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ただ一つの名、ただ一人の人  作者: 神空うたう


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23話 混乱



「げ。おい、クファリド。マズいぞ」

「え、何が――ええっ!?この子、泣いてる!?なんで!?」

「クファリド、お前、セレに何したんだよ!?」

「してないしてない!」


 監視役達が騒ぎ始めた。

 泣いてはない。大袈裟だ。そう思って顔に手をやる――は?泣いてる?そんな、この程度で?……ううん。この程度、じゃない。


「お前さん達、若いもんで揉めるんじゃないよ」


 ふがふがと口元がおぼつかない感じの声がした。髭で顔の半分ほどが覆われているせいかもしれない。ずいぶんな年寄り監視役が向こうから歩いてくる。

 あ、まずい。

 『呼び名』は知らないけど、ものすごく見覚えがある。というか、さっき見た。という事は、もしかして。その年寄り監視役の後ろには……ああ、最悪。

 面倒事なんて御免だといった顔の、後ろにいた監視役と目が合う。監視役が大きく目を見開いたかと思うと、長い手足で一足飛びに、駆けつけてくる。

 ――ゲゼルだった。


「お前ら!いくらそいつがまだ館に出してない、半端な娘奴隷だからといって――何をした!?」


 ゲゼルの剣幕に、二人の監視役はすっかり血の気を引かせている。

 駆けつけたゲゼルとは対照的に、手を後ろに腰の上で組んだ老いた監視役はゆっくりこちらにやって来て『ゲゼル、お前さんも落ち着きなさい』と、ゲゼルを窘めた。髭だけでなく眉毛も長いし髪も長い。真っ白の獣みたいに見える。腰も折れ曲がっているので、見た目の背丈は私とそう変わらない。

 その老いた監視役の言葉に、ゲゼルは大きく息をついた。きっと、この老いた監視役でなければ、言い返していたのだろう。


「……その娘奴隷だけではない。娘奴隷も、皿ひとつに至るまでこの屋敷の者はすべて旦那様のものだ。俺達が害していいものではない。……まして、貴様ら如きが」


 言葉の勢いは減った。それでも目の前にいる二人の監視役に対する苛烈さは、隠しきれていない。


「……ゲゼルよ」


 老いた監視役が眉をあげている。


「……っ。申し開きがあるなら、後で聞く。――娘、早く戻れ。このあたりは、お前の管轄区域でもないだろう。何やってんだ」


 最後の方は少し言葉が崩れているが、ずいぶん他人行儀な――偉そうな物言いだった。怒りを抑えるためにか、この老いた監視役の前だからかはわからない。

 けど、ゲゼルと私の事なんて、この館に関わる人間なら皆知っている事だ。そんなふうに壁を作るみたいな言い方は、なんだか嫌だった。

 それに――この老いた監視役がいれば大丈夫かもしれないが、この二人の監視役はまったく悪くない。私が勝手に声をかけて、勝手に泣き出しただけだ。


「あの……この人達は関係ないから」

「関係あるかどうかは、こちらで判断する事だ」

「は?なんで、見ても聞いてもないアンタが『判断する事』なのよ」

「……庇う必要もないだろう。どうして娘奴隷をこんなところに連れてきた?まさかお前ら二人で――」


 確かに掃除を定期的に行う区域ではないし、倉庫などとも方向が違うけど、それは私が――『物色』していたからだ。無理やり連れてこられたわけではない。普段目にするようなところにいる監視役達は、揃ってろくでもない奴ばかりだった。だから、マシな監視役がいないかと、普段立ち寄らないところに来ただけだ。

 館の迷惑客を相手にしていたゲゼルを思い出す。

 娘奴隷が助けを呼ぶような事をしたとはいえ、それでも客である相手に対して、ゲゼルは容赦なく棍棒を振るっていた。まして客ではなく、部下であろうこの監視役達相手に、どんな振る舞いをするか――

