28話 楽園という名の地獄からの逃亡
「あれ。どうしたの、ゲゼル。何やらかしたの」
ディアラン婆さんの座学の時間だから、ディアラン婆さんの詰め所に来たんだけど――
そこにゲゼルがいた。
お説教でも受けているのか思ってからかってみたけど、実際は何やら話し込んでいる様子に見えた。
ゲゼルは舌打ちをすると、椅子から腰を上げた。
「あっ、コラ!それはアンタみたいなのに食べさせるために置いてんじゃないんだよ!」
ディアラン婆さんの長い扇子は空を切った。ゲゼルは飴の入った器へ乱暴に手を伸ばし、飴を鷲掴みにして持って行った。器は金属製でどっしりしているため、ひっくり返る事はなかった。代わりに飴が器からいくつか零れ落ちる。明らかに、自分の意見が通らなかった腹いせといった感じだった。わかりやすい奴だ。
「婆さん。アイツ、何しに来てたの」
「……くだらない事さ。アンタ程度の『技術』で館に出すのは拙速だとね。……館の運営に――というか、このアタシに!監視役風情が口を出してくるなんざ、どういう了見だか」
「拙速!?」
「それでも館に出すつもりなら、役所に訴えるとまでぬかしやがった、あの若造」
「役所?」
「セレの年で館に出すのは違法だとね。そんなの、言わなきゃわかんないし、言ったところで役人を『接待』するだけでいくらでも揉み消せるんだよ」
「ああ……」
私の事でゲゼルが口を挟んでくるのは煩わしい。そもそも、技術不足とはどういう事だ。ただ――先延ばしにしてもらえるなら、本当はそれがありがたい。私が伝えている年齢が違法だと言うなら、なおの事。
「……そもそも役所に届け出たところで、『問題なし』だしねえ?……だろう?セレ」
「!」
――知ってるの!?……年齢を幼く偽っている事を。
「元々苦役奴隷のアンタの出自なんて、いくらでもいじれるが、いじるまでもないはずさ。アンタがそう言い張るならと好きにさせてきたが――アタシに牙を剥くなら、相応の対処はするよ?」
「……」
「まあ、その様子だと、ゲゼルの独断専行みたいだね。……最近の若いもんは、賢いつもりの大馬鹿者だらけだね。こんなくだらない事でも、旦那様に報告しないとならないなんて……」
「わ、私は別に――」
パシン!とディアラン婆さんが長い扇子を薄く開け、勢い良く閉じた。この不愉快な話はもうおしまいという事だ。
「――で?今日は何だったかね。そうそう、『秘伝書』だったかい?まったく、誰がそんな大げさな事を吹いて回っているんだか……」
やれやれ。そう言いながらディアラン婆さんは私に背を向ける。もそもそと詰め所の奥、倉庫に引っ込んでいった。『秘伝書なんてあるわけないよ!甘えた事言うんじゃない!』と、この間は怒っていたのに。
※※※
「ゲゼル、アンタ、意地張ってるんでしょ」
「ああ?」
ゲゼルの言い張っていた私の技術に関してだが、ディアドラ婆さんは言っていた。
『男のくだらない意地で『良くない』と言い張ってんだよ、そういうのは。でなけりゃ――』
……私がよほどヘタか、とかか。でも、今日は言い訳できないぐらい、よくしてやったはずだ。
ディアラン婆さん相手に今までゴネにゴネ続けた成果もあってか、『愛の秘伝書』を奥から出してきてもらったのだ。まだ完全会得とはいかないけど、これで良くなかったとは――
「意地もなにも。これで館に出たら、笑われるぞ」
「はああ!?んなわけないでしょ!?アンタ、最中に自分がどんな顔をしていたか――むぐ!……むーぐぐぐぐ!」
「……うるせえよ。なんだ?そんなに館に出たいのかよ、お前は」
……なんだ、その顔は。その目は。
ゲゼルは私の口元から手を離すと、私の意見を封殺するように、私の顔めがけて服を投げつけてきた。私はそれを払うと、とりあえずずぼりと頭から着直す。
「『館に出たいのか』?出たい出たくないの話じゃないでしょ。出なきゃならないのよ、娘奴隷は!」
その用を果たさなければ、娘奴隷としての価値がなくなる。
「……私を娘奴隷にしたのは、アンタでしょ!?」
「――っ!」
まだ片腕が袖の位置に来ていない状態だったのに、ゲゼルは私を簡素な寝具の上に叩きつけるように押し倒した。なんでアンタが怒るのよ。事実じゃないの。
「……私のおかげで、アンタもあの苦役区画から出られたくせに」
実際のところ、差し出した私がまだ娘奴隷の仕事を果たしていないので、そうとは言い切れないかもしれないけど。
「前も言ったよな?俺は別に、お前を苦役区画で飼ってやってもよかったんだ。お前が、娘奴隷になるって言ったんだぞ?」
当たり前だ。奴隷はどこにいても地獄だが、『呼び名』を押しつけられ、媚びへつらって生きていくなんて、地獄の上塗りをしたくはなかった。そんな勝手な監視役――ゲゼルから、離れたかった。関わり合いたくなんてなかった。
「……けど、どうだ。お前は結局俺から『ただ一つの名』を授かって。それどころか、他の奴らより俺がいいと、仕込みを俺に任せてくる」
「……それは――」
ゲゼルが私にした事実は変えられない。なのに、ゲゼルの偏執に、別の見方があるのではと思った。それは結局、私の『ただ一つの名』を、ゲゼルが誰より心揺さぶり呼ぶ事のできる『ただ一人の人』で、私がそれに惑わされているからかもしれない。
あんな事がなきゃ、私はいずれもっと素直にゲゼルを見て――あの苦役区画で、苦役奴隷として、無気力なまま愛される事を受け入れたんだろうか。……それとも?
