。子爵も男爵も、うちなしじゃなにもできない連中です。すこし手綱を引けば——」
「黙れ、カール」
低い声だった。カールの手が止まった。
侯爵が立ち上がった。
空席の並ぶテーブルを見おろし、長い沈黙のあと——ひとつだけつぶやいた。
「……ディートリヒを呼べ。いますぐに」
大広間を出ていく侯爵の背中を、イルゼとカールが見送った。
イルゼは空席の並ぶテーブルを見わたした。手をつけられなかった前菜。使われなかったナイフとフォーク。冷めたスープ。この光景がこれから侯爵家に訪れるものの縮図に見えて、夫人は自分の腕を抱いた。
寒い。春の夜なのに、大広間が氷みたいに寒かった。
カールだけが、まだワインを飲んでた。
でも、ディートリヒがなにを調べようと——もう遅い。
すべての糸は途中で切れるように作ってある。たどってもたどっても、その先にいるのは「偶然」と「自分の判断」の連鎖だけだ。
そしてもうひとつ、侯爵がまだ知らないことがある。
第二王子クロードが、侯爵家の不正の証拠をまとめた報告書を近く国王に提出するということ。
三本の柱はぜんぶ折れた。
あとは——崩れるだけだ。
◇
翌朝。
エルザからの手紙を読んだ。
夜会のてんまつが簡潔に書かれてた。子爵は不参加。エッシェンバッハ家は早退。ベーレンス男爵は形だけ出席。侯爵は動揺してた。
手紙をひざの上に置いて、窓の外を見た。
朝日がアルトハイム家の庭の薬草畑を照らしてる。父が大切にしてきた畑。侯爵家に商権を奪われても、この畑だけは守りつづけた。
終わった。
すべての準備が終わった。
あとは、エルヴィン殿下が——私を断罪するのを、待つだけ。
手紙をランプの火で焼いた。いつもの手順。灰が黒く丸まって崩れる。
復讐が成ったとき、達成感があると思ってた。拳を握りしめて「やった」ってつぶやくような瞬間が来ると。
でも——なにも感じなかった。
うれしいとも、すっきりしたとも思わなかった。侯爵家の空席のテーブルを想像しても、あのカールのえらそうな笑みが凍りつく瞬間を思いうかべても、胸の奥は静かなまま。
かわりに浮かぶのは——銀灰色の髪と、青灰の瞳。
あの回廊で背を向けて去っていった人の姿。
もうすぐだ。
もうすぐ、ぜんぶ終わる。
ぜんぶ終わったあとに——なにが残るんだろう。
胸の奥の空洞は、まだ埋まってなかった。
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