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ただ一つの名、ただ一人の人  作者: 神空うたう


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24話 幸せおすそわけ



 きょろきょろしている私をよそに、まわりのざわつく声が広がる。そして『ゲゼル』『ゲゼル』と、確かめるように声がして――そのたびに息を飲む吐息や、小さな笑い声などが起きる。


 目の前のゲゼルは顔を真っ赤にして――両手で耳を塞いでいた。理解できていない。あるいは、したくないのか。

 私もよくわからない。


 私とゲゼルより、周囲の方が理解は早い。


「ゲゼルだったのか……?ゲゼルの『ただ一つの名』が……」

「でも、ゲゼル様の『ゲゼル』は、『呼び名』では?」

「けどこの感じは……」


 なにせ、この館には、私とルォウレンという、『ただ一つの名』を持つ者が二人いて、その感覚をよく理解している。

 その感覚と同じだと、口々に声にしている。そう言われると、私のこの感じにも、確信が出る。これはゲゼルの『ただ一つの名』なのだろう。

 でも、この感じは、私がルォウレンを『ルォウレン』と『ただ一つの名』で呼んだ感覚の延長にあるだけで、全然違う。ルォウレンを呼ぶ時、心がふわっとあたたかく、優しい気持ちになるけれど――それ以上だ。甘くて熱くて、体が蕩けそうになる。


 これはゲゼルにセレと呼ばれた時にすごく似ている。

 『ただ一人の人』に、『ただ一つの名』を呼ばれた時に。

 ……つまり。状況を思い返してみても――


「……ゲゼル……?」

「――っ!」


 ビクリと、ゲゼルの体が震える。顔は真っ赤を通り越して、赤黒いほどだ。目尻に涙も見える。


「もしかして……」



 ……私が、ゲゼルの、『ただ一人の人』?



 でも、そんな。なんで急に?だって今まで私――


「……あれ?」



 私、ゲゼルの『呼び名』、呼んだ事、あったっけ?



 この館では、ゲゼルが一番長い付き合いだ。一緒にいた時間でなら、リャーラ達の方が長いけれど。……いや、待って。

 いつだか受けた注意が頭をよぎる。誰が誰かわかるよう、『呼び名』を呼べと。

 いや、こんなに顔を合わせる機会があって、一度もゲゼルに『ゲゼル』と呼んだ事がないなんて――どうだろう。

 けど、今、急にこんな感じになるという事は、そういう事、なんだろうか。

 ゲゼルや皆が揃って私を担ぐ理由もない。そもそも、この高揚感は、突然起きるようになった。


「えっ、ちょっとちょっと、今そこで、すごい事聞いたんだけど!?どいてってば!邪魔!」


 元気のいい声が遠くから聞こえてくる。話終わるまでにどんどんと声が近づいてきて――その声の主は、監視役の人垣の間から、きゅぽんと飛び出て来た。



「ゲゼルがセレの『ただ一つの名』を呼んだ『ただ一人の人』ってだけじゃなく、セレがゲゼルの『ただ一つの名』を呼んだ、『ただ一人の人』って、ホント!?」



 ……リャーラが皆の目の前で、この上なく明快に、話をまとめてしまった。

 そして、リャーラがこの事実を確認してしまった以上、この事実は私の『ただ一つの名』の一件と同様に、即日、館中に広まるのだった――


 ※※※


「いやあ、痛快だったね、ゲゼルの奴!呼び名を呼ばれるだけでぶん殴られたみたいな顔をして。しまいには、武器庫に閉じこもりやがった!」

「まだ出て来てないんだろ?」

「無理だろ、ありゃあ。俺らが飽きるまで、さっさとおもちゃにされる方がいいのに」


 廊下を行きかう監視役達のお喋りが聞こえてくる。ゲゼルは籠城しているらしい。

 『ただ一人の人』から『ただ一つの名』を呼ばれるのに比べれば、他人から『ただ一つの名』を呼ばれたところで『ちょっと嬉しい』ぐらいのものだ。しかし、数の暴力、波状攻撃となると話は違ってくる。

