25話 衝動と欲求
「……最近いいものを食べ過ぎてふっくらしてたから、ちょうどいいんじゃない?」
「言う事は、それだけか……?」
数日ぶりに顔を合わせたゲゼルは、少しやつれていた。何日か武器庫に籠城をしていたようだが、流石に限界がきて、出て来たようだ。変に渋ったせいで余計に面白がられ、出て来てから周囲に『ゲゼル』『ゲゼル』と『ただ一つの名』呼び責めを食らったらしい。
「じゃあ……いい気味?」
ゲゼルが舌打ちをする。
悔しがっていても、その様子ではさして怖くもない。
私は雑事の合間を縫って、皆が噂をしていた『よぼよぼゲゼル』を堪能するつもりだった。あのひと騒ぎからそれなりの日数が経っているが、それでも私とゲゼルの組み合わせは目立つ。掃除を任されている部屋で話をする事にした。人の目を避けきれているとは言い難いが、一応、落ち着いて話ができるはずだ。
監視役達や『ただ一つの名』持ちのルォウレンの話を総合して考えたんだけど、どうやら『ただ一つの名』の影響は、その対象者を思う気持ちの差で変わってくるらしい。良感情であれ、悪感情であれ。
それをかいつまんでゲゼルに説明する。ゲゼルは身をもって味わった分、先にそれに気づいていたようだ。納得を深めている。
「……最悪だ」
「二日も我慢すれば、皆も飽きるよ。私がそうだったし」
「セレ、お前よくこんなの我慢できたな?」
「まあ……アンタは悪目立ちしてるから、余計に、だと思うよ?」
ゲゼルはたいていの人間からやっかまれているので、その刺激がとりわけ強いらしい。
……私は娘奴隷や監視役にセレと呼ばれても『ほわん』ぐらいだが、ルォウレンは穏やかで人に好まれているから『きゅーん!』だという。ゲゼルは好まれてはいないが憎まれているせいで、向けられる感情は強い。これだと、『きゅーん!』か、それ以上っぽかった。
……私は誰とも関わり合いを持とうとしないせいというか、おかげでこの程度ですんでいるが……何というか、損した気もする。――いや、ゲゼルのボロボロ加減を見ると、負担は大きそうだ。
「……おいセレ、『アンタ』じゃなくて――」
「何?」
「……なんでもねえ」
昼下がりの日差しを受けているゲゼルが、プイとそっぽを向いた。何だコイツ。
「……」
「言いたい事があるなら言いなよ」
どうせろくな事ではないだろうが、これでは言い返してやる事もできない。
「……あー、その。……セレじゃないかもしれないから、はっきりしておきたい」
「私じゃないかもって――まさか、まだ私が『ただ一人の人』って認めたくないわけ?往生際が、悪くない?」
状況的に、間違いないはずなのに。
「わかんねえだろ」
まあ、急にあの場でいきなり、というのも確かに変かもしれない。いくらなんでも、あの時まで一度もゲゼルと呼んだ事がないのは、流石にあり得ないだろう。……そのはず。
私はコホンと咳をした。
「じゃあ……ちゃんと、そうなら認めなさいよ?」
「うるせえ。いいからさっさと……その、ほら。言えよ」
「……わかったよ。何なの、偉そうに。じゃあ、言うからね?」
ゲゼルが私の腕を掴んで、ぎゅっと目を閉じている。痛いんだけど。
「――『ゲゼル』……?」
「――っ!」
ぎゅうっと私の腕を掴む力が強まる。痛い痛い痛い!