 私のせいで巻き添えにはできない。


「この人達は本当に何でもないの――あの、伝言を頼まれていて。その結果を伝えに来ただけなの」

「……それでなんでお前の泣く事がある?」

「そ、それは――」


 私が言い淀んだのを、ゲゼルは勝手に解釈をしたようだった。

 手近なハウシーの胸元を掴むと、そのまま壁に打ちつけるようにした。


「俺じゃない!俺じゃないです!クファリドです!」


 ハウシーを押しつけ続けたままゲゼルはクファリドを見た。――隣にいただけの私すら、震えあがりそうな目だった。


「ちが……違います。俺だって、何もしてま……してません……!」

「エイセダには気を払っていたが……」


 違います!泣き出しそうな二人の声が響いた。

 なんだなんだとその声に気づいた監視役達が狭い廊下に集まり出したが、ゲゼルの様子に気づくと、それ以上距離は詰めなかった。後ろから増えてくる野次馬に押しだされるのを耐えようとしている様子もある。

 老いた監視役は『ゲゼル』と、声を張ったが、もうゲゼルの耳には届いていないようだった。

 マズい。そこまで怒るなんて、思わなかった。

 それも、ただの勘違いで。


「ち……ちょっと。違うんだって。その人達は、関係ないの。わ……私が。『仕込みの練習』を、って思っただけで」


 こんな事を口にせねばならないなんて。恥ずかしい。こんな事で揉める娘奴隷なんて、いただろうか。いや、監視役からの扱いが酷いと揉める、慣れていない娘奴隷はいた。サタネテの時は、取り合いで監視役同士が乱闘騒ぎを起こしていた。

 でも、まだ何もしていないのに揉める娘奴隷なんて、少なくとも私は聞いた事がない。


「……『仕込み』?そうか、お前ら、それで――」

「違うってば!まだ何も!その話をしようとしただけで!」


 二人も、それぞれ首が振り飛ぶ勢いで頷いている。事実そのとおりなのだから、私はそのとおりに言うしかない。二人も同様だ。しかし、ゲゼルはそれで納得しなかった。


「それで俺が騙されるとでも?その程度の事で、お前が泣くわけあるか!」


 それはそうだろう。

 なんでそれっぽっちの事で泣くのか、私にもわからない。けど、理由は一つしかなかった。


「そのつもりで声をかけたけど――やっぱり『嫌だ』って思ったの」



 悔しい。こんな事を口にしなきゃいけないなんて。

 でも、本当だった。



「アンタ以外に、触れられたくないって。アンタにだって、触れられるのは嫌なはずなのに。それでも、他の監視役や、客や――それが旦那様であっても、嫌だって思った」


 そう扱われるのが当然で、そのための娘奴隷のはずなのに。


「誰かに触れられるなら――どうしてもそれが避けられないなら。それならアンタ以外の人は嫌だって思った。……アンタじゃなきゃ嫌だって」

「……」


 ゲゼルはそれでも納得できていないようだった。

 それでも――二人の様子を見て、ハウシーを掴んでいた手を離した。そのまま崩れ落ちそうになるハウシーを、クファリドが支える。


「まあ、お前は我が身を呈してまで悪人を庇うほど、お人よしじゃないからな。……むしろ、喜んで突き出す女だ」


 それは言い過ぎな気もするが、まあ、もしこの二人が実際にそんな事を私にしていたなら、ゲゼルが言うとおりの事をした。喜びはしないが、しめたとばかりに。

 ともかく、私のせいで無実の二人が血だらけになる未来は回避できたようだった。


「そう思うのなら……最初から、俺のところに来ればよかっただろうが」


 それが嫌だったからゲゼル以外の手段を考えていたんだ。

 まさか、ゲゼルの方がマシだと思っているなんて、私は今の今まで理解していなかった。

 でも――たとえディアラン婆さんの課題である『仕込み』をこれからずっとゲゼルで終えたとして――結局、館の仕事に就けば、ゲゼル以外の男を――客を相手にしなければならない。それは、どうしたって避けられない。

