7話 監視役の囁き
「俺の何が不満だ?」
「不満しかないけど?」
上手くやり過ごせているつもりなのに、久々にしくじった。監視配置の変更時期だと、どうしても読み間違えて、この監視役に引っかかってしまう。特に日中だと、暇を持て余している監視役達は、娘奴隷でその暇を潰すか酒を呑むしか、時の進め方を知らないようだ。
私はそんなに暇ではない。むしろ、客のいない今の間にしなければならない仕事は多い。……ディアラン婆さんからすれば、『監視役達が悪さをしないよう適度に『ガス抜き』をしてやるのもアンタ達の仕事』らしいが、そんなのはゴメンだ。まして絶対、コイツになんて。
特にこの監視は『ねちっこい』などと娘奴隷達の評判が悪いらしい。そのため娘奴隷達は『気をきかせている』体裁でやたらコイツを押しつけてくる。
何の気をきかせてるんだ?
「だいたい、お前がまだ『『呼び名』無し』扱いなのがおかしいだろ。俺が授けてやっただろう?『セレ』って。それも『呼び名』じゃない。『ただ一つの名』だぞ?」
「……」
やはり、この男に『セレ』と呼ばれると胸が熱くなる。
口を開けば気に障る事しか言わないのに。『セレ』と、私の『ただ一つの名』を口にした瞬間だけ、この男の声が、甘く響く。
「『ただ一つの名』を持ってる奴なんて、お前の他にいないだろ。自慢してやれよ、他の奴に!」
こっちは一日でしなければならない仕事は決まっているので、こうして掃除などをしていると、逃げ出すわけにもいかず、この男の無駄な喋りを延々聞かされる羽目になる。
完全無視ができればいいんだけど、私も完璧ではない。
十言われて十返すほど馬鹿ではないが、百言われたら二、三は返してしまう。
「他にも、『ただ一つの名』を持っている人はいるから」
「……そうなのか?」
監視役の優越感が少し失せたようだ。隙あらば恩を着せてこようとするので、鼻を明かせて気分がいい。よかったー、ルォウレンという先人がいてくれて。
「だとしても、俺がセレに『ただ一つの名』を与えた『ただ一人の人』なのは変わらないからな。もっと俺に感謝していいだろ。なあ、セレ」
「なんで」
「俺が、『ただ一人の人』だからだ」
「『ただ一人の人』は、『ただ一つの名』を与えた相手を加護するんでしょ?こっちに義務はない。むしろそっちに義務があるはず」
現実問題としては、この監視役みたいに主張する輩が多いとは思う。『ただ一つの名』を与えた以外に何をしたわけでもないくせに。
「……守ってやってるだろ?」
館の迷惑客対応の事だろうか。『館の仕事』にまだ出ていない私とは関係ない。守る?それも、守ってやってる?アンタ自身が私を害して――
「わかってないなら、それでいい。まあ、アイツはディアラン婆さんも館の表に配置要望出してるみたいだからな。……ともかくセレ、顔のここに傷のある監視役のそばには近づくなよ?」
「……?」
何の事か、さっぱりわからない。ともかく満足気なのが気に食わない。
「だから、セレ。お前に『ただ一つの名』と加護を与えてやっている俺に……な?」
なんだ、結局それか!
「掃除の邪魔!よくわからないけど、婆さんに行って、アンタを苦役区画に叩き返してもらうようにするからな!?」
「なっ……」
流石に苦役区画の酷さを知っていると、ただの脅しも重みが違う。ただ、監視役がひるんだのも一瞬だった。
「ディアラン婆さんにそこまでの権限はねえだろ。俺はなあ、旦那様の覚えはめでたいんだ。お前がごねたところで、旦那様が聞き入れるのは俺の話だ」
「そんなわけ――離して!」
「これは、婆さんが小言ですます程度の事なんだよ。……慣れとけよ」
視界が、監視役で作られる影で覆われる。ああ、またコイツの熱が――
「やだ!やめろ!」
「騒ぐなよ。流石に騒がれると――黙れ。『セレ』」
「!」
「……可愛いなあ、セレ?俺に名を囁かれただけで、その生意気な口を噤むのか。『ただ一つの名』ってのは、偉大なんだな?」
なあ、セレ?
