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第13話「冷たい目」

 マリアンヌが手紙を書いたのは、バザーから五日後のこと。


 エルザからの報告で知った。マリアンヌの侍女と、エルザの知り合いの仕立て屋の客が同一人物だったという偶然。偶然じゃなくて、私が数ヶ月前から仕込んでおいたつながりだけど。そこを通じて情報が届いた。


 マリアンヌは隣国の子爵家の跡取りに、一通の手紙を送った。

 中身は分からない。でも送ったって事実だけで十分。


 あとは返事を待つ。


 ◇


 返事が届いたのは、それから十日ほど後。


 マリアンヌの様子が変わった、とエルザが報告してきた。


 侍女によると、マリアンヌは手紙を読んだあと自室にこもって半日出てこなかったらしい。翌日からはふつうに振る舞ってたけど、目の光が前と違う。笑顔は変わらない。でもその奥に、何か硬いものが宿っている。


 想像がつく。

 隣国からの返事にはきっとこう書いてあったはず。「破談はこちらの意思ではなかった」「外からの圧力があった」。具体的にヴェルナー侯爵家の名前が出たかは分からない。でもマリアンヌほど賢い子なら、点と点をつなげるのに時間はかからないだろう。


 自分の縁談を壊したのが侯爵家だってこと。

 自分の幸せを犠牲にして、「駒」としてつなぎ止められてたこと。

 お父さんがどれだけ侯爵家に頭を下げても、返ってきたのは恩義じゃなくて支配だったこと。


 マリアンヌのなかで、何かが変わった。


 ◇


 変化が表に出たのは、学園の茶会の席だった。


 侯爵家の跡取りカールが学園に顔を出す日だった。卒業生としてたまに教練の手伝いに来るけど、ほんとの目的は在学中の貴族の子弟との関係維持。要するに侯爵家の人脈管理だ。


