4話 『ただ一つの名』
「……何だよその恰好は。まだ『仕込み中』か?」
ああ嫌だ。夢で見たまま。いや、夢よりもいらいらする、薄ら笑い。
「お前なら、今頃、客達からさぞや可愛がられていると思っていたんだがな?俺の名を売る役に立てよ。何のためにいい思いをさせてやっているか、わからないだろ」
勝手な事を若い監視役がべらべらと喋っている。だけど、私の顔を見て、僅かに息をのんだようだった。不愉快なお喋りが収まってくれたのはいいけど、何だ。気味が悪い。
「……へ、え。化けるもんだな?」
また、薄ら笑いに変わった。今の変な間は気味の悪いものだったが、だからといってこのへらへらした顔は、別種の気味悪さがある。
気味が悪いというか、気持ち悪い。
体が震えそうになるのを堪える。これは怯えているんじゃない。怒りだ。怒っているから震え出しそうなんだ。
そもそも、苦役区画の奴隷監視役がどうしてこんなところをうろうろしているのか。
――私の疑問は、即座に解消された。
「お前は上手く化けただけだが、俺の方は――ほら、見てみろ!」
そう言って、服の襟ぐりを見せつけてくる。近寄らないでほしい。
……私達よりいくらか形を残している程度だった、あの時の汚らしい服ではなく、清潔な服。襟ぐりには青いライン。ごくりと唾を飲み込んだ。
……館の娘奴隷の監視役用に準備されている、支給服だった。
「どう……いうこと?」
いや、わかる。認めたくないだけ。
「どうも何も。俺の功績が認められたって事だ。お前を『献上』したのも功績に入っていると思っていたんだけどな。お前がまだ下働きって事は、お前と関係なく俺の功績だけで『旦那様』は俺を引き上げてくれた、って事か!」
はっはっは!機嫌よく監視役が笑っている。目の前で笑っているのに、ゆわんゆわんと音が反響し、どこにいるのか、感じ取れなかった。このままどこか遠くに行ってほしい。消えてほしい。死んでくれればなおいい。
――こちらの願いも虚しく、監視役は膝を曲げてまで私を覗き込んできた。
「しかし……化けたにしても、上手くやったもんだ。すっかり化かされるところだった。館に出ている娘奴隷どもに比べりゃ簡素な服だが、いい暮らしはできてるみたいだな」
いい飯食ってんだろ?と言いながら、監視役が私の頬に触れる。『ひっ!』と、小さく声が漏れたが、聞こえていないようだ。
「俺がいなけりゃ、お前、今頃あそこで死んでたぞ。流行り病は無いにしても、誰かしら咳をしたり吐いたりしてるんだ。俺だって、あんなところで出世しても、何の意味もない」
この男がいつこちらに異動になったのかはわからない。
だが、苦役区画にいた時の、陰気さのある恨みがましい化け物みたいな感じは失せている。支給服に腕を通し、ざんばらだった髪や剃る気のあまり見えない無精髭を整えたせいだろうか。本人が主張していた程度の『若さ』とやらは感じられる。
……だが、『青年らしさ』『人間らしさ』を身にまとっているからこその気持ち悪さがある。化け物がおぞましく、獣のような行為に及ぶのならば――それを受け入れるというわけではないが、ある種の整合性が取れる。
けれど、こんな奴が、あんな事を私にしたのだと思うと――
「お?なんだなんだ?礼ならいつでも聞いてやるぞ?」
うすら笑いに関しては、あの時から変わらない。どういう神経でそんな事を言えるのだろう。
「なんなら、今、その礼を受けてもいい。娘奴隷の監視役ってのは、空き時間に『いい思い』ができるって前評判だったからな。何ならお前の『仕込み』の手伝いもしてや――」
掃除道具の柄で、監視役を突こうとしたが、一手遅かった。ひらりとかわされる。
「……おいおい。ふざけんなよ?お前、わかってんのか?奴隷が、よりにもよって監視役に歯向かうなんて、死にたいのか?」
「う……ううーっ!」
息が荒くなって、言いたい文句が何一つ言えない。
「俺だったからよかったものの。俺以外にこんな事したら、お前、どうなったかわからないぞ?」
恩着せがましい言い方に、イラっとする。
「……どうせそのうちお前も、他の娘奴隷と同じ扱いを受けるんだ。俺で慣れとけよ。せっかく苦役区画からここに引き上げてやったんだ。すぐに死なれちゃ、俺が手間をかけた意味がない」
「知らな……やめっ――!」
掃除道具が、音を立てて落ちる。
ここではよくある事だと、通りかかる娘奴隷や他の監視役達も気に留めない。この監視役の言う事が、する事がここでの当り前だとしても。私は最後まで抵抗した。
※※※
――しくじった。そうか、今日は監視役達の配置移動日なのか。昨日までは別の監視役が立っていた場所に、あの監視役がいた。引き返すつもりだったが、向こうに気づかれる。
へらりと笑って、こちらにひらひらと手を振っている。どういう神経をしているんだ。
私は大袈裟に顔を背ける。遠回りになるとしても、東の小廊下から向かう事にした。『おいおい、なんだよ』とからかうような声を背に聞いて。
「交代の時間が来たら、今日も会いに行ってやる。いい子で待ってろ」
……何から何まで人の神経を逆なでするやつだ。
※※※
「……どういうつもり!?」
先輩娘奴隷が荒れている。この人はそういう人ではあるが。怒りに理由なんてない。とはいえ、今日は明確に『私に対して』敵意を向けられている。
「監視役の相手をしてやるのはいいわよ。でもね、あの新入り監視役、最中もアンタの事ばかり聞いてくるのよ!?なんなの!?アタシはアンタの代わりって事!?この私が!?」
新入り監視役。監視役なんていちいち覚えていないが、わざわざ私にこだわる人間なんて、一人しか思い浮かばなかった。アイツ、私の立場を悪くするなんて、何してくれてるの?
