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ただ一つの名、ただ一人の人  作者: 神空うたう


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31話 静かな結末



 ゴッ、と音がして、エイセダがのけぞった。

 眉間に何かが飛んできたからだ。何か――扇子が。やたらと長い、あの。


「手がすっぽ抜けちまったよ。クファリド、拾っておくれ」

「は……?は、はい!」


 人垣の中にいた若い監視役のクファリドが、石造りの床に落ちた長扇子を拾う。

 エイセダを気にしながらも、それをディアラン婆さんに渡した。エイセダは直撃を受けた眉間を、太くて短い指を使って撫でさすっていた。私と目が合う。再度私に手を伸ばそうとしたが、そこでエイセダは何故かディアラン婆さんの方を見た。

 『ひっ』と小さな声をあげ、ざざっと人垣の中に戻っていった。


「……ああ、くだらない。そんなものを毎度毎度見なきゃならないこちらの気も知らず。アンタ達は物語のお姫様や王子様気取りだろうが、アタシからすれば、何度も見飽きた光景さ。泣いて縋る様も、罵る様も、囃し立てるお前達も」


 ディアラン婆さんは、鼻で笑った。私や、騒いでいたゲゼル、囃していた監視役達すら、ディアラン婆さんの出方が読めず、困惑する。


「……運のいい子だ。その生まれの奇跡のおかげだね。『逃亡を企てる』なんて、何の捻りもない愚かな事を企みながら、見飽きた地獄を味わわずにすむんだよ、よかったじゃないか」


 ディアラン婆さんはふう、と大きく息を吐いた。


「見飽きた地獄なんだ。別に、また見たってよかった。そのつもりだったさ。だから――」


 そう言いながら、ディアラン婆さんは、懐から書簡を取り出した。使われている紙や施された装飾で、誰からの物かは、ここにいる者なら全員判別がつく。


 『旦那様』からの書簡だ。


 ディアラン婆さんが館の状況報告や売り上げなどを逐一報告し、それについての返答がその都度戻されるため、内容はともかく、目にする事は多い。


「『ただ一つの名』を持つ者自体は――まあ、珍しいが、ないわけじゃない。『ただ一人の人』を抱えている館は、価値が上向くそうだ。それに――『ただ一つの名』を持つ、その互いが互いの『ただ一人の人』というのは、『世にも稀』だそうだよ。旦那様はその希少な存在に、いたく価値を見出された。『格別の扱いとする』その返答が、今日、来た」


 ……珍しい存在、というのはわかる。『ただ一つの名』を持つ存在が、私とゲゼルが館に配置される以前は、各種奴隷や監視役がこれだけの人数いながら、ルォウレンしか過去にも存在していないと言われていたぐらいだ。

 でも……つまり……?


「……娘奴隷は館に富をもたらすが、その期間は短い。あっという間に『浪費』しちまう。そのわずかな時間でどれほど益を出させるかがアタシの仕事だが――旦那様は、その希少性からくる価値を、『別に見出したい』と仰せだ」

「それは……セレを、娘奴隷として、館に出さずにすむって事か?」


 押さえつけられたままのゲゼルが、恐る恐る、口を開く。


「はっ!冗談じゃない!娘奴隷を娘奴隷として使わず、何とするんだ」


 ディアラン婆さんの言葉に、私とゲゼルが身を強張らせる。


「――と、アタシはそう思うがね。旦那様は違うらしい。……他の娘奴隷とアンタで何が違うのか。『ただ一つの名』を得るのが、どれほど違うっていうんだ」


 ディアラン婆さんの表情は険しかった。

 特別な努力をしたわけでもなく、『ただ一つの名』を授け合った『ただ一人の人』同士というだけで、私達が他の娘奴隷達と違う扱いを受けられる。それが許せない……のだろう。


「……運命や奇跡なんてなくとも、大切な存在を想って与える『呼び名』が、それに劣るというのかい……?」


 ゲゼルが慎重に、押さえつけている監視役達の目をそれぞれに見て、その軛を払おうとする。

 館を実質的に取りまわしているのはディアラン婆さんであるが、そのさらに上にあるのが旦那様だ。

 ディアラン婆さんの話では、私とゲゼルを特別な扱いとするという事だから、拘束し続ければ、それは旦那様の意に背く行為となる。今度は我が身に降りかかってくるかもしれない。監視役達としては、ゲゼルに対する日々のやっかみを発散する貴重な機会だったかもしれないが、渋々とその手に加えた力を緩めた。


「なんであれ、旦那様の取り決めだ。……そうなんだよな?ディアラン婆さん」


 ゆっくりとディアラン婆さんの様子を見ながら、ゲゼルが私のそばに近寄り、私を抱き寄せた。


「この書簡を目にしたのが『遅かった』。アタシがそう口にすれば、それだけでどうとでもなる事だ。実際、これを読み切ったところでセレがアタシの詰め所に来たんだから。確認する書簡の順番ってだけの話だ」