「ちょっと!そんな馬鹿力で――!」
振り払おうとするが、私の力では無理だ。
どういうつもりだ、アンタは私の『ただ一人の人』でもあるから、私を害する事なんてできないはずなんじゃないのか。なんだこの『害する事はできない』とか『加護する』とか『庇護する』というあいまいな言い伝えや基準は。
そう思いながら力いっぱいの文句を言ってやろうとしたのに――
「……っ」
「なんっ……な、何なの、アンタ。その顔は」
顔を真っ赤にして眉を下げて。閉じられた瞳を開けば、潤んでいた。何コレ、気持ち悪い。ゲゼルっぽくない。こんな弱々しいゲゼルなんて、初めて見た。弱いというか、何というか――可愛――いや!?いやいや、何それ!?それは無い、それは違う!いや、でも――
「……っ、ふざけんな……っ」
ふざけるなはこちらの台詞だ。何だっていうの、どうしたの。でも、とにかく――
「これで認める?私が、アンタの『ただ一人の人』だって」
「……」
コクリとゲゼルが頷いた。
何だこの感じ。
……私も、ゲゼルに初めてセレと呼ばれた時はこんな感じだったの、もしかして。私は力いっぱい反発したはずだ。こんなわけない。でも、力いっぱい反発して、こんな感じだったの?だとしたら――
……ゲゼルみたいな、性格のねじ曲がった奴が増長するのもわかる気がする。私はゲゼルほどねじ曲がってはいない。
「……認めるから……もう一回呼んでくれ」
「……」
なんなの。しおらしい。気味が悪い。
それでも、『ゲゼル』と名を呼ぶ高揚感が、私の頭を支配する。
『ただ一つの名』を授けた私だけのものに、『ただ一人の人』である私が囁く。――『ただ一つの名』を呼ばれた時とは違う感情の昂り。
「……ゲゼル」
ああ、体が熱い。呼ばれたゲゼルが、また体を強張らせ、震えそうになっている。
「ゲゼル……ゲゼル。いい子ね、ゲゼル」
「……!」
「もう、私に酷い事しちゃ駄目よ?」
ゲゼルが頷く。可愛い。抱き寄せる。ゲゼルは私の腕を掴んだまま、胸の中に収まった。
「ゲゼル、アンタが私の『ただ一人の人』として私を大切に扱ってくれるなら、守ってくれるなら。私もアンタを大切にしてあげる……守ってあげる。ね、嬉しい?ゲゼル?」
ゲゼルが私の腕の中で、ゲゼルと呼ばれるたびに軽く体を震わせている。こんなに容易く扱えるなんて。ゲゼルの真っ赤になった赤い耳が見える。
可愛い。
あんなに意地悪で横柄で、身勝手な奴なのに。だからこそ、今のこの変わりようが愛おしい。
可愛い。可愛い……
押し倒しながら、ゲゼルの肌に手を添わせる。今までは逆だったのに。今度は私がゲゼルを――
……!?
「は!?嘘、やだ!どうしたの、私!」
私は驚いて身を離す。突然の事だったから、掴まれていたゲゼルの腕も振り払えた。服を乱したゲゼルがそこにいた。
……『そうした』のは、私だ。
――は!?え!?どういう事!?何の冗談!?よりにもよって、私が!?
「……セレ……?」
とろんとした目でゲゼルが私を見上げてくる。セレと呼ばれた高揚感が来る。ゲゼルと呼んで、さらなる別種の高揚感を味わいたくなるが――多分それをやっていくと、とんでもない事になる。なりかけた。
ゲゼルは私の『ただ一つの名』を呼んで私の『ただ一人の人』になる前から『あんな感じ』だったので、元々の性格なのだろう。けど、私のこれは、違う。私は別に、ゲゼルに対してこんな――変な気持ちが湧いて、自分から実行しようとは思ってない!はずだ。
――ゲゼルの肌や熱の感覚が手に残っている。胸が警鐘を鳴らし続けている。これは――この感覚は大変危険だ。
ゲゼルに『セレ』と呼ばれた時の高揚感は――今でも耳元で囁かれたり、ここ一番という感じで言われたりすると弱い。でも、日常会話で呼ばれるだけなら、一瞬ぞくりとするだけ程度に慣れている。
慣れなければ。
日数が必要?それとも回数?
なんにせよ、こんなところを他の監視役や娘奴隷に見られたらおしまいだ。
それに……私はゲゼルとこんな感じでこういう事をしたいわけでは――
「こんな感じも何も!なんであれ、したくないんだってば!」
「!?」
突然大声を上げた私に、ゲゼルが驚いている。少し、熱も冷めたようだ。どうやら、ゲゼルもらしくなかったと正気を取り戻してくれたようで、もぞもぞと服を整えている。
これが普段のゲゼルなら『なんだよセレ。お前その気があるんじゃねえか』と、いつもの薄ら笑いで腹の立つ事をペラペラと、止めても聞かずに喋り倒していただろう。
それがないという事は、向こうもかなり恥ずかしいみたいだ。私だって、恥ずかしい。
「……お前が『ただ一人の人』ってのは認めてやる」
「あ……ああ、そう」
何と答えたらいいのか。ぎこちなくなる。
「でも、どうして?アンタのそのゲゼ――それは、元々『呼び名』、なんだよね?」
「ああ。近所の爺さんにつけてもらった」
『セレ』は孤独の夜空にかつて輝いていたという星の名前だ。