 茶会で、カールがマリアンヌに声をかけた。


「やあ、マリアンヌ嬢。今日も美しいね」


 いつものノリ。自信まんまんの笑顔。侯爵家の跡取りとして、「配下」の令嬢に気安く声をかける。そこに悪気はないんだろう。悪気がないのがよけいにタチ悪い。


 マリアンヌが微笑んだ。

 いつものやわらかな笑顔。のはずだった。


「ありがとうございます、カール様」


 声は丁寧。言葉も正しい。

 でも、目が違った。


 私は茶会の端っこから、その一瞬を見てた。

 マリアンヌの目がカールを見返したとき、そこにあったのはいつもの温かさじゃなかった。


 冷たかった。


 薄い氷の膜を張ったみたいな、透明で硬い目。怒りを叫ぶんじゃなくて、静かに凍らせた目。

 あの目を知ってる。鏡で見たことがある。仮面の下で何かを押し殺してるときの自分の目に、そっくりだった。


 カールは気づかなかった。

 「うん、元気そうだ」とうなずいて、べつの生徒のほうへ歩いてった。自分が何を見たのか。何を見落としたのか。知りもしない。


 茶会に戻ったマリアンヌと、一瞬だけ目が合った。

 マリアンヌは微笑んだ。いつものやわらかな笑顔。でもその目は、私を見てた。

 噂を教えてくれた人間として。真実への扉を開けてくれた人間として。

 感謝なのか問いなのか、分からない視線だった。私も微笑みを返した。何も知らない従順な令嬢の顔で。


 マリアンヌ。あなたの怒りは正しい。

 でも、その怒りを利用してる私は、正しいんだろうか。


 ◇


 茶会のあと、カールは上機嫌で馬車に乗り込んだ。


 学園での「人脈管理」は順調だった。子爵家の息子、男爵家の令嬢、マリアンヌ。みんな侯爵家に従順で、問題はない。

 カールにとってそれは空気みたいに当たり前のこと。侯爵家に逆らう理由がある人間なんて、いるわけない。逆らったところで何もできやしない。


 馬車の窓から学園の塔が遠ざかっていく。

 カールは窓枠にひじをついて、退屈そうにあくびした。


 今日のマリアンヌの目のことなんて、思い出しもしなかった。


 ◇


 同じころ。ヴェルナー侯爵家の屋敷。


 イルゼ夫人が、侯爵の書斎を訪れた。


「あなた、ちょっと気になることがあるの」


「なんだ」


「エッシェンバッハ家のマリアンヌ嬢のこと。先日お会いしたとき……前とすこし雰囲気が違ったのよ」


 侯爵がパイプの手を止めた。


「どう違う」


「うまく言えないんだけど……。前はこちらの話に身を乗り出すみたいに聞いてくれたでしょう? それが最近は、同じように笑ってるのに、どこか距離を感じるの。目がすこしだけ、遠いのよ」


 侯爵はしばらく黙ってた。


 子爵の件。商会の件。そして今度はマリアンヌ。

 ひとつひとつは小さい。でも三つ目だ。


「……イルゼ」


「ええ」


「偶然が三つ重なったら、それは偶然じゃないと昔教わったな」


 夫人が目を見開いた。


「あなた、まさか——」


「いや、まだ分からん。分からんが……」


 侯爵は椅子の背にもたれて、天井を見上げた。


「誰かが動いてるとまでは言わん。だが、何かが変わり始めてるのはたしかだ」


「どうなさるの」


「ディートリヒに調べさせる。子爵の件とあわせて、ここ数ヶ月の動きを洗い直す。なにか共通点があるかもしれん」


 侯爵は立ち上がって窓辺に歩いた。夜の庭園がランプの灯りにぼんやり浮かんでる。


「偶然か?」


 つぶやいた声には、前までの余裕がなかった。


 でも、ルドルフ・フォン・ヴェルナー侯爵は、自分の疑いのなかにひとつの名前が浮かぶことを想像もしなかった。あの地味で従順で、何の力もない伯爵家の令嬢。

 そんな子が自分たちに牙を剥くなんて。


 あり得ない。

 あり得ないのだ。今のところは。


 ◇


 翌朝、学園の寮。


 エルザからの手紙を読んだ。

 侯爵家のディートリヒが動き始めた。子爵の件とマリアンヌの件を関連づけて調査する方針だと。


 予想より早い。イルゼ夫人のカンをもっと警戒すべきだった。


 でも焦る必要はない。

 ディートリヒが調べたって、私にたどり着く線はない。子爵の借金はいくつもの仲介者を挟んでる。マリアンヌには噂話を伝えただけ。ギルドの監査は匿名通報。すべての糸は途中で切れるように作ってある。


 ただし、三本目の柱はもっと慎重にいかなきゃいけない。侯爵家が警戒してる今、同じ手は使えない。


 手紙をランプで焼いた。灰が黒く丸まって崩れるのを見つめながら、考える。


 三本目。

 直接の接触はもう危ない。侯爵家に動きを悟られたら、すべてが崩れる。


 でも方法はある。

 私が直接動かなくても、誰かが動けばいい。誰かが「自分の意思で」三本目の柱を揺らしてくれれば。


 その「誰か」の顔が頭に浮かんだ。

 銀灰色の髪。青灰の瞳。


 (……だめだ)


 あの人を使うわけにはいかない。あの人だけは——


 でも。


 相関図を引き出しから出した。昨日は開かなかった引き出し。今日は、開いてしまった。


 三つの赤い丸。ひとつ目には取り消し線。ふたつ目にはヒビの印。

 そして三つ目は、まだ手つかず。


 その余白に、書き込めない名前のことを考えた。


 盤の外にいるはずの人を、盤の上に載せることは許されるんだろうか。


 答えは出ない。

 出ないまま、相関図をしまった。


 今日も従順な令嬢の顔をして、学園に向かう。


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