30話 熱気を孕みゆく地下室
「婆さん!婆さん!馬鹿な事する前にちゃんと言ったじゃないか!やだ!やめてくれ!」
私とゲゼルは、他の監視役達にあちこちを掴まれて、どこかに運ばれていく。
監視役達は、別にそれほど親しくしていなかったが、それでも普段から顔は見かけるし、他の娘奴隷との橋渡しや伝言の受け渡しをした奴もいた。中には私の視線からはっきり目を逸らす奴はいたけど、たいていはただ静かにこちらを見るか、ただ目的地に引きずっていくだけだった。
私はまだ価値ある娘奴隷として扱われた。でも、ゲゼルは今までに築いてきた『人徳』のせいか、明らかに荒く扱われていた。
ゲゼルの倍ほど厚みのある監視役が、何かといえばゲゼルの頭をはたき、膝を蹴り上げる。それでゲゼルがもたつくたびに、笑っている。それだけで心配になってくるのに、笑って話す口ぶりでは、こんなの序の口にもならないらしい。
そうだろう。どこかに場所を移すのだ。ディアラン婆さんの詰め所で『行うべきではない事』を成すために。
ディアラン婆さんはこの一団の先頭を歩いている。よたつくわけではないが、矍鑠としていても、その歩みは年相応にゆったりしている。
「ちょっと、何事……?」
「見て、あれ!まさか……ああ、なんて馬鹿な事を……!」
稽古事をしていた娘奴隷だけでなく、この異様なざわめきに、仕事前で寝ていた娘奴隷も何人か起きてきたようだった。
そして、その行列の中で明らかに異質で扱いの違う、私とゲゼルを見つける。
若い娘奴隷達はただ不穏さを感じ取るだけだったが、古参の娘奴隷は、過去の事例を見た事のある者もいるのだろう。顔面蒼白となり、中にはそばの娘奴隷に縋りつき、へたり込む者もいた。
それを遠くに見ながら、私はどれほどみっともなかろうと、前を行くディアラン婆さんに抗議の声をあげ続ける。
おかしな事を実行する前にちゃんと白状したんだ。
ゲゼルを説得してくれさえすれば、きっとやり直せる。数日食事を抜かれたり、多少殴られたりする程度、お互い甘んじて受ける。
でも、そんなものではすみそうもない事は、向かう先を考えれば、明らかだ。
館の隅には、館で死んだ娘達の墓地があった。弔いなどされず、ただ埋められるだけの場所だ。
そのわきに、石造りの小屋がある。地表に明かり取りの細い小窓が見える。館に来た当初、反抗的だと言われて閉じ込められた地下牢だ。
その時は『館がどれほど恐ろしいところか思い知らせる』程度。怖がらせるのが目的だったのだろう。
数日食事を抜かれ、石造りの冷たい地下牢で一人きり。買われたばかりの娘奴隷、それも、奴隷自体なりたてならば、かなり堪える仕置きだっただろう。
ただ、苦役区画の苦役奴隷だった私には、むしろ綺麗で清潔な部屋だとすら思えた。明かりと空気を取り入れる窓から見える先の墓地も、時折籠る臭いが流れ込んでくるが嗅ぎ慣れたものだった。死体のできる頻度の関係かもしれないが、一人一人埋めてもらえるなんて、やはり苦役区画とは扱いが違うんだなと感心すらした。
――あの頃であれば。
でも今はそう思えない。それなりに並の感性を得た私には、通された牢屋は、暗くて陰気で吐き気のするような臭いに塗れた、不快な場所となっていた。
時折私のような新人娘奴隷が反省を促すために閉じ込められる程度にしか、使われていない場所。しかし、脅しのために部屋の片隅に吊り下げられ、並べられているものは、まさに今、その用を久々に果たそうとしている。