 私も、セレの名が知られて数日は、やたら色んな人からセレと呼ばれて、むず痒くて居心地が悪かった。


「普段偉そうにしている分、ゲゼルに仕返ししてやるチャンスだったのになー」

「まあいいや。……おい、セレ。セレちゃーん」


 娘奴隷の待機部屋前から、監視役が呼んでくる。

 こういう呼び方をされて機嫌よく出ていくわけもない。しかし、うるさい。アドゥリーがいらいらし始めている。アドゥリーが切れて騒ぐと面倒な事になる。同様に察知している周囲からの圧に負け、私は監視役達の元に渋々向かった。


「……アイツが出てくるように説得するつもりは、ありませんから」


 ――あ、やっぱり私、普段ゲゼルの事、ゲゼルって呼んでなかったなこれは、と思い至る。別にゲゼルだけに限った話でもないはずだけど。でも、ゲゼルすら『呼び名』――ゲゼルの場合はそれがたまたま『ただ一つの名』でもあったらしいけど、ともかく読んでいなかったのは、自分でも意外だった。


「ああ、ゲゼルの奴はいい、いい。アイツ、武器庫の鍵を飲み込んだとか言ってるし」


 本当にやったとは誰も思わないが、それだけのつもりでいるらしい。……どうせお腹がすいたら出てくるだろうと他の監視役は踏んでいるようだが。ただ、ゲゼルは元々、苦役区画の監視役だ。苦役奴隷ほどではないが、監視役といえど苦役区画の食糧事情は良くないから、飢えには強い。多少の事では出てこないと思う。

 私なんて、館の娘奴隷になった最初のうちは、ヘマをするとお仕置きとして『食事抜き』の罰を受けた。でも、一食二食どころか数日抜いても今までとそう変わりはない。結果、効果なしとして私に食事の罰はされなくなった。牢に閉じ込められたり多すぎる雑事を押しつけられたり比べると、食事抜きの罰が一番楽だったのに。

 ……今は食事に慣れたから、意外ともう耐えられないのかもしれない。ゲゼルはどうなんだろうか。


「それより、『ゲゼル』って呼ぶところを、聞かせてくれないか?」

「……は?」


 言っている事の、意味がよくわからない。


「だからな――」


 ……どうやら、『ただ一人の人』が、『ただ一つの名』を呼ぶのを聞くだけでも、心地いいらしい。


「ゲゼルの奴がさあー、セレちゃんの惚気や自慢話をするわけなんだよ。正直ウザいけど、ゲゼルがセレちゃんの事を呼ぶ時だけ、こう『ふわっ』となるから、アイツが言うに任せていたわけだ。なもんで――」


 言いたい事はわかった。

 しかし、惚気や自慢話、とはどういう事だろう。自慢話というのも謎だが、惚気る何があったというんだ。あの男は嘘八百を、まわりに吹聴していたという事か?だから、私が否定しても『ハイハイ』と、生あたたかい目で見られ続けたのか?

 ……武器庫から出て来次第、ゲゼルを問い詰めねばならなくなった。アイツが反省するとは思えないけど――いや、今なら私がゲゼルと囁くだけで、ゲゼルは大人しくなるはずだ。……いい気味だ。