「監視役を抱きこんで逃げようっていうなら、甘いわよ!?苦役奴隷あがりは知らないでしょうけど、外の方が地獄なんだからね!?そもそも逃げるのが無理!絶対にディアラン婆さんに見つかって、地下牢行きになるんだからね!?」
別に、逃げ出す気はない。多分、この世界には地獄しかないと、私もわかってきた。それなら、食べるところと寝るところは約束されている『旦那様の館』の方が――マシな地獄なのだろう。
「何にせよ、監視役を飼うつもりなら、『世話』は自分でやりなさい!」
「……っ!アイツは私と関係な――」
黙って嵐が通り過ぎるのを待てばよかった――とは思うが、あの監視役と関わり合いがあると思われるのが嫌で、つい口を挟んでしまった。結果として、館にまで先輩娘奴隷の激昂の声が響き、私までディアラン婆さんに怒鳴られる羽目になった。
※※※
「今日から、先の渡り廊下担当みたいだよ」
「……はい?」
リャーラの囁きに対して、私は掃除道具の準備をしながら間抜けに聞き返した。
「貴女の監視役。館の表に近くて人は多く行き交うけど、角の部屋ならたいてい空いてるから、大丈夫だよ」
「……あの」
貴方の?私の?……何の勘違いをしているんだ。リャーラは。
それとも、あの監視役を、皆して私に押し付ける魂胆か。あのねちっこい男の相手なんて、誰だって嫌だろう。もちろん私も嫌だ。一応、毎回否定をしている。他の娘奴隷はともかく、リャーラは勘違いを深めているようで不快だ。
ただ、その情報はある種有益だった。
先の渡り廊下を避けるルートを取ればいいだけの事。今後、リャーラを上手く利用しよう。この子は顔が広い。
私は、掃除道具を持って、娘奴隷の待機部屋を出た。――が。
「――なんで」
先の渡り廊下で、監視をしているはずでは?
へらへらと笑う監視役が、私の前に立ちはだかった。
「可愛いもんだな?『俺が先の渡り廊下の配置になった』って聞いたんだろ?」
――そうか!今さら気づくが、もう遅い。
リャーラは、偽の情報を掴まされたんだ。
先の渡り廊下を通らずに掃除を始めようとなると、逆にこちらの渡り廊下は絶対に通らなくてはならない。……完全に、この監視役の思惑どおり私は動いていた。
「まだ仕込みも始まってないうえ『呼び名』もまだない。時間を持て余してるなら、もっと俺の元に通ったっていいだろう?」
客の相手だけが仕事ではない。特にその種の仕事をまだしていない分、私は私で忙しいんだ。……仕事に取り掛かれないのもそうだが、この男に色々知られている事が不愉快だ。
「……」
さっさとその隣を通り抜けようとすると、長い足で私の行く手を遮ってきた。
「なんだよ。俺がせっかく骨を折ってお前にいい暮らしをさせてやったってのに。ちやほやされる身分になったとたん、俺の事なんて知らないって?酷い女だな?」
「なっ……な……なに、を……!」
本当に、どういうつもりでいるんだ、この男は。どうしたら、そんな風に恩着せがましい物言いを――私に!
「……俺以外に、可愛がってくれる奴ができたか?客――はまだ取ってないみたいだし……なんだ?他の監視役か?可愛い『呼び名』でもつけてもらったか?」
「ち――違う!やめて!私に、『呼び名』も何もない!」
また触れてこようとしたので、その手を払う。
「なんなの、みんな――馬鹿みたい!『呼び名』なんてまやかしのものをつけ合って、気持ちの悪い!」
『ただ一つの名』こそが、その者の名なんだ。
空が『空』で、太陽が『太陽』なのは、それが空の、太陽の、『ただ一つの名』だからだ。
それらは神様がつけたらしいけれど。神様は忙しいのかどうだか知らないけれど、私達全員に『ただ一つの名』をつけて世に送り出す事は出来なかった。だから、奴隷でなくとも、みんな、名など持っていないはずなのに。
『ただ一つの名』に巡り合えないからって、みんな、『呼び名』をつけ合って誤魔化している。
『ただ一人の人』でもない人から『ただ一つの名』でも何でもないものを与えられて、どうして喜べるのかわからない!
