第14話「三本目の柱と、危険な賭け」
侯爵家が警戒しはじめた。
エルザからの報告だと、家令ディートリヒが子爵家とエッシェンバッハ家のまわりを洗い直してるらしい。まだ私の名前は出てないけど、侯爵家が「誰かが動いてる」って気づいた以上、いままでと同じやり方は使えない。
三本目の柱——ベーレンス男爵家。
侯爵家に従う三家のなかで、いちばん関係が浅い。先代どうしの利害が一致しただけのつきあいで、恩義も深い縁もない。ただ「侯爵家についてるほうが得」っていう打算で従ってる家。
打算でつながる相手は、もっと大きな打算で動く。
つまり、「侯爵家についてると損する」って判断すれば、真っ先に離れる。
問題は、どうやってその判断をさせるか。
直接の接触は無理だ。ディートリヒが目を光らせてるいま、私が三家目に近づいたら、ふたつの偶然を結ぶ線が見えてしまう。
何日も考えた。
自室の相関図を広げて、ベーレンス男爵家のまわりを何度もたどり直した。男爵の弱み。取引先。人脈。ディートリヒの監視の範囲。
そして、ひとつの方法にたどり着いた。
最悪の方法に。
◇
ベーレンス男爵家には、侯爵家と共同で進めてる事業がある。王都近郊の農地開発。表向きは合法的な投資だけど、エルザのネットワークから得た情報によると、この事業には問題がある。農地の取得にあたって、地元の農民への補償が不当に低く抑えられてた。さらに、補償金の一部が侯爵家のふところに流れてる疑いがあった。
帳簿の表には出てこない。でも取引の流れを注意深く追えば、つじつまが合わない数字がある。
この不正を暴けば、ベーレンス男爵は窮地に立つ。侯爵家との共同事業が問題にされたら、男爵も連座する。
そうなる前に、男爵が自分から侯爵家と距離を取るのがいちばん合理的。
問題は、この不正を誰が暴くか。
私が匿名で告発したら、ディートリヒに糸をたどられるおそれがある。これまでの手——匿名の通報、間接的な情報操作——は、もう安全じゃない。
でも、私以外にも調査能力を持つ人間がいる。
国のために侯爵家の不正を暴く正当な理由があって、独自の調査権限を持つ人間が。
クロード殿下。
◇
考えるのに、三日かかった。
(……嘘。答えは最初から見えてた。三日間は、その答えを受け入れるための時間だった)
クロード殿下は東屋で言った。「この国に害があるなら、兄であっても見過ごさない」と。侯爵家の不正を調査する意思がある。調査を進める権限も能力もある。
私がやるべきことは、その調査の「方向」をほんのすこしだけ導くこと。
ベーレンス男爵と侯爵家の共同事業に、不自然なお金の流れがある。その事実を、クロード殿下の目にとまるように——置く。
直接教えるんじゃない。殿下が自分で調べてる流れのなかで、「たまたま」目に入る場所に。
具体的には、学園の図書室だ。
クロード殿下は図書室に来る。私がいるから。あの人は「職務」と言い訳しながら、何度も図書室に足を運んでる。
農地開発事業の公開記録は、図書室の法律書の棚にある。ふだんは誰も手に取らない、分厚い事業登記簿。そのなかにベーレンス男爵と侯爵家の共同事業の資金明細がある。明細そのものに不正は書かれてない。でも王都の地価公示と突き合わせれば、農地取得価格が不自然に低いことがわかる。
あの人なら気づく。数字のゆがみに気づく人だ。
私がやることは、ひとつだけ。
次にクロード殿下が図書室に来たとき、あの事業登記簿を「たまたま」自分の席に置いておく。ほかの本と一緒に積み上げて、「調べ物の途中です」って体裁で。
殿下がのぞき込む。あの人はかならずのぞき込む。そのときに、開いたページの数字が目に入る。
それだけ。
あとは殿下が自分の判断で、自分の権限で調べる。私はなにもしてない。本を読んでただけ。
(——嘘だ)
ぜんぶ計算だ。あの人の行動パターンを読み、あの人の正義感を利用し、あの人の調査を復讐の道具にする。
東屋で差し出された本音を。あの正直な目を。「ここにいる」っていう言葉を——踏みにじる行為だ。
わかってる。わかってて、やる。
◇
次の日。図書室の窓際。
事業登記簿を、ほかの法律書と一緒に机の上に積んだ。開いたページは農地開発事業の資金明細。
その上に税制の本を重ねて、いちばん上に領地経営の入門書を置いた。「勉強してる令嬢」の風景。自然だ。不自然なところはない。
ノートを広げて、いつもどおりの作業をはじめた。
手が震えてた。
(今日にかぎって、殿下が来なかったりして)
それならそれでいい。べつの方法を考える。
来てほしくない。来てほしい。矛盾した気持ちが胸のなかでぐるぐる回ってる。
三十分が過ぎた。一時間が過ぎた。
足音が聞こえた。
「——また渋い本を読んでるな」
心臓がどくっと跳ねた。
顔を上げる。銀灰色の髪。青灰の瞳。いつもの、すこしだけおもしろがるような声。
「殿下。ごきげんよう」
「ああ。——今日は何の調べ物だ?」
自然に、殿下の視線が机の上の本の山に向かった。
いちばん上の入門書。その下の税制の本。そして——
殿下の目が、一瞬止まった。
事業登記簿の開かれたページ。農地開発事業。資金明細の数字。
あの人の目が数字を追ってるのがわかった。読んでる。計算してる。
数秒の沈黙。
「……これは、君の調べ物か」
「ええ、法律の授業ですこし。農地開発の仕組みを知りたくて」
嘘だ。
また嘘をついた。
「そうか」
殿下はそれ以上聞かなかった。
でも、席を立つときに、あの事業登記簿の背表紙をちらっと見たのを、私は見逃さなかった。登記番号を記憶した目だった。
殿下が去ったあと、本を閉じた。
手の震えは止まってた。
かわりに、胸の奥が鈍く痛んでた。
◇
夜。自室で天井を見つめる。
やってしまった。
クロード殿下は、あの数字を調べるだろう。調べれば農地取得価格の不自然さに気づく。そこから侯爵家とベーレンス男爵の共同事業の闇にたどり着く。
殿下は国のために動く。それは殿下自身の正義だ。私が強制したわけじゃない。
——でも、道すじをつけたのは私だ。
菓子屋の午後を思い出す。殿下の耳が赤くなった瞬間。「君がいるからだろう」っていう言葉。あの不器用なやさしさ。
そのぜんぶを利用した。
枕に顔を押しつけた。
「……ごめんなさい、殿下」
誰にも聞こえない声でつぶやいた。
返事はない。あたりまえだ。
ごめんなさい。でも止まれない。
あなたを駒にしたくなかった。あなただけは盤の外にいてほしかった。
でも——私には、あなたしかいなかった。
ランプを消した。暗闇のなかで目を閉じる。
明日から殿下は動き出す。三本目の柱が揺れはじめる。
そしていつか殿下は気づく。
自分が利用されてたことに。
そのとき、あの青灰の瞳が私を見る目は——どんな色をしてるんだろう。
考えたくなかった。
でもその問いだけが、暗闇のなかでいつまでも消えなかった。
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