第12話「菓子屋の午後」
20話中の13話目
バザーが終わった。
片づけに追われる講堂を抜け出して、学園の正門へ向かう。疲れた。マリアンヌの目が、まだ頭にこびりついてる。早く寮に戻ってひとりになりたかった。
正門の手前で、足が止まった。
門柱に寄りかかるようにして、クロード殿下が立っていた。
学園の制服じゃなくて、地味な外套。王子の格好じゃない。あの東屋のときと同じ、目立たない服。
「……殿下?」
「バザーは終わったか」
「ええ、今しがた」
「そうか。——少し、付き合え」
「は?」
返事を待たずに、殿下は歩き出した。学園の門を出て、王都の通りへ。
私は数秒、その背中を見つめてた。
ついていく理由はない。
ないのに足が動いた。(もうこの人の前では足が言うこと聞かないのに慣れてきた自分がこわい)
「あの、殿下。どちらへ」
「護衛だ」
「護衛?」
「婚約破棄が近い令嬢がひとりで王都を歩くのは物騒だ。護衛がいたほうがいい」
「婚約破棄が近いとは、ずいぶんな——」
「違うのか?」
言葉に詰まった。この人、ほんとに容赦ない。
「……殿下は、護衛には向いてないと思います」
「なぜだ」
「護衛は目立っちゃいけないのに、殿下は——」
言いかけて、止めた。「目立つ」と言いそうになった。銀灰色の髪が午後の日差しに光ってて、どう見ても庶民には見えなくて、それを指摘したらどんな文脈でも褒め言葉になってしまう。
「殿下は、なんでもありません」
「途中で止めるな。気になる」
「なんでもありません」
殿下が小さく笑った。笑うと冷めた印象がやわらいで——
前を向いた。前を向け、リーゼ。
◇
連れてこられたのは、王都の下町にある小さな菓子屋だった。
石畳の路地に面した、古いけどきれいな店。木の看板に焼き菓子の絵が描いてある。扉を開けると、バターと蜂蜜の甘い香りがふわっと広がった。
「殿下が、こんなお店をご存じなんですか」
「宮廷の菓子は甘すぎる。ここのほうがうまい」
カウンターの向こうで、恰幅のいい店主が殿下を見て「おや、いらっしゃい」と気安く声をかけた。常連らしい。王子だとは知らないんだろう。
「いつもの二つと、そっちの焼きたてを一つ」
「あいよ。——お連れさん? 初めてだね」
「ああ」
殿下が当然のように二人分を注文して、窓際の小さなテーブルに向かった。
私は状況についていけないまま、向かいの椅子に座った。
菓子が運ばれてくる。素朴な焼き菓子。宮廷の繊細なケーキとはぜんぜん違う、あったかい感じ。
「……いただきます」
一口。
おいしい。
素直に、シンプルに、おいしかった。バターの風味と蜂蜜の甘さが口のなかに広がって、ほろっと崩れる。飾り気がなくて、正直で——
「どうだ」
「……美味しいです」
感想が短すぎた。でもそれ以上の言葉が出てこなかった。
二口目。三口目。気づいたら夢中で食べてた。
仮面をつけてるときは、食べ方にも気をつかう。食べる量、口の開け方、噛むスピード。令嬢としてふさわしいしぐさを常に意識してる。
でも今、ぜんぶ忘れてた。ただお菓子を食べてた。
「——そんな顔もするのか」
殿下の声で、はっと我に返った。
顔を上げると、殿下は自分のお菓子に手もつけないで、頬杖をついてこっちを見てた。
「何がですか」
「いや。嬉しそうだったから」
嬉しそう。
私はいま、嬉しそうな顔をしてたの? 自分では分からなかった。仮面を外してるときの自分の表情を、私は知らない。
「君は」
殿下が窓の外を見た。路地を歩く人たち。買い物帰りの母子。荷車を引く商人。宮廷とは何の関係もない、ふつうの暮らし。
「ああいう場所より——こっちのほうが似合う」
静かな声だった。
「王宮の夜会でも学園のバザーでも、君はいつも何かを演じてる。でも今、ただ菓子を食べてる君のほうがずっと自然だった」
返す言葉を探した。社交の定型文を、仮面の裏から引っぱり出そうとした。
「殿下こそ」
出てきたのは、仮面の言葉じゃなかった。
「殿下こそ、王宮よりずっと楽しそうですけれど」
殿下が目をぱちくりさせた。
それから、ちょっと困ったみたいに口元をゆるめた。
「——君がいるからだろう」
間。
「……あ」
殿下の表情がみるみる変わった。冷静な顔が崩れて、耳の端がうっすら赤くなってる。
「いや。今のは——その、この店が好きだという意味で——」
「殿下」
「なんだ」
「お菓子、溶けますよ」
「……ああ」
殿下がやっと自分のお菓子に手をつけた。一口食べて、窓の外を見た。横顔の耳が、まだ赤い。
私は笑いそうになった。
仮面の笑いじゃない。この人の動揺した顔がおかしくて、純粋に。
こらえた。こらえたけど、口元がゆるんだのは隠せなかったと思う。
◇
お菓子を食べ終えて、店を出た。
帰り道は、来たときよりすこしだけゆっくり歩いた。どっちが速度を落としたのかは分からない。たぶん、両方。
夕暮れの光が、王都の石畳を茜色に染めてる。行き交う人たちの影が長く伸びてた。
「殿下」
「なんだ」
「今日は、ありがとうございました」
「礼を言うようなことはしてない。護衛だ」
「……護衛は、部下にお菓子をおごるものなんですか」
「経費だ」
「王子の経費で庶民の菓子屋ですか」
「文句あるか」
「いいえ。——美味しかったです」
殿下がちらっとこっちを見た。何か言いかけて、やめた。代わりに前を向いたまま小さくうなずいた。
学園の門が見えてきた。
ここでお別れ。ここから先は学園の敷地で、一緒に歩いたら人目につく。
「では、殿下。ここで」
「ああ。——気をつけて」
短い別れの言葉。振り返らずに門をくぐる。
◇
寮への道をひとりで歩きながら、胸の奥がじんわり温かいことに気づいた。
あの菓子屋での時間。
あの短い午後が——幸せだった。
認めてしまった。認めちゃいけないのに。
あの場所には、復讐の計画も侯爵家の影も仮面もなにもなかった。ただお菓子を食べて、たわいない話をして、笑いそうになっただけの、なんでもない時間。
なんでもない時間が、こんなにまぶしい。
前の人生にもこの人生にも、こんな時間はなかった。仕事のあとにひとりで食べるコンビニのおにぎり。社交の場で口にする味のしないケーキ。いつもひとりで、いつも何かを演じながら食べてた。
あの人の隣でだけ、味がした。
でも。
私の計画が終わったら。
侯爵家が崩れて、断罪が済んで、すべてが明らかになったら。あの人はどう思うだろう。
復讐のために嘘をつき続けた女を。人の感情を操って、人脈を利用して、仮面の裏ですべてを仕組んでた女を。
「こっちのほうが似合う」って言ってくれた人の前で、いつかすべてがバレる。
寮の自室に戻って、ドアを閉めた。
壁にもたれて、天井を見上げる。
この時間がずっと続けばいい。
でも、続かないことを私は知ってる。
相関図は、机の引き出しのなかにある。
今日は——開かなかった。
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