 ゲゼルに『仕込んで』もらううちに、気持ちの整理がつくものなのだろうか。他の娘奴隷は、どうやって、整理をつけたのだろうか。


「……なんだお前ら。――散れ!持ち場はどうした!」


 ゲゼルが煩わしいとばかりに、野次馬に当たり散らす。老いた監視役は困ったものと息をついたようだが――もしかしたら、これに似たような事は、今までにも見て来たのかもしれない。やや腰が抜けたようになっている二人の監視役に声をかける。肩を貸そうとしているようだが、あのよぼよぼした感じでは、どちらが肩を貸しているのかわからない。


 ゲゼルが居心地悪そうに口を開いた。


「……とりあえず、その……俺の仕事の空いた時間にでも――」

「うん」

「俺は最初から、俺以外の奴に、お前を触れさせるつもりなんてなかったんだ」

「……うん」

「それをお前が言う事を聞かずに――お前は馬鹿な奴だな」

「馬鹿ではないから」

「そこは、頷いときゃいいんだよ」

「それはできない。馬鹿じゃないから」


 ゲゼルが軽く笑った。


「しょうがねえ奴。やっぱ馬鹿だろ」


「馬鹿じゃないけど。でも、館になんて、出たくない。ずっと――」


 こんな、子どもみたいな事を言う事になるとは思わなかった。

 娘奴隷なんだから、それが通るわけがないのに。わかっていても、思っている事を言葉にしてしまう。なら、やはり私は――ゲゼルの言うとおり、馬鹿なのかもしれない。



「ずっと、ゲゼルだけがいい……」

「ほら、やっぱり馬鹿みてえな事――を――」



 私とゲゼルは、同時に目を見開いた。

 娘奴隷が、分をわきまえない事を口にしたから、ではない。


 まだまわりにいた、老いた監視役や、巻き添えになるところだった二人の監視役、野次馬をしていた監視役達も――時が止まったように、息を飲んでいた。


 視線が、私とゲゼルに、集まる。



「……うそ。……げ……『ゲゼル』……?」



 私が、再度口を開く。

 すると、胸が大きく弾んだ。

 この感覚によく似たものを知っている。とてもよく似ているけど、僅かに違う感覚。



 ――私が、ゲゼルにセレと呼ばれるあの感じ。

 ……『ただ一人の人』に、『ただ一つの名』を呼ばれる時の感じに、とてもよく似ていた。



「……!?」


 その感覚を知っているはずのゲゼルは目を見開いたまま――脂汗に近いものを流していた。

 なら……

 ゲゼルも、私と同じような違和感と、高揚感を……持っている?


「どうしてだ?俺は今、別に、お前を呼んじゃいねえぞ?俺は、『セレ』とは――」


 私の『ただ一つの名』を呼び、『ただ一人の人』としての感覚を確かめている。

 私も、今呼ばれた感覚を、あらためて確かめる。どうしようもない、抗えない感覚。他の人にセレと呼ばれる時より、ずっと特別な感覚。自分ではどうにもできなくて、他人に感情をかき回される不愉快さ。……今は、少しだけ――ゲゼルに対して素直になれたからか、心地よさが勝る。

 ――けど、先ほど感じたものは、やはり、この『ただ一人の人』に『ただ一つの名』を呼ばれた時の感覚にとても近かった。

 そして、比較してわかる。

 とても似ている。けど、決定的に、少しだけ違う。


「あの……ごめん、もう一回、いい?」

「いや、よせ、やめろ!」



「……『ゲゼル』――」



 ……!

 どういう事!?

 これは、この感じは。もしかして……


「……ゲゼル?」

「今、ゲゼルって……」

「セレが、ゲゼルってただ呼んだだけだよな――んんっ!?なんだ!?」


 野次馬達がさざめきだす。

 そして、違和感に気づき始める。


 当事者である私達より、当事者ではない周囲の方が、確信を持つのは早かった。奥の方から、声があがる。


「ゲゼル――お前……お前って、『ゲゼル』だったのか!?」


 どういう事なのか、よくわからない。……いや、そんな。

 ゲゼルが――『ゲゼル』!?





※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!

  毎日一話ずつ更新中。


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