3話 呼び名すらない娘奴隷
「ちょっと、さっさとして頂戴……まったく。困ったものね。苦役区画あがりなんて、聞いた事もない!」
『先輩』の娘奴隷の言葉にも、もう慣れた。私は聞き流しながら髪を結いあげる。手先は器用な方だったらしく、仕事さえこなしていれば、先輩達も文句だけですませてくれる。
「ああ、やだやだ。こんな子に私の髪を触らせなきゃいけないだなんて!」
……私だって、好きでやっているわけではない。そもそもが――
※※※
あの後――ああ、もう、あの若い監視役の事なんて思い出したくもない。なのに、アイツは夢の中にも出てくるのだ。おぞましい。
ともかくあの後、アイツは勝手に満足して、『苦役区画の奴隷に見込みのある娘がいた』と私を『旦那様の館』に売り込んだ。
そのおばあさんが『旦那様』なのかと思ったが、旦那様は別でいるらしい。そもそも旦那様が苦役区画の奴隷や監視役と会うはずもない、との事。
館の娘奴隷達を束ねる責任者のおばあさんですら、私達と顔を合わせたくないようだった。
おばあさんは色々文句を言いたいようだった。
だが、館や苦役区画に流行り病は起こっていないが、外ではまだ流行り病が猛威を振るっているらしい。館用に新しく娘奴隷や雑務奴隷を買い入れられない状態で、『浪費』されていく事を思えば、『品揃えが手薄』になるのは目に見えていた。……だからこそ、あの若い監視役は私を売り込もうと考えたのだろう。
「……見劣りするほどでもないけど、目を引くほどでもないねえ」
直接触れたくもないのか、おばあさんは長い扇子で私の顎をくいと上げた。
「婆さん、目は見えてるのか?夜空に輝く星のような娘じゃないか」
「『見えているのか』は、こっちの台詞だよ。薄汚い奴隷の中でなら、この程度でも輝いて見えるのかもねえ。……なんだいこれは。針金みたいな手足で。抱き心地も何もあったもんじゃない。これならアタシを抱いた方が夢心地だろうよ」
老いて細いおばあさんだが、私はそのおばあさんより細かった。
若い監視役は手間をかけただけに、必死だった。
「そんなの、食わせりゃ何とかなるだろ。それにコイツは――具合がすこぶるいい」
「……っ!」
先ほどの事を思い出させられて、私は怒りと吐き気が同時に込みあげていた。噛みついてやろうか。殴りかかってやろうか。そう思っていたら、甲高い声が目の前で炸裂した。
「お前、手をつけたのかい!?」
「うわっ!?」
「なんて馬鹿な事をしてくれたんだい!」
そうだ。馬鹿な事を、酷い事をしたんだ、この男は。おばあさんの怒りに、私は救われた気がした。
……気がした、だけだった。
「こんな貧相ななりでも、手をかければいくらか見れた見た目にする事はできるし、『手つかず』を好む客に、仕込みきる前でも出して小金を稼ぐ事も出来たのに――この馬鹿が!」
……ああ、そういう事か。その怒りか。結局は、そういう事なのか。
「ち、違うって!俺が手を出した時には『とっくに』だったんだよ!」
「嘘をつけ!アンタが――」
「お前は黙ってろ!」
「――ひっ!」
――私に対してはためらいなく強気に出てくるコイツに腹が立って仕方がない。それに……さっきの今では、コイツへの恐怖がどうしても勝つ。
どちらにせよ、おばあさんに嘘は見抜かれているようなので、黙る。……コイツに負けたわけではない。
「なあ、婆さん。何にせよ、コイツは奴隷の中では特別だったんだよ。先々考えれば、そう悪い話でもないだろ?」
若い監視役は私を引き寄せた。触れられたくもないのに。
「若造の欲目と、アタシの見る目を一緒にされちゃあ困るねえ!?」
「……『入荷』が見込めず、仕込んだ先から『見習い』をどんどん館に繰り出しているんだろ?なら、『見習い』や、下働きだって足りなくなる。『上手くすれば客前に出せるかもしれない下働き』と考えれば、そう悪い話でもないだろ?」
「……」
「な?俺は気のつく、いい若造だろ?」
「いいか悪いかはアンタが決める事じゃ無いよ!」
おばあさんは若い監視役の前にわずかに開いた扇子を突き出すと、パシャンとその扇子をたたんだ。風圧で、若い監視役の霞んだ色の前髪が舞い上がった。