「――でも、読んだ。だろ?」


 ゲゼルにしてはずいぶん慎重に言葉を選んでいる。それでも、引き下がる気はないらしい。私を抱き寄せるその手は震えていたが、力は強く、緩めはしなかった。


「セレ。馬鹿な子だよ。余計な事をするなと、あれだけ言い聞かせて来たのに。よりにもよってあのタイミングで脱走予定を告白するなんて」

「私……余計な事を言っただけなの……?」


 もし私がしばらく黙り続けて、ゲゼルをいなしていれば。

 こんな騒ぎが起きる事もなく、ディアラン婆さんは私とゲゼルの二人を呼んで、飴を渡しながら『いい話があるんだよ』と、話して聞かせてくれたのだろうか。

 ――どうやらそれに近い流れになるはずだったのだろう。ディアラン婆さんがくわっと目を見開いた。


「本当に……本当にどうしようもない子だ!この館の秩序を乱そうって話を聞いて、このババアが聞き流すわけにはいかないだろう!?そこまで耄碌しちゃいないし、人の心を残してもいないよ!――馬鹿な子。賢いつもりで立ち回ろうとする……馬鹿な子だ」


 最後は零すように。


「それで?俺達はどうなる?無事なんだよな?まさか今さら、やってもない脱走の件で、滅多打ちにされるなんて事、ないんだよな?……セレを……このままにして、やれるんだよな?」


 ディアラン婆さんは大きく息を吐いた。納得できない。そんなため息だった。しかし、それが答えなのだろう。

 ディアラン婆さんの敗北宣言は、とても静かなものだった。


「処遇については旦那様の指示待ちだよ。……その指示がどんなものになるかはわからないがね。お偉方のための『見世物』として、より酷い扱いになる事だって考えられる」

「……!」


 それはそうだ。別に旦那様もディアラン婆さんも、私達を思っての処遇というわけではない。


「勘違いをするんじゃないよ。アタシも旦那様も、別に善人じゃない」

「今日のところは善人だ。そうであってほしい。なあ、セレ?」

「……うん」


 ディアラン婆さんは口うるさいし、嫌なところはたくさんある。絶対に善人ではない。

 娘奴隷達を次々と館の仕事に追い立て、自分よりも早く土の下へと送り届ける存在。

 それでも――

 娘奴隷達の愚痴を聞き、叱りつけ、そして――詰め所で選ばせてくれる飴。そんなもので機嫌を取ろうなんて浅はかだ。馬鹿にしている。ただ、自分の仕事を円滑に進めるための姑息な打算。それでも、しなくていい事をしてくれる。悪人というだけでもないはずだ。


「アタシは、今までやってきたのと同じように、馬鹿な事を考える娘奴隷や監視役達に、『相応の結果』を与えるさ。アンタ達が旦那様から受けた別格の扱いについて、勘違いや自惚れる者がいれば、今まで以上の扱いを、見せしめにしてやるとも」


 ジャッ、ジャッと、ディアラン婆さんは扇子を半分ほど閉じたり開いたりしている。そして私の元に歩み寄った。一瞬まわりの監視役達がざわついた。ゲゼルが私をさらに強く抱きしめ、ディアラン婆さんを睨む。


「……生意気な子達だねえ!?」


 そう言って、ディアラン婆さんは長扇子を横に大きくひと薙ぎした。


「いっ……!?」


 痛い。――そう思った次の瞬間には、私の横に、緋が飛んだ。

 石壁と、まわりを囲んでいた監視役の支給服とに血が飛び、血を受けた監視役と、そのそばにいた監視役が私の代わりに悲鳴をあげた。


「なっ……このババア!何をしやがる!」


 ゲゼルが慌てて私の顔に手をやった。痛い。ゲゼルご自慢の偉くなった証でもあるらしい支給服は、私に触れるたびに血が染まっている。どうやら頬と――多分耳たぶも。ディアラン婆さんの扇子で皮膚を裂かれたようだった。心臓が動くたびに、その場所がじぐりじぐりと痛み、熱が生まれてくる。


「館に出せないものとして、わかりやすく印をつけてやっただけだよ」

「旦那様から特別な扱いをしろって言われてるんじゃねえのかよ!」


 私の出血を抑えるのを、ゲゼルは優先している。そうでなければ、石壁にかかっている多くの拷問道具のどれかを掴んで、ディアラン婆さんに飛び掛かっていそうだった。


「旦那様の判断がすべてだ。アタシのこの浅はかな行いを御咎めになるなら、それに従って、あの子達と同じところに埋まるだけさ。……ようやく自由になれたところにこんなババアが来ても、あの子達に叩き出されちまいそうだがね」


 さあ、行くよ。――地下牢へ降りてくるだけでも一苦労な様子だったディアラン婆さんは、もうあの急な石階段を上るつもりなどまったくないらしい。

 手近な監視役の頭を扇子ではたくと、自分を抱えさせた。


 他の監視役達の中には、今一つ展開を理解できていない者もいるようだった。

 ゲゼルを殴り飛ばせないのか。だったらもっとやっておくべきだった。なんなら今からでも二三発。そんな不穏な声もあったが、『旦那様からの取り計らい』についての内容が知らされていない今、下手に関わるとろくな事にならない。

 そんな誰かの声で、消化不良気味にディアラン婆さんの後に従い、地上へと上がっていった。


「ゲゼル……」

「喋るなセレ。口を動かすと、血が出る」


 そうかもしれないけど、そういうわけにはいかない。このままここにいて、うっかり鍵でもかけられたら、干からびかねない。


「助かった……みたいだから。だから、外に出なきゃ。助かったらしいのに、こんな暗いところでアンタと心中はごめんだよ」

「ああ、そうか。……にしたって、もっと言い方あるだろうが」


 少し緊張を緩ませたゲゼルの顔を見て、私はほっと息をつく。


 ……私達は、『助かった』で、いいんだよね?



※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!

  毎日一話ずつ更新中。


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