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第11話「令嬢の縁談を潰した者」

20話中の11話です。

 慈善バザーの日が来た。


 学園の大講堂にカラフルな出店が並んで、生徒たちの手作りの品がところせましと飾られている。焼き菓子の甘い香り、刺繍の小物、押し花のしおり。華やかで、のんびりしてて、平和な光景。

 貴族の子弟が慈善の名のもとに交流する場。表向きは。実際には学園最大の社交イベントだ。ふだん接点のない生徒同士が自然に話せる、数少ないチャンス。


 私にとっては——戦場。


 二本目の柱。マリアンヌ・フォン・エッシェンバッハ。

 伯爵家の令嬢。栗色の巻き毛に、やわらかな笑顔。社交界では「気立てのいいお嬢様」で通っている。侯爵家とは、お父さんの代からのつきあいだ。


 マリアンヌの家が侯爵家に従ってる理由は、子爵みたいな借金じゃない。

 恩義。十年前にエッシェンバッハ家がお金に困ったとき、侯爵家が資金を出して救った。それ以来、マリアンヌのお父さんは侯爵家に頭が上がらない。社交の場でも宮廷の会議でも、侯爵家の方針に異を唱えたことは一度もない。


 恩義で繋がってる相手は、利害で繋がってる相手よりやっかいだ。損得じゃ動かない。

 でも、恩義にはひとつだけ弱点がある。「恩を返した以上のものを奪われてる」と気づいた瞬間、感謝が一気に怒りに変わる。


 マリアンヌには、奪われたものがある。


 ◇


 エルザのネットワークから得た情報を、何度も読み返した。


 マリアンヌには二年前、縁談があった。相手は隣国の子爵家の跡取り。マリアンヌ自身もその青年に好意を持ってたらしい。まわりも祝福ムードだった。

 でも縁談は突然破談になった。

 表向きの理由は「両家の都合」。裏を調べたら、侯爵家のディートリヒが隣国の子爵家に接触して、破談に追い込んだ痕跡があった。


 理由はシンプル。マリアンヌが嫁いだら、エッシェンバッハ家と侯爵家のパイプが薄くなる。侯爵家にとって、マリアンヌは「未婚のまま」いてくれたほうが都合がいい。つなぎ止めておく駒として。

 私と同じだ。侯爵家にとって都合のいい「駒」。


 マリアンヌはこの事実を知らない。

 縁談の破談は「運が悪かった」と思い込んでる。


 今日、教える。


 ◇


 バザーの会場を、従順な令嬢の顔で歩く。

 出店をひとつずつ覗いて、生徒たちと当たりさわりのない会話を交わす。エルヴィン殿下はエミーリア嬢と連れ立ってどこかにいるらしいけど、探す気もない。


 マリアンヌを見つけたのは、刺繍の出店の前。

 栗色の巻き毛を揺らして、友だちと笑ってる。穏やかで、温かくて、屈託のない笑顔。

 あの笑顔の裏に、本人すら気づいてない傷がある。


 胸がきゅっと痛んだ。

 これから私がやるのは、あの笑顔を壊すこと。


 一瞬、足が止まった。

 前の人生でこういう仕事をしたことがある。競合のクライアントに、取引先の不誠実な情報を「うっかり」伝える。汚い仕事だ。上司に命じられてやったとき、胃がきりきりした。

 でもやらなきゃいけない。マリアンヌの傷をつけるのは私じゃない。侯爵家がつけた傷を、見えるようにするだけ。


 (……そう自分に言い聞かせないと、やれないよ)