「気持ち悪いってなあ……ないと、不便だろうが」
監視役は呆れたような顔をしている。私の言っている事を、何もわかってくれない。……この男が、わかるとは思えないけれど。
「別に、不便じゃない。『あの子』とか『それ』でいい」
「……意地張るなって。お前、本当に『呼び名』無しでいるのかよ。ここに俺が送ってやってから、結構経つだろ?……まわりの奴らは、本当にお前の事を、そうとしか呼ばないのかよ。『呼び名』一つ与えてくれねえのか?」
「私がいらないって言ったの!ディアラン婆さんにも!」
『呼び名』をつけてもらえないわけじゃない。
ちゃんとそう言ったんだ。私が。だから――
「何、その、憐れむみたいな目は!」
「ディアラン婆さんに立てつくなんて、誰もできるわきゃねえだろ。あんなおっかないババア……意地張るなって」
確かにディアラン婆さんは怖い。それでも私ははっきり断った。
ディアラン婆さんも『ああそうかい。いつまで経っても『呼び名』も無しではと思って言ってやったのに。どうせまだ役に立たない子だ。『呼び名』は満足に客が取れるようになってから、客からつけてもらいな!』と、言われている。
他の事なら従うけれど、それだけは、たとえ会ってもいない『旦那様』から言われても、絶対に断るつもりだ。
「……まあな。奴隷とはいっても、結構な金を出して、願って買われる娘奴隷と、一山いくらとか、勝手に生まれちまったタダ同然の苦役奴隷では扱われ方も違うんだろう。俺ほどの男でも、苦役奴隷の監視役あがりってだけで、ここの監視役どもから不当な扱いを受けるからな」
知った事じゃない。
「聞いてる?私は!自分で!『呼び名』無しでいるの!」
「お前のその態度も、いじましくはあるがな?俺に恩義があるんだから、俺から『呼び名』を貰う事は何もおかしくないだろ?安心しろ。俺がお前にはもったいなさすぎる、いい『呼び名』をつけてやる」
「恩義!?何が!?誰が、誰に!?そもそも『呼び名』なんて――」
「まあ、気が逸るのもわかるが、落ち着いて聞け」
まったく話を聞きやしないのはどっち!?
今度こそ、この掃除道具の柄で――いっそ突き殺してやる!
そう思ったのに。
監視役と再度目が合った瞬間、何故だか体が強張った。
気持ち悪い。
――けど、この気持ち悪さは、あの時の感じとは別だった。もっと何か。時間の流れが変わったような。その薄ら笑いする口を引き裂いてやりたいと思うのに、指先ひとつ動かない。目に――いや、その唇の動きから、視線が動かせない。
「ずっと考えていたんだ、俺。お前みたいな奴隷にだぜ?なんて優しい奴なんだろうな、俺は。そして、そんな俺が、お前には過分すぎる『呼び名』を決めてやった」
蹴り飛ばして、逃げ出したい。でも、できない。どうして?私はディアラン婆さんにも、旦那様にも臆する気はないのに――
やめろ。
やめて。
お願いだから。
「お前の名前は『セレ』。『セレ』だ。いい名前だろう?」
まして『呼び名』がないならなおさら――などと、監視役が色々言っている。その名の由来も。
「今はもうない――けれどはるか昔、まだ星の数も今ほど無い時代、孤独な空に燦然と、苛烈な程に輝いていたって星だ。どうだ、いかにもお前らしいだろ?」
知っている。私がずっと幼い頃、多少学のある苦役奴隷が、自分の正気を保つためにそんな事を語って聞かせてくれた。――そういう手合いは、ご多分に漏れず、すぐに正気を失って、命を落としたけれど。
勝手に『呼び名』をつけられた。こんな男に。けれど、そんな事が問題じゃない。
遥か昔の星の光が、私を撃ち貫いた気がした。
そして、そのまま、その光が、私の中にとどまった。体の中で、言葉が響く。
『――セレ』
『セレ』
その言葉自体は、たいていの者が知っている、ありふれたもの。けれど、この言葉は、『セレ』は――
『私のもの』だと、かちりと体の芯に押し込められ、放たれた。
優しかった先輩から与えられたと、『呼び名』を無邪気に誇っていたリャーラのそれとは違う。それとこれは――きっと、決定的に違う。
……なんて事。
なんて事!?
これは、これはただの気持ちの悪いじゃれ合いや馴れ合いで与えられる『呼び名』ではない。
これは――
「うそ……うそだ……ありえない……」
声が、体が震える。この涙は――悔しさで溢れ始めている。だって、こんなの、ありえない。酷い。
これは――
『ただ一つの名』だ。
私に授けられる。私が持ちうる唯一の。
誰に教えられなくてもわかる。だって、これしかない。私は『セレ』以外にありえないと、私の体すべてが――それどころか、世界すべてが私に囁いているのだ。私に向かって。
……貴女が『セレ』なのだと。
はい。主人公は『セレ』となります。
※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!
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