そんな事を、今さら言い出しても、仕方ないのに。
「アンタは、本当に苦役区画で私といたかったの?」
答えを待つまでもない事だ。
「それで良しとは思わないでしょ。どうせ飽きて、私を置いて、出世の道を選ぶでしょ?」
戯れに可愛がられた私は、ゲゼルの管理から解放されてどうなるか。
苦役で死ぬか、別の監視役に下げ渡されて、ボロ雑巾のようになるまで弄ばれ、どちらにせよ死ぬ。
私のような奴隷に比べれば、監視役は違う。
苦役区画の監視役は苦役奴隷より多少食事がとれるけれど、環境そのものは苦役奴隷とさほど変わりない。幽鬼のような苦役奴隷をいたぶって気を紛らわせるのが関の山。
だけど、館の、娘奴隷の監視役となれば違う。食事や睡眠はしっかりとれるし、ほどほどの仕事に、美しい娘奴隷をつまみ食いだってできる。
「どの道を選んでも地獄な私と違って、ゲゼルにとって、ここは楽園でしょ?楽園で幸せに生きているアンタが、せめて住みよい地獄を選ぼうとしている私に、偉そうな事言わないでよ」
幼いからと保留扱いしてもらえる時間はもうすぐ終わる。それでも館に出られる状態でなければ、それはもう娘奴隷とは呼ばない。他に売りに出されるか、苦役区画に戻される。
男の奴隷と比べて、苦役区画の女の奴隷は少ない。苦役と呼ばれるぐらいだ。力仕事が主となるのにわざわざ女を買い入れる必要はない。たまに混じる成人の女の奴隷は、用をなさなくなった娘奴隷がほとんど。――それはあの苦役区画で王のようにふるまう苦役奴隷の監視役達のいい獲物にしかならない。『特別な苦役』を強いられ――他の苦役奴隷より、ずっと早くに死んでしまう。
私が辿る未来の一つとして、それもあり得る。
だから、そうならないように、娘奴隷として求められる事を成そうとしているのに。
ゲゼルは文句ばかり。絶対私、ちゃんとできているはずなのに、できてないっていうし。娘奴隷として働く事すら認めない。
何なの!?
「――そうだな。同じ監視役でも、苦役区画でお前ら苦役奴隷相手に棍棒ぶん回しているより、館で酒飲みながら娘奴隷を物色している方が、何倍もいい。比べるまでもない」
「ほら!そんなアンタが――」
「けどな?それは、『監視役として』なら、だ」
ゲゼルが、表情を引きつらせていた。
「『俺』は――あの頃の俺なら、ただお前をひととき可愛がれりゃあそれでいいと思っていた。俺の言う事を聞かないなら、知った事か、後はどうとでもなれと本気で思っていた。けど、今は、もう――」
「……ゲゼル?」
震える手が、伸びてくる。
「他の娘奴隷の愚痴も、ろくでもねえ客を追い払うのも。もしセレがそれに関わっていたらと思うと、もう『知った事か』とは思えない」
「……」
「そうだ。セレ。お前の言うとおりだ。娘奴隷の仕事なんて、俺だってよくわかっている。何でもないと思っていたさ。どうあれ、お前が俺の物ならと。でも――お前が俺でないと嫌だと泣いたように。俺だってこれから先、お前に誰かが触れるなんて嫌なんだ。……俺にだって、ここは地獄だ」
ゲゼルが、私を抱きしめた。
顔を私の肩口に伏せ、どこにもやりたくない、みたいに強く抱きしめている。
なによそれ。
らしくもない。喜びと苛立ちが、同時に訪れる。
「何が地獄よ。アンタは何も奪われない、失わない、傷つかない。それで地獄?……笑っちゃう」
そんな事で私の今までとこれからの苦しみを同じように語るだなんて。
なに甘えた事を。
「……それでも、地獄だ」
ふざけた事を言っている。この程度で何を。だから何だっていうの。嫌で通らない事を嫌だ嫌だと言ったって、仕方ない。
館に出るための仕込みをゲゼルだけにしかしていないのも、それが一応許されているのも。その先が決まり切っているから、目溢しされているだけだ。
「そんなの……そんなの――」
アンタが嫌だと言っても。私が嫌だと泣き喚いても。これはもう、どうにもならない。
その未来を拒めば、本当の地獄が待っている。……いっそ、死んだほうが、幸せなのだろうか。そこまでして、生きねばならない世界だろうか、ここは。
