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第10話「覚悟の目」

ようやく、半分までストーリーが進みました!

 学園の中庭に、呼び出しの手紙が届いたのは昼食のあとだった。


 差出人の名はなく、ただ一行。


 ——午後三時、南庭園の東屋にて。


 筆跡に見覚えがあった。

 図書室で私のノートを覗き込んだとき、手元にあった書類の字。クロード殿下のものだ。


 行くべきじゃない。

 あの人には近づかないって決めた。接触を減らすって決めた。仮面を見抜く目を持つ人間に、自分から会いに行くなんて——


 午後三時。私は東屋にいた。(……なんで来ちゃったのよ)


 ◇


 南庭園の東屋は、学園の敷地のはずれにある。古い石柱に蔦が絡まって、よほどの用事がないかぎり人は来ない。待ち合わせにはぴったり。人目を避けたいなら、とくに。


 石のベンチに座って、鞄から本を取り出す。待ってる間に読むためじゃない。万が一誰かに見られたとき、「読書してただけですけど」って言えるように。

 こういう保険を無意識にかけちゃう自分が、ときどきイヤになる。


「来たのか」


 蔦の絡まる石柱の向こうから、クロード殿下が現れた。学園の制服じゃなくて、地味な外套を羽織っている。王子の格好じゃない。目立つのを避けてるんだ。

 この人も人目を気にしてる。


「殿下のお手紙に、従わないわけにはまいりませんもの」


 微笑み。仮面。


「嘘だな。来たくなければ来なかったはずだ」


 一秒で見破られた。この人の前では社交辞令の寿命がびっくりするほど短い。


「……殿下、ご用件は何でしょうか」


 単刀直入にいくことにした。この人と会話のラリーを続けたら、また仮面がほつれる。手短に済ませて離れるのがベスト。


 殿下は東屋の柱に寄りかかって、腕を組んだ。

 青灰の瞳が、真っすぐに私を見てた。


「兄の周辺で、妙なことが起きている」


 心臓がどくっと跳ねた。顔には出さない。


「妙なこと、ですか」


「ここ数週間、兄を支える貴族たちの動きに変化がある。子爵の態度が微妙に変わった。ロートリンゲン商会が新しい取引先を探してる。侯爵家の勢力圏で、何かがすこしずつ動いてる」


 淡々と、でも正確に。殿下は事実を並べていた。

 前の人生でもあった。切れ者の上司にプレゼンを聞かれてるときのこの緊張感。こっちのスキを探してるんじゃなくて、反応そのものを観察してる。


「君は、何か知っているか」


 直球だった。

 探りでも揺さぶりでもない。ただ、聞いてる。


「……私が、ですか?」


 首をちょこんとかしげて、困った顔を作る。


「殿下、私はただの婚約者ですわ。宮廷のことなんて何も——」


「その『ただの婚約者』が、鉱業権の二重課税を計算していたな」


 (……詰んだ)

 あのノート、覚えてた。やっぱりこの人は見たものを忘れない。


 しん、と沈黙が落ちた。

 東屋の蔦が風に揺れて、木漏れ日の模様が石畳の上で踊っている。


 言い訳はいくらでも作れる。領地の勉強だ、とか。嫁入り先の知識を得たかっただけだ、とか。でもこの人には通じないだろう。通じないと分かってる相手に嘘をつくのは、仮面をかぶるのとは違う苦しさがある。


 殿下は、私の沈黙を追い詰めなかった。


 代わりに、予想外のことをした。


「一つ、先に話しておく」


 腕組みを解いて、空を見上げた。古い東屋の天井ごしに、青い空が覗いてる。


「俺は兄を守りたいわけじゃない」


 静かな声だった。


「兄上は、正直に言えば、王としての器じゃないと思ってる。侯爵家に操られてることにすら気づいてない。いや、気づいてて気にしてないのかもしれない。どっちにしろ、あの侯爵家のやり方がこの国のためになるとは思えない」


