20話 せんたくすべきもの
――ゲゼルだ。
久々に顔を見た気がする。向こうもこちらに気づいてくれた。でも、話してなんてやらない。私は洗わなければならない洗濯物の籠を持って、ゲゼルの脇を通り過ぎようとする。
「おい。おい、セレ」
「……ぐえ!?――服を掴まないでよ!?」
そこを掴まれたら、首が締まる。私は籠から洗濯物が落ちないようにと顎で抑えた。
「まわりがちやほやし始めたから、俺と口をきく必要はないって?誰がお前を可愛がってるんだ?今はたまたま時間があるから、特別に聞いてやろう」
「……何様?」
「ゲゼル様だ。傅いて呼びたいなら、そう呼ばせてやる」
私の襟首を掴んでいた手を放しながら、ゲゼルが挑発してくる。
「ふざけないで。……そういえばアンタ、他の監視役にも、そう呼ばせてるの?」
この間の、フィレンティア贔屓の不埒な監視役を思い出す。
「何の事だ?」
……事細かに話してもいいが、あの監視役の言っていた事が、どこまで本当かわからない。
ゲゼルの荒さは迷惑客への対応で知っているけど、骨を折るのなんのは大袈裟だと思う。まして、私絡みで今さらゲゼルが。まあ、次があれば、あの監視役のどこかの骨が折れてもいいが――今日のところは黙っておいてあげる事にする。
「最近、監視役がアンタを様付けで呼んでるのを聞いたから。たまたま」
「誰だ?……まあ、たいていの奴は、そう呼ぶだろ」
そう言って、ゲゼルは監視役の支給服の襟ぐりを自慢げに見せた。ゲゼルだけ、やたらラインの色やデザインがころころ変わっている印象がある。でも、今回は以前見たのと色もデザインも同じだった。
「……わかんねえか?セレ。もう俺は、ここじゃあ上から数えた方が早いぐらい、偉いんだよ」
「人材不足なの?」
「開口一番がそれかよ」
「娘奴隷の監視役なんて、偉くなったからって何ができるの」
「……これだから、お前には自慢のし甲斐がねえんだよ」
ゲゼルが舌打ちをする。イラっとするから、それ、やめてほしい。でも、舌打ちだけで具体例を持ち出さないという事は、役職だか階級なんて、やはり有名無実なお飾りなのだろう。
「偉い人間のお気に入りってのは、色々都合がきくとは思わないか?加護を高めてやろうか?たっぷり可愛がってやるぞ?」
私を害する事なんてできないくせに。それとも、私以外に『加護を高めて』やっているのだろうか。
「何も知らない、無邪気な娘奴隷を喰いものにしてるの?」
「偉くなるってのはそういうもんだ。セレが泣き付いてくりゃあ、娘奴隷達を黙らせる事だってできる。今にディアラン婆さんだって、俺に膝をついてくるだろうさ」
大きく出たもんだ。
ともかく自慢をしたいらしいが、それに付き合ってやる暇はない。偉くなったからどうだというんだ。ゲゼルはゲゼルじゃないか。洗濯物の籠を代わりに持ってくれるなら、私はその人間性を高く見たが、隣を歩くだけ。『持とうか?』の一言もない。こういう奴だ。
……ほらね?こんな奴に『愛されたい』なんて、思うわけがない。
「なんだよ、セレ」
「……別にっ!?」
私の『ただ一つの名』を呼ぶだけでいい。それだけのために、存在するのは許してあげる。だから――もっと『セレ』と、呼んでくれればいいのに。
「ああ、それで。……セレ、お前――」
洗濯物籠を抱える私の隣を、ただ共に歩くだけのゲゼルが、あらためて口を開く。
「そろそろ『館に出る』って、本当か」
ゲゼルの言葉に、一瞬言葉に淀む。『旦那様の館』に出て――客相手に『仕事』をする。娘奴隷に求められているのは、それだけの事だ。それしか求められていない。
私は、まっすぐ前だけ見つめて答えた。
「――婆さんは、そのつもりみたい」
「お前がこの館に申告している年齢だと、問題あるんじゃねえのかよ」
「知らないよ、そんな事」
「そうでなくても、そんな棒切れみたいな体。客の誰が喜ぶんだ」
「アンタみたいな奴じゃないの?」
ゲゼルが最近私に手を出してこないのは、ゲゼルが私の『ただ一人の人』だから。私を真には傷つけられない――害せない、という制約があるためだ。