「ああ、まったく……」
ディアラン婆さんは地下に降りる階段が膝に堪えたのか、途中で若い監視役に抱えてもらって降りていた。だが、地下につくと再びその足で床を踏みしめた。今はいったん、奥から出してこさせた上等そうな椅子に腰を掛けた。布張りではなく、つくりは良いが水洗いをしやすそうな、派手な装飾などのない木の椅子だった。
「……馬鹿な事をしてくれたもんだ。旦那様にはすべて伝えて来たというのに」
ディアラン婆さんはわざとらしく首を振っている。
だがそこで、もういいだろうと監視役の一人がゲゼルを蹴倒した。その勢いのまま、地下の隅にゲゼルが崩れ落ちる。
地下には地下牢がいくつかあったが、私達は地下牢には入れられなかった。
その横のスペースに私達は置かれ、その周囲を監視役達が取り囲む形になっている。
段になっているわけではないが、この不気味に開かれた空間は、舞台のようだった。取り囲むように壁には拷問器具としか言いようのないものが大小様々にあった。
器具どころではない、装置といっていい大きさのものもある。遠目には使い方がわからないが、見える部品の様子から、およそ気分の良い結果はもたらさないだろう。
「わ……私達を反省させるだけのつもりなんだよね?だって、私達は何もしてないんだもん。……そうだよね、婆さん?」
自分の声が震えているのがわかる。
「喋ったのか、セレ……なんでそんな事をした。……バレなきゃ俺はちゃんと――」
「ゲゼル、黙って!」
咎めるゲゼルの表情――それも、ここに来るまで小突かれているだけだと思っていたのに、明らかに腫れが出始めていた。それ以上直視する勇気がなくて、私はゲゼルを背にかばう事で見ないようにした。
「婆さん……私は、ちゃんと、館に出るつもりだったんだ。逃げたいなんて、誰だって思う事だ。でしょう?ゲゼルがこんな事を言っているのは、私がそう思っていたから。だから――可哀想だって、同情して馬鹿な事を考えただけだ」
そうだ。ゲゼルは馬鹿なんだ。
「どうせ成功するはずないんだから。何も変わらない。元に戻るだけだ。だから、今までどおりでいいだろう?」
夢を見なかったわけじゃない。成功するわけがないとわかっているから、その先を思い描かなかっただけで。私だって……
周りの監視役達は見ていられないと顔を伏せるか、むしろいい見世物だと囃し立てるか。反応は二別された。まだるっこしいと、壁にかけられている棍棒を手に取り、握りしめてしっくりくるものを探し始めた者もいる。
「ああ、そうだね。今までどおり、ねえ」
ディアラン婆さんの声音は酷く優しかった。今まで聞いた事もないほどに。だからこそ、そこには哀れみも同情も何もないのだとわかった。
「セレ。お前は勝算の無い賭けには乗らなかった。ゲゼルのろくでもないたくらみの巻き添えにはなりたくなかった。だからこそ、今までどおりを願った。ゲゼルを売って、アンタは平穏を求めたんだろう?」
「――!?違う!違う……っ!」
一瞬ゲゼルを見る。違う。ゲゼルを生贄にしたわけじゃない。
「違う!まだ何もしていない今のうちに白状して、許しを得たかっただけだ!逃げられないって婆さんの口から言ってもらえば、私達は納得するって、馬鹿な事を考えていたって、正気に戻るって!そう思っただけだ!」
奴隷の正気。……笑ってしまう。それでも、立場をわきまえ、従属する限りは――価値があると示す限りは、価値ある商品として見切りをつけられるまで、手元に置いてもらえるはずだ。だって、私はまだゲゼルのように荒くは扱われていない。傷をつければ商品価値が落ちるから。私はまだ、娘奴隷として見てもらえている。