「……まあ、入れ替わりが起きて、裏が手薄になっているのは事実だ。どうせ今すぐ使える娘でもない。……しっかり働きな。苦役区画よりはいい目を見せてやるよ」
ほんのわずかに思案をしたおばあさんは、それだけ言うと私に背を向けた。
「ぐずぐずしなさんな!ついといで!」
「は……はい」
「やったな、よかったじゃねえか」
若い監視役は私に笑みを見せた。まさか、私がこれで喜んでいるとでも思っているのだろうか。地獄の種類が変わるだけだというのに。
「感謝しろよ。俺のおかげで――」
何やら恩着せがましい事を言い始めそうだったのと、おばあさんがいら立っているようだったので、そいつの事は無視をした。駆け出したかったが、体の痛みはまだ生々しく、何より苦役区画でろくな栄養も得ていない体では、そもそも無理な話だった。
「おい、お前――お……ああ!だから『呼び名』ぐらい――」
何やらうるさかったが、ソイツはすぐに頭を切り替えたようだった。
おばあさんの警護のためかあるいはこの小部屋の常駐かはわからないが、いくらか身綺麗な娘奴隷達の監視役に『自分がどれほど有益な人物であるのか』を語り出している。煩わしい声をどんどん後ろに置いて行けるのなら、何でもよかった。好きなだけ、話を膨らませて語ればいい。
※※※
そうして、私は館の娘奴隷兼下働きとして娘奴隷の先輩達の世話をしている。
夜に開かれた館で『使用された』部屋の後片付けや、先輩達の衣装や髪を整える。そんな雑務が主だった。
汚れを落とした自分は、思っていたより少女らしくて――可愛いんじゃないかと思ったが、『館用』に買い揃えられた娘奴隷達はわけが違った。顔も整っているし、体つきも艶めかしい。こんな枯れ木をくくりつけた人形みたいな私では、太刀打ちができない。
あの若い監視役は、とりあえず売り込めそうなものなら何でも売り込むつもりだったのだろう。でなければ、よほど目が悪いか。あるいは、こういう館の娘奴隷達を見た事が無かったのかもしれない。
娘奴隷達を知っていれば、私なんて箸にも棒にもかからないと、そんなたくらみ考えなかっただろう。いや、それでもあの図々しい男は私を売り込もうとしたか。わずかな実績が、どれほど役に立つかはわからないが。
「……なかなかいいじゃないの。棒みたいな指だから、髪を編み上げやすいのかしらね?」
苦役区画から館に上がってきた娘なんて、私の他にはいない。そんな馬鹿な事を考えるのは、あの馬鹿しかいなかったのだろう。
私は、誰もが『安心して貶められる存在』として位置づけられているようだ。人手が足りないのは本当のようで、苦役区画のように無為に命の危険にさらされる扱いを受ける事はない。代わりに、ボロ雑巾のように生気のない奴隷達の間ではなかった、こうしたからかいや蔑みが娘奴隷の間では起きている。
……まあ、そこは慣れた。
この娘奴隷の先輩達は、美しいがゆえに大切に扱われており、こうした事が私には堪えると思っているようだ。……確かに、いい気分になるわけではない。それでも、口ですむ程度の事なら何とでも言ってくれてかまわない。
娘奴隷達も、これでガス抜きができていい気分になっている。その程度ですむ地獄しか見ていないという事だ。ここは食事も、寝るための場所もある。苦役区画という、もう一つの地獄も私は見ている。それを考えると、先輩達は館での『仕事』もこなし私より年上ばかりだが、可愛いものとすら思う。
「けど……これしかできないの?もっと髪の編み上げ方を覚えなさい。リャーラに習うといいわ。貴女の前は、その子がしていたから」
先輩は鏡で仕上がりを確認すると、薄い絹と装飾品を身にまとい、待機部屋を出て行った。これから客の相手をするのだろう。
「どうする?ワタシ、今夜は館に出る予定が無いから、教えてあげる事ができるけれど?」
そのやり取りを聞いていたのか、麗しい少女がぴょこんとやってきた。『リャーラ』だ。年齢は私より一つ上なだけなのだが、私はここでも年齢を四つ下に幼く誤魔化しているので、リャーラはやたらお姉さんぶってくる。