 驚いた。

 本音だ。王族が身内を評す言葉としては、致命的なくらいの。


「この国に害があるなら、兄であっても見過ごさない。それが俺の立場だ」


 殿下が、視線を空から私に戻した。


「だから聞いてる。君が何かを知っているなら、あるいは何かをしているなら——俺は敵じゃない。少なくとも、侯爵家の味方じゃない」


 ◇


 呼吸が浅くなってた。


 この人は自分の手札を先に開いてみせた。

 「兄を守らない」「侯爵家の味方じゃない」。それはクロード殿下にとって、ものすごく危険な告白だ。この言葉を侯爵家に伝えたら、第二王子の立場は一気にやばくなる。

 それを分かった上で、私の前に差し出した。


 なんで。


 交渉テクニックとして見れば、筋は通る。先に弱みを見せて相手の警戒を解き、情報を引き出す。前の人生でもそういう手を使ったことがある。


 でも、この人はそんな計算で話してない。

 あの目は計算をする人の目じゃない。


 分かってる。分かってるから、苦しい。


 この人に打ち明ければ、味方が得られるかもしれない。第二王子という、これ以上ないくらい強力な味方が。

 でも打ち明けるってことは、復讐のすべてをさらすってこと。何年もかけて紡いできた糸を、ぜんぶ。


 それだけじゃない。

 打ち明けたら、この人を巻き込むことになる。王族が貴族の私怨に関わったなんてことになれば、殿下の立場も無事じゃすまない。


 巻き込めない。この人を巻き込みたくない。


 そう思った瞬間、自分の気持ちに気づいて、さーっと血の気が引いた。


 「巻き込みたくない」は、策略家の判断じゃない。

 策略家なら使えるものは使う。王子の好意を利用して復讐の駒にするのが合理的だ。

 なのにこの人だけは駒にしたくないって、心のどこかが叫んでる。


 いつからだ。いつから、こんな……。


「……殿下」


 声が出た。思ったより平静だった。


「お気持ちはありがたく思います。ですが——私は、本当に何も」


 嘘だ。

 嘘をついた。この人の正直さに対して、嘘で返した。


 殿下は黙って私を見てた。

 信じてない。信じてないのに、それ以上は追及しなかった。


「そうか」


 一言。それだけ。


「なら、忘れてくれ。ただ一つだけ覚えてほしい」


 殿下が東屋の柱から背を離して、二歩、近づいた。手を伸ばせば届く距離。


「もし何かあったら——ひとりで抱え込むな。俺は、ここにいる」


 背を向けて、去っていった。

 石畳を踏む足音が、蔦の影の向こうに消えていく。


 ◇


 ひとりになった東屋で、しばらく動けなかった。


 手が震えてた。

 今度は寒さでも怖さでもない。


 この人は、本気だ。

 私のことなんて何も知らないのに。仮面の下に何があるかも分からないのに。「ここにいる」って言った。


 前の人生で、こんなこと言ってくれた人、いただろうか。


 いない。ひとりもいなかった。

 倒れた日も、誰もホームに来なかった。気づいた人がいたのかもしれないけど、私には見えなかった。


 この人の前だけ、仮面がうまく動かない。

 この人の前だけ、本当の自分が漏れ出してくる。


 それが怖い。

 怖いのに。怖いのに、もう一回あの目が見たいと思ってしまう自分がいる。


 東屋の蔦が、風に揺れてた。


 去りぎわの殿下の目を思い出す。

 あの目は、あのときの私の目に何を見たんだろう。

 怒りでも悲しみでもない何かを、見たのかな。


 立ち上がる。本を鞄に入れて、東屋を出る。

 寮への道を歩きながら、胸の奥でふたつの声が戦ってた。


 ——この人を利用するべきだ。復讐のために。

 ——この人だけは、駒にしたくない。


 答えは出なかった。

 出ないまま自室に戻って、相関図の前に座った。


 三つの赤い丸。鉛筆の印。矢印。

 復讐の盤面は、たしかにここにある。


 でも盤の外に、ひとりだけ。

 どこにも書き込めない名前がある。


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