私の『ただ一つの名』を呼んでくれる『ただ一人の人』のゲゼルがいて。そんな私はゲゼルの『ただ一つの名』を呼べる『ただ一人の人』で。そのぐらいしか、この地獄を生きる意味なんて。
抱きしめ顔を寄せていたゲゼルは、抱きしめたまま顔をあげ、私を見た。
「……なあ、セレ。……逃げるか。俺達」
「――は?」
いつかの冗談か。ここで再度持ち出すのは、あまりにも――
「……冗談、だよね?」
ゲゼルの灰がかった瞳を見て、私は念を押す。念を押さないとならない表情を、ゲゼルがしていたからだ。
その気持ちは嬉しい。逃げるだなんて、口に出す事すら恐ろしい事だった。だって、娘奴隷の私はもちろん監視役のゲゼルですら、この屋敷に『飼われている』のだから。逃げるなんて裏切り、許されるはずがない。ここでの生活を、扱いを受け入れているから、ここで私達は生かされているだけだ。
実行しなくてもいい。しない方がいい。ただそう思ってくれるだけでも、救われる。
けど、ゲゼルの目は、表情は、私を不安にさせた。
「ま、前の時は、冗談って……」
「あんな顔されたら、そういう事にするしかなかっただろう?でも、お前だって、今なら――」
「な……何言ってるの?ゲゼル、頑張ってここで出世してきたんでしょ?全部無駄になるじゃない」
自慢気に支給服の襟ぐりのデザインを見せる、腹の立つゲゼルの顔。全部想い出せる。
「館の娘奴隷の監視役なんて、階級はお飾りだ。それでも、自由をきかせる事はできるし、階級が定められているからには、体面上、それに従う扱いや、権利を主張できる。それは俺自身を守るために必要だった。それに――セレ、お前に何かあった時、お前を守ってやれるんじゃないかと思っていた」
ゲゼルが、表情を歪ませた。
「でも、ここまで偉くなっても、結局俺に、お前を助けてやれる力はない。ならこんなものに、何の意味がある?逃げ出すなら、なおさら」
どうしよう。本気で言っている。
「逃げるなんて……他に監視役は大勢いるんだよ?それに、逃げたところでどうするの?」
いくら酒だ娘奴隷だと怠惰に過ごしていても、監視役達は、その時になれば旦那様が期待するだけの働きをする。ゲゼル達が迷惑客の排除に飛び出していく時なんて、怖く感じすらする。
それらをかいくぐっても。
奴隷はもちろんだけど、監視役すら、外の世界では最底辺の存在であるらしい。苦役奴隷として買われてきた奴隷達の中には、『よりにもよって自分が奴隷の身分に落ちるとは』と、憔悴して死ぬ者も多くいた。そのうえ『脱走』とまでつくと。
「なんとでも生きてやる。なんとでも生かしてやる。あの頃はガキだったが、今ならもっと上手い立ち回りができる。何だってやる。身を粉にして働く。セレは何もしなくていい。させないために逃げるんだから。……そのためなら、盗みだって殺しだって、なんだって俺はする」
――ゲゼルは嫌で馬鹿な奴ではあったけど、ここまで馬鹿な事を言う奴ではないはずだ。
薄ら笑いで『――なんてな?するわけないだろ!?』と嘲るように続くならともかく。
それが唯一の方法で、それを選べる自分を肯定してくれと言わんばかりの表情だった。
会うたびに偉くなったんだと支給服を自慢気に見せてくる――そんな馬鹿馬鹿しさが鼻について、意味不明で――でも、こうして考えれば、愛おしくすらある。それがゲゼルなんじゃないの?
私でなくとも成功なんてするはずないとわかっているような事を、本気で口にするなんて。ゲゼルなら、『馬鹿な奴だな』と笑う側にいるはずなのに。
「ゲゼル……ゲゼル。無理だよ。何言ってるの」
「しくじる奴らが馬鹿なんだよ。上手くやれば、きっとできる」
それが練りに練った計画であっても、叶うわけがない。それに、この様子。ただ目の前に差し迫る現実から目を背けたくて口をついただけの言葉だ。
逃げられるなら逃げたいけど――
できないんだよ、ゲゼル。私達は。
※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!
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