娘奴隷でも価値の値踏みがなされているんだ。奴隷でない監視役のゲゼルなら。
「――ずいぶん舐められたもんだ。そうだね。アンタはまだ娘奴隷だ。旦那様のもんだ。だから手は出さない。……今は、ね」
ディアラン婆さんは立ち上がると、扇子を私に向けた。さらに足を踏み出す。私の横を通り過ぎ――ゲゼルの横で払った。
「――!?」
ディアラン婆さんの長い扇子は、骨の一部に金属の箸のようなものを噛ませてある。一閃すれば十分凶器になった。ゲゼルが想定外の痛みに身をよじる。体はいかつい監視役達に抑えられている。まさかディアラン婆さんにゲゼルが仕返しを――いや、どうだろうか。それでも、ゲゼルは痛みに涙をにじませるだけだった。
「ああ、まったく癪だねえ。口でわからないアンタには色々と思い知らせてやりたいのに、それができないとはねえ!?」
一閃、二閃、三閃。
ディアラン婆さんがたたんだ扇子を払う。ゲゼルは薙がれる位置を少しでも痛みのマシなところにと身をよじっているが、拘束されていて、ままならない。半端な位置に当たる事で、余計に痛みが増しているようだった。
「婆さん、やめて!」
「『やめて』、だって?アタシのこれで納得できないなら、この子達にゲゼルを任せりゃいいのかい?」
扇子をわずかに開いて、周囲の監視役達を指し示していく。これと決めた獲物を手に、『ほら来た出番か』と湧き立つ者も何名かいる。普段はゲゼルと一緒になって迷惑客相手に日頃の憂さを晴らしている。しかし、二度と館に足を踏み入れさせないとはいえ、それでも、客相手である以上手加減をせねばならない。
……ゲゼル相手なら、その心配はいらない。
罰であるならば、命を奪う事すら咎められない。なにせ娘奴隷と共に逃げようなど――旦那様の資産を持ち出す盗人には、相応の扱いをせねばならない。その大義名分が、皆にはあるのだ。
でも、逃げてはいない。私達は、逃げる前だった。何もしていない。咎めて罰を受けるだけでいいじゃないか。
「ゲゼルだって、旦那様が雇っている監視役だ。旦那様のものだ!こ、殺しちゃいけないはずだ!それに、ゲゼルだって、反省するよ、ね!?」
ゲゼルに縋りつく。ゲゼルの目にとても反省の色は見えなかったが、ディアラン婆さんの扇子でまだ星が舞っているようで、憎まれ口は出てこなかった。それで十分だ。
「反省してるから。私だって、ちゃんと館に出るつもりがある。ちゃんと準備だってしてきた。怖い目に遭って、反省してる。旦那様はもちろん、婆さんにだって逆らう気はない。そ、それでいいじゃないか。それでよしにしてよ……」
「――娘奴隷として働く気はあるだって?どの口が」
そんな事は言われたくない。ディアラン婆さんと顔を突き合わせての座学に、仮眠の時間を削ってゲゼルで復習をしていたんだ。そのつもりが無かったら、ディアラン婆さんを放って、高いびきをかいていた!
「それなら……そうだねえ。覚えた事を、試してやってくれないかい?アンタだって世話になってきただろう?この子達に」
「――え」
そう言われて、私だけでなく、周囲も少しきょとんとした。
「館に出れば、色んな客を相手にするんだ。客に粗相なんできないからね。今まで世話になった礼も込めて相手してやりゃあいいだろう」
この、監視役達を?
……全員?