……我が身を守るためにと、見た目に沿った幼い年齢をあのおばあさん――『ディアラン』婆さんに告げたのだが、世の中には『むしろそういうのが好み』な客もいるのだと私は後々知る。とはいえ流石に『その年齢では』若すぎるらしい。また、私があまりに貧相すぎ――もちろんそれはそれで『需要』があるらしいが、その種の好みを持つ人間は、外で奴隷と変わらぬ暮らしをする少女を相手にするという。だからわざわざ館まで来ないそうだ。手もついてしまっているから、なおさら急いで館に出す必要はないらしく、私は雑務に専念するだけですんでいる。……今のところは。
「ねえってば、聞いてるの?」
「ああ、すみません」
「そんな事だと、いつまでたっても『呼び名』をつけてもらえないわよ?」
ははは……と私はあいまいに笑って誤魔化す。
リャーラは自分の『呼び名』について、うっとり夢見心地で語り出した。以前ここにいた先輩娘奴隷から目をかけられ、その娘奴隷から与えてもらったのだという。『薄青』という意味で、透き通る空のような瞳の色から取られたのだとすぐわかる。
この館では、そんな感じで『呼び名』が与えられているようだ。世話をしてもらった先輩から。懇意にしてもらっている客から。と。
苦役奴隷は『呼び名』すらなかった。そもそも気力も体力もなく、呼び合うどころか会話をする事もなかったけれど、こうして話す余裕ができて、まして仕事もとなると、『呼び名』は必要というのもわかる。
けれど、何となく嫌だった。そこまで誰かとかかわるのが嫌だったし、誰かに縛られるようで、自分が、自分ではない何かにされてしまうようで。
それならいっそ、『呼び名』ではなく、『ただ一つの名』がほしい。
世界のどこかにいるとされる、自分のための『ただ一人の人』。その人が知らせてくれる『ただ一つの名』。そのぐらいであれば――名乗ってみてもいい。
……まあ、そんな奇跡、おいそれと巡り合う事はないだろうけどね。
「いつか貴女にも、『呼び名』を付けてくれるお姐様ができるから!頑張ってね!……髪の編み込み方なら、いつでも教えるから!」
リャーラはそう言って別の同僚に声をかけに行った。元気のいい子だ。
髪の編み込み方については、まず、今憶えているのをこなすので手一杯。筋はいいらしいので、今に様々髪を整える事も出来る――といい。
「新入り!客が来ないからって、裏手の掃除をサボんじゃないよ!」
ディアラン婆さんの声が響いた。しまった。また後で『いつまで経ってもどんくさい子だねえ』と、ねちねちと言われてしまう。
外の流行り病はまだ収まりきっていない。新たな娘奴隷が入荷されない以上、娘奴隷の中で新入りは私しかおらず、やたら雑用を回される。苦役区画には、そこで生まれ育った女の子が他にも何人かいるはずだ。
あの若い監視役が次々に送り込んでくるかと思っていた。しかし、以降の『献上』はなかった。……その不運な一人が、何故私でなければならなかったのか。……ぐっと唇を噛む。アイツの感触を思い出しそうになり、頭を振る。
――ともかく、下働きは私一人。忙しいったらない。おかげで館に立つための仕込みも何もかも先延ばしになっているけれど。
私は掃除道具を抱えて、客と鉢合わせずにすむ裏廊下を駆け歩く。食事が『何かの欠片ひと欠け』という事は流石にない。だからこうして走る事も出来るようになった。ディアラン婆さんに見つかれば、雷も落ちるだろうが。
「――おい、元気そうじゃねえか。あの、ほら――ああ、やっぱ『呼び名』がないのは不便でたまらねえな?」
不愉快な声。そんな。
今は目が覚めている。夢を見ているはずがない。私はつんのめるようにして足を止めた。声のする、狭い庭を挟んだ裏廊下の向かいを見る。そこにいたのは――
「よう。元気そうで何よりだな?恋しかったろ?」
いっそ、悪夢の方がよかったかもしれない。向かいの裏廊下の欄干に足をかけて、ひらりと飛んで私の前に現れたのは――あの、若い監視役だった。
※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!
毎日一話ずつ更新中。
感想・評価・ブックマーク、あとなんかもう色々、お待ちしています!