 歩を進めた。


「まあ、マリアンヌ様。お久しぶりです」


「あら、リーゼ様! ご無沙汰しております。お元気でしたか?」


 マリアンヌの笑顔には、裏がない。本物の好意だ。社交の場で私みたいな「地味な婚約者」にも分けへだてなく接してくれる数少ない人。

 だからこそ、胸が痛む。


 しばらくバザーの品を見ながら雑談した。刺繍の話、今年の流行、お茶会のこと。

 そして話題が自然に恋愛の方向へ流れるのを待った。バザーの会場では、若い令嬢たちの話はかならずそこにたどり着く。


「マリアンヌ様は、どなたかお相手は?」


 友人のひとりが無邪気に聞いた。


 マリアンヌの笑顔が、ほんの一瞬だけ揺れた。


「私は……まだ、ご縁がなくて」


「あら、二年前のあのお話はどうなったの? 隣国の子爵家の——」


「あれは……両家の都合で、お流れになってしまったの。仕方がないわ」


 笑ってる。でも目の奥にかげりがある。

 二年たっても消えない痛み。


 ここだ。


「両家の都合……。残念でしたわね」


 同情の顔を作りながら、さりげなく核心に近づいた。


「実は、ちょっと耳にしたことがあって。差し出がましいかもしれないんですけど——」


「何かしら?」


「あの破談の件、本当に『両家の都合』だったのかしらって。隣国の子爵家のほうは、最後まで乗り気だったって聞いたことがあるの」


 マリアンヌの目が、すこし見開かれた。


「え……? でも、お断りの手紙はあちらから——」


「ええ、形の上ではそうだったんでしょうね。でも、お断りの直前にヴェルナー侯爵家の家令殿が隣国に書簡を送られてたっていう話を、どこかで聞いたような気がして」


 どこかで聞いた。気がする。あいまいな言い方。断定はしない。

 私が言ってるのは「噂」にすぎない。でも噂はときどき、真実より深く刺さる。


 マリアンヌの顔から、笑みが消えた。


「……侯爵家が? どうして?」


「分かりません。私の聞き間違いかもしれませんし。ただ……もし気になるようでしたら、隣国のお相手に一度お手紙を書かれてみては? 本当に向こうから断ったのかどうか、確かめるだけなら」


 種を蒔く。でも育てるのは、マリアンヌ自身だ。


 ◇


 マリアンヌは何も言わなかった。

 しばらくの沈黙のあと、「ありがとう、リーゼ様」と小さく言って、友人たちの輪に戻った。

 笑顔を作ってたけど、目の焦点が合ってなかった。


 胸がぎしっと軋んだ。


 私はマリアンヌを傷つけたんじゃない。そう自分に言い聞かせる。

 真実を伝えただけ。その真実にもとづいてどう動くかは、マリアンヌが決めること。


 でも、あの目。笑顔が凍りついた瞬間の、あの目。

 覚えがある。帳簿を見た十五歳の私と、同じ目だ。


 信じてたものに裏切られたと気づいた瞬間の目。


 人を動かすって、こういうことだ。

 前の人生でもそう。営業の仕事は人の感情を動かす仕事。どれだけ「相手のため」って言い訳しても、本質は変わらない。


 分かってる。分かっててやってる。


 ◇


 バザーのにぎやかさを抜けて、廊下に出た。

 壁にもたれて、目を閉じた。


 マリアンヌは隣国に手紙を書くだろうか。

 書くと思う。あの目は、真実を知りたいという目だった。

 返事を受け取ったとき、すべてを理解するだろう。自分の縁談を壊したのが侯爵家だってこと。自分が「駒」としてつなぎ止められてたってこと。


 その怒りが、マリアンヌを侯爵家から引き離す。


 目を開けた。

 廊下の窓からバザーのにぎわいが見える。

 マリアンヌが友だちのなかで笑ってた。もうあの屈託のない笑顔には、かすかなヒビが入ってる。外からは見えないけど。


「……ごめんなさい」


 誰にも聞こえない声でつぶやいた。

 マリアンヌに、じゃない。

 この方法しか思いつけない自分に。それとも、人の痛みを利用することに慣れはじめてる自分に、だろうか。


 分からないまま、廊下を歩き出した。

 二本目の柱に、最初のヒビを入れた。


 あとは——待つだけだ。


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