「な……」
「ふざけんな!」
噛みついたのはゲゼルが先だった。その勢いでディアラン婆さんにとびかかりそうだ。押さえていた監視役達が、それぞれに慌てて体重をかけて、押さえつけ直す。
体の自由がきかないかわりに、ゲゼルは罵倒を繰り返す。腹を殴られると一瞬黙るが、痛みが少しでもおさまると、またがなり立てる。地下室だと音が反響するので、なおさら耳障りだ。ディアラン婆さんは顔を顰めたが、この騒音をないものとして話を進めるようだった。
「そもそも、この子達の世話は、練習も兼ねて、仕込み前や仕込み中の娘奴隷が引き受けるのが通例だ。……まあ、ゲゼルの世話を他の若い娘奴隷がせずにすんだともいえるが、どうしてお前がゲゼル専属みたいになっているんだい?ゲゼルはどこぞのお大尽だとでも?」
座学の実践に関してでも言われていた事だ。娘奴隷達にも、私にゲゼルを押しつけておきながら、狡い、卑怯だ、サボっていると。
――まわりにいる監視役の反応は様々だった。ゲゼルの折檻については『腐っても仲間同士』という事で難色を示していた監視役も、そっちの方なら交ざってもいいと顔を緩ませる者も多かった。どうせ一度には無理だからとりあえずゲゼルを痛めつけるのを先とする者もいるが、乗り気――やや乗り気の者まで含めると、恐ろしい数になる。
一晩二晩ずつ客を相手にするのとは、わけが違うじゃないか。
そんな事をしたら、それこそ、館に出られなくなる。旦那様やディアラン婆さんに逆らった時点で、もう娘奴隷としての価値など、ないも同然という事か。
「……そん……そんなの……」
「先延ばしにしているからさ」
ディアラン婆さんの声は冷たい。長い扇子をじゃらりと開き、軽くそよがせながら口元を隠す。
「ゲゼルが後生大事に抱えているセレがどんな具合か、気にはなっていたんだ」
「俺ならゲゼルよりも、よくしてやれるぜ」
「何より、セレは『ただ一つの名』を持っているんだ。セレ、セレ……そうやって繰り返しているだけで気が昂って来て、俺はもう……!」
取り囲んでいる周囲の輪が、狭まってきている気がする。
「い……いやだ。そんなの……いくらなんでも、あんまりだ……」
手が震える。歯の根が合わない。初めてのあの時の絶望が押し寄せてくる。何も知らなかったからこその絶望とは違う。知っているからこそ、どんな扱いを受けるのかの恐怖がある。
なにより……ゲゼルの前でなんて――
「セレをやれるか!俺を罰したいんだろう!?婆さんも、お前らも!だったらまずは俺を使えばいいだろうが!殴れよ、蹴れよ!首を絞めるのでも、爪を剥ぐのでもいい!――ああ、何なら俺が咥えてやるよ!端から順番だ!さあ、寄越せよ!使いたきゃ、どこを使ったっていい!」
ゲゼルの声は、狂乱に近かった。
「……気持ちの悪い事を言うんじゃないよ」
ああ嫌だとディアラン婆さんは首を振り、後退る。
監視役達はそんなの勘弁だとする者がほとんどだった。
だが、中には『あの生意気なゲゼルを屈辱的に追い詰める方法』として、それは面白いとする者もいた。
たいていは自分よりも立場の低い監視役に押しつけようとしているようだったが、度胸試しのように試してみるかと話す者もいた。噛み千切られるぜと笑っているが、なら、噛み千切れない方にぶち込めばいい。女も男も、そこは変わらないだろう、などと品の悪いやり取りが交わされる。
そんな中で、私の腕がぐいと引かれた。
左の指先が不格好に固まった男だった。顔も歪んでいる。見た事のない監視役だったが、新人というにはあまりに場慣れをした大男だった。目元に不気味な傷痕がある。
「ゲゼルのせいで遠くから眺めるしかなかったが――なるほど、ディアランばばあが、俺を館の中に入れないわけだ。俺の好みの、こまい嬢ちゃんじゃねえかよ……」
エイセダ……だ。
瞬時に理解した。私は会わない方がいいと、館の誰もが口を揃えていた。招集を受けて、やってきたんだ。
「エイセダ、手前っ!」
ゲゼルも気がついたようだ。
周囲も、『エイセダは流石にヤバい』と顔色を変えていた。それだけの人物らしい。漏れ聞く話のどれも、酷いものだった。もう館の監視役になる道しか残されなかったという、『外』で起こした事件の数々も、この館の中で起こした事件の数々についても。
見目で判断するのは愚かかもしれない。でもそれが納得できるほど、醜悪な顔だった。
嫌だ。
よりにもよって。こんな男に。
いや、こんなおかしな男でなければ、場は囃し立てるだけで終わるものなのだろう。
つまり、コイツが動き出せば、何もかもがその熱に――
※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!
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