「ともかく、『ゲゼル』って!ほら早く!」


 監視役達にせっつかれる。そんな事を言われてもと思うが、アドゥリーの苛立つオーラのようなものが背後からひしひしと感じられる。さっさと終わらせよう。


「……げ……『ゲゼル』……」

「おおおー……おお?」


 感嘆の声をあげかけた監視役達が、揃って途中で首を傾げた。


「……なんか違うな」

「足りないな。こう……余韻が?」

「深みがないというか」


 酒の飲み比べみたいな事を言い始めた。


「『ただ一人の人』になったばかりだからか?」

「もうちょいグッと来るはずなんだけどな」


 そんな事を言われても。だが、『本当に『ただ一人の人』なのか?』とまで言われると、流石にむっとなる。


「あの場には結構人、いたんだろ?」

「ああ、俺もいた。……もしかして、俺がゲゼルの『ただ一人の人』だったりして!?」


 私は、慌てて声を張り上げた。


「違う!アイツは絶対、私の『ゲゼル』に反応してたんだから!」

「お!それ!」


 パンと監視役達が、示し合わせてように手を打って、私を指さした。


「どれ!?」

「相手の事を思って呼ぶと、やっぱクるなあ……」

「まだちょっと濃さが薄いけど、さっきより全然よかったよ、セレちゃん!」

「今の感じで!」


 ほらほらと勝手に盛り上がっている。


「……わけがわからない。怒っただけなんだけど」

「だなあ。まあ、怒っていても、『相手を思っている』事自体に変わりはないよな」

「でもやっぱ……こういう運命的な繋がりの事を思うと、怒りよりも愛とかがいいよな」


 愛、いいねえ―!?とさらに盛り上がっている。酔っているのかこいつらは。いや、酔っていた。素面の監視役の方が珍しいんだった。……場所を変えたい。アドゥリーの視線が突き刺さってくる感じがある。


「……わ、わかった。できる限り努力するから。だから、言ったら帰って」


 ええー!?という声がするが、監視役達もアドゥリーの様子に気づいたようだった。コクコクと小刻みに激しく頷いた。聞く事そのものは諦めないらしい。



 しかし……『愛』と言われても。



 別に、ゲゼルを愛してるわけじゃない。

 ……愛とか、そんな。これはそういうのじゃ……よ、よくわからない。

 だってゲゼルが嫌な奴である事自体は変わらない。私にした事は変わらない。

 アイツが私に触れて、なまあたたかい吐息が間断なくかかって。

 その後で何を言われたところで馬鹿馬鹿しいとしか感じなかった。全部、押し付けで、独りよがりで、恩着せがましいだけで――


 ……『逃げるか』と、言ってくれた。


 冗談だってその後すぐ言い直したけど。逃げるか、って。一緒に、って。


「……げ、『ゲゼル』……」

「おー!?いい、いい!これだよこれ!」

「そう、これなー!?いつもの感じ!」

「同じ事でも、ゲゼルの癇に障る声より、やっぱ女の可愛い声だよなー!?」

「も、もう、いいでしょ!?騒がないで!帰って!婆さんに言いつけるよ!?」


 ともかくアドゥリーを怒らせたくない。怖いのではなく煩わしいからだ。あのキャンキャンとした甲高い声で、花瓶が震うほど怒鳴られ続けるのはたまったものではない。どうにか監視役達を追い返し、私は恐る恐る、娘奴隷達の待機部屋を振り返った。

 ……?

 何やら皆、様子がおかしい。

 頬を染めている。


「セレせんぱーい、なんだか今の、すごくドキドキしましたー!」

「へっ!?」


 見れば、先ほどまでおそらく怒鳴るタイミングを計っていた感じのアドゥリーすら、なにやら目がきょろきょろ、体をモジモジと落ち着きがない。私と目が合うと、『フン!』と大きく鼻を鳴らして、待機部屋を出て行った。どこに行くのか。館が客を迎え入れるのにはまだ時間があるというのに。


 そ……そんなに、『いい』ものなんだろうか。私がただ『ゲゼル』って言っただけなのに?


 それに――監視役達の言動からすれば、あれが、ゲゼルが惚気や自慢話をしている中で、私の名前を呼ぶ時の感じと似ているらしい。


「……」


 ――ゲゼルが武器庫から出てきたら、問い詰めなければならない事が、色々ありそうだ。




※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!

  毎日一話ずつ更新中。


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