対して『ゲゼル』は『謙虚なる者』という意味だ。……何を思ってその爺さんがよりにもよってゲゼルにそんな『呼び名』をつけたのかとは思うが――
「その人が、『ただ一人の人』なんじゃないの?」
『呼び名』のつもりであろうと、『ゲゼル』と授けたのはその爺さんだ。私の『セレ』だって、ゲゼルは『呼び名』のつもりで付けようとしたが、結果的にそれが『ただ一つの名』になった。
「いや。爺さんにはよくしてもらったし、『呼び名』を貰った事自体は嬉しかったが、それ以上には感じた事がなかった。お前に呼ばれるまで、『ゲゼル』はただの『呼び名』でしかなかった」
……ゲゼルの『ただ一人の人』が、そのお爺さんじゃないと言われて、ほっとしてしまう。冗談じゃない。なんで『やっぱり、私でいいんだ』なの。
「ゴミ捨て場で本を拾って俺達浮浪児に話して聞かせるのを楽しみにしている――ただの変わった爺さんだった。勘が働いたのかもしれねえが……たとえそれが俺の『ただ一つの名』を言い当てていたとしても、それをお前が――『ただ一人の人』が、俺に対して口にするまでは、何の意味もなかったんだろ」
そんな偶然があるのかと思う。
でも、そういえば以前――私がゲゼルからセレと『ただ一つの名』を貰ってしばらくした頃の事だ。
ゲゼルが私を羨んで、『自分に『ただ一つの名』をつけてはみないか』と言った事があった。
私は事前にルォウレンから、自分にとっての『ただ一人の人』であっても、相手にとっての『ただ一人の人』というわけではない。と言われていた。確かに、『ただ一人の人』に出会えるのがまず奇跡的な確率なのに、その確率が掛け合わされるなんてありえない――はずだった。
それに、ゲゼルに問われても、私はたとえ『呼び名』であっても、『ゲゼル』以外に考えつかなかった。『呼び名』として適当な候補を挙げる事も出来たのに。
……ゲゼルの『ただ一人の人』である私がゲゼルに授けられるのは、『ただ一つの名』である『ゲゼル』以外になかったからだ。
その時は『思いつかない』と話を終わらせたけど――
「できすぎた話だね」
「俺がお前を担いでいるとでも?芝居でこんな事するかよ。こっちはアイツらにからかわれていい迷惑だ。まして、娘奴隷が『ただ一人の人』なんて」
そんな言われ方をされては、流石にムッとする。
「アンタ、昔、私に『ただ一つの名』をねだったんだけど?」
「……そんな事、あったか?」
覚えてないんだ、腹が立つ。――しかし、そっぽを向いたゲゼルの耳は、赤かった。……先ほどの熱が残っているだけかもしれないけど――
「あったよね?覚えてるよね?」
「うるせえ!あの時は――『ただ一つの名』の重みがよくわかってなかったし、お前がこんなに底意地悪いと思ってなかったから――『お前なら別にいい』と思って言っちまったんだよ」
「……ふ、ふうん……」
反応に困る。
最低の人間の癖に、こういうところを見せられると、非常に困る。嫌なだけの奴ならいいのに。そういう可愛げがあるくせに、なんでああいう事をしたんだ。
「今にして思えば、馬鹿な事を言ったもんだと思う!どうして俺が、娘奴隷に庇護されなきゃいけねえんだ!」
「は!?こっちだってねえ――」
と、そこで私は考えた。私ではゲゼルに力で叶うわけがないし、たいていの事は、何を言っても笑って聞き流される。
……たいていの事でなればいいのだ。
「ゲゼル?」
「……!」
「ゲゼル、ゲゼル、ゲゼルー?」
「……馬鹿、セレ、お前……!」
ゲゼルが慌てて両手で耳を覆った。気持ちとしてはそうしたいんだろう。でも、体はそれを拒む。私は『ただ一つの名』を授かった事に関しては先輩なのだ。頭で拒んだつもりでも、聞きたくて聞きたくて仕方ないんだ。
「ゲゼル―?」
「馬鹿、よせ。ホント……やめろ……!」
へにゃへにゃと、ゲゼルがへたり込んだ。
ふふん、どう?ゲゼルを見下ろす。――どうせ呼ばれ慣れるまでのわずかな期間限定なんだ。少しは今までの仕返しをしたっていいだろう。このぐらいなら――
「セレ……本当に、やめてくれ……お願いだ……」
ぞくりと、また変な感覚が襲ってくる。欲しい。ゲゼルの全部が。守ってあげたい。だからかわりに――欲しい。
……したい。
今までゲゼルにさんざんされてきたんだ。私の方からして、責められる事なんてないはずだ。ゲゼルだって見てみなよ。こんな顔して、そんなふうにして。……してほしいんでしょう?
――って、違う違う!
「……わ、わかればいいのよ、わかれば!」
このぐらいにしておかないと、私の方もまずい。顔を赤らめ涙目のゲゼルから、私は目をそらした。
※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!
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