そう囁かれるたびに、私の中で『セレ』という言葉がはじけて広がる。セレという私のための『ただ一つの名』が、私の身に広がり染みわたる。心地よい。幸せだ。……けど、それをこの男がもたらしているのが腹立たしいし――
私の『セレ』という『ただ一つの名』を、コイツは利用している。
「まさかここまでお前に合うとはな。この『呼び名』――じゃねえな。……『ただ一つの名』なら当然か。何より――セレ」
「また……!」
「セレ。……お前にこうして呼びかけるたびに、どうしようもなく『いい気分』になる。……お前だってそうなんだろう?だったら一緒に良くなりゃいいじゃねえか。な?――セレ?」
セレ。
セレ。……繰り返されるたびに、この男の言うとおり、幸せな気持ちになる。それをどうしてこの男から与えられなきゃならないんだ。口と喉だけ残して消え去ればいいのに。
「やだ……やだ!」
「何をそんなに嫌がるんだよ。俺はお前の為になる事しかしてないだろうが」
「本気で言ってる!?」
「ああそうだ。あんな反吐が出る苦役区画から、助け出してやったじゃねえか」
それは全部、この男自身のためだ。自分が苦役区画の監視役から抜け出すための手土産に、私を利用しただけだ。そういえば、また役職だか配置だかを表す、襟ぐりや袖口のデザインが変わっている。
「腹にたまるだけ飯が食える。土の上で眠らずにすむ。ボロ切れでなくこんなに可愛らしい服を着て。……違うか?」
今の状況についてはそうだけど、どれも『旦那様の館』が与えたものだ。アンタ自身が私に与えたものじゃない。アンタが偉そうにする理由がない。きっかけがアンタの出世のためだったんだから。
「ふざけないで」
「本当に、何が不満なんだよ、セレ……俺が、こんなに可愛がってやっているのに」
「――!何が『可愛がってる』だ!ふざけんな!」
「毎度毎度そんなに我儘言われると、俺だって傷つくんだぞ?」
「我儘じゃない!嫌だって言ってるでしょ!」
「なんだよ、セレ――」
ぞくりと、名を呼ばれるたびに得も言われぬ喜びと、それを口にするのがこの男だという嫌悪が湧く。
「言わないで!それは、私の『ただ一つの名』なんだから!嫌だ!やだ、いや!」
「うるせえな、セレ。どうせいつもみたいにそのうち――」
だが、監視役は動きを止めた。冷や汗のようなものを垂らしている。興奮して、という感じではない。
「あ?……なん……で、また……」
押さえつけられる力が緩んだので、監視役の下から這い出す。よくわからない。けれど、理由なんてどうでもいい。私は掃除道具を引っ掴んで、出て行った。ここもそうだけど、まだ掃除する箇所はある。それでも流石に続けて掃除なんてしていられない。
「このっ……!」
掃除道具の柄で、突き殺すぐらいのつもりで突いたが、その柄を掴まれて捻り上げられた。また掴み倒されて、今度こそ先ほどの続きをされるのかと思った。
「……くだんねえ事すんな。俺はそこまで甘くはねえぞ」
ひと睨み――だけだった。
「それ……だけ?」
「なんだよ、やっぱその気なんじゃねえか」
「違う!」
掴まれている掃除道具を取り返すが、監視役は舌打ちをしただけだ。さっさと身支度を整えて本来監視をしなければならない待機位置に戻って行った。よくわからないけど……
大人しくなったなら、うん。それでいい。ずっとそれだけでいい。
※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!
毎日一話ずつ更新中。
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