宴の時のように無理をすればできないわけではないらしいけれど、それはかなりの苦痛を伴うらしい。旦那様の指示でなければ、断っていたのだろう。けれど、その制約がなければ、本当は――というつもりらしい。
その欲求を満たすために、私から『セレ』を奪おうとしたぐらいなんだから。
「エイセダと一緒にするな。俺はちゃーんと、お前がこすっからい手を使ってるのを知ってるからな」
ゲゼルは私が幼く年齢を誤魔化しているのを知っている。
食が細いのは、別に成長を拒否してというわけではない。苦役奴隷として欠片みたいな食事だけで生きて来たから、そもそもたくさん食べられないのだ。最初の頃、目を輝かせて一人前をそのまま食べきったが、すぐに吐いた。数日調子も悪かった。偏食が多いと他の娘奴隷からは思われているが、食べられる量が限られているだけだ。まず食べたいものだけ食べると、もうそれでお腹がいっぱいになり、他に手をつけられない。私だって、本当は皆と同じだけ食べたい。
それでも、ずいぶん太ってきたと思う。関節だけがゴリゴリ目立つ感じはずいぶんマシになってきた。
……ゲゼルが私の年齢詐称を知っているとはいえ、私がそれを疑われない外見であるなら、そのエイセダという問題人物と、結局は同じなのでは?単純なしつこさもあるが、そのあたりが、元々低いゲゼルの娘奴隷からの評判を、さらに落としている原因のような気もする。
……そういう趣味なのか、この男。
「俺だって、抱くだけなら他の娘奴隷がいい。サタネテとか」
「あっそう」
サタネテは、客はもちろん、監視役の間でも人気が高い。まあ、わかる。
あの体つきだ。『人生で一度ぐらいは』と思うし、一度味わえば二度三度となりそうだ。私でもそう想像できるのだから、当の男ならもっと直結して考えるのだろう。
……人気が高いのがはたして幸せか、とは思う。心身の負担は大きいし、目立ちすぎると他の娘奴隷からのやっかみも大きくなる。
それでも、客が取れなくなれば、娘奴隷としての役には立たない。他に売られたり、苦役奴隷に落とされる。旦那様の館は他の館より待遇は良いらしいし、用をなさぬとして売られるのだから売られた先での扱いはお察しだろう。まして苦役区画なんて。実情はどうあれ、『元、娘奴隷』というだけで、苦役区画では『別格の扱い』を受ける。――苦役区画で長生きしてもとは思うが、だとしても、想像を絶する苦痛の中で人生の幕を閉じる羽目になるのはあまりにあまりだ。
「ディアラン婆さんも甘いような顔をして、しょせんは婆さんか。こんなガキを館に出すなんて」
ゲゼルが良識ぶった事を言っているが、苦役奴隷だった私を、娘奴隷として献上したのはゲゼルだ。ゲゼルは命を救ってやったなどと言っているが、結局自分の待遇改善の道具としただけ。乾いた笑いが出そうになる。なにより――
「手つかずとして売り込めるわけでもねえのに」
そうだ。最初に私を傷つけたのは、ゲゼルではないか。
……それがなければもっと早いうちから館に出されていたかもしれないが、多少時期が遅くなっただけの事。行き着く先は結局同じだ。
私は『まだ幼い』『体が仕上がっていない』という事で、娘奴隷にもかかわらず、雑役奴隷のような下働きだけですんでいる。……監視役の『慰労』についても、ゲゼルの『お守り』だけですんでいる。
娘奴隷なのに何の益も生み出さない私を置いておくほど、旦那様も無能ではない。まして、実質的に館を運営しているディアラン婆さんからしてみれば、なおの事。
「……セレ。逃げるか、一緒に」
「――!?」
まっすぐ前だけを見て歩いていた私は、そこで初めて足を止めた。
ゲゼルを見る。
昇りつめた日差しの関係で、ゲゼルの顔が影になっていた。急に日のある方を見たせいで、なおさら読み取れない。
「……酷え顔。冗談だよ。せっかくコツコツと今の地位まで上がってきたのに、セレのためなんかで、それを捨てるわきゃねえだろ」
薄ら笑いの口元だけが、見て取れた。いつものように私を哂っているだけなんだ、きっと。
酷い顔?
なら、よかった。
「――そん、なの……こっちだって願い下げ。どうしてアンタなんかと。」
何故か、気持ちがぐしゃぐしゃっと――洗い物として籠に詰め込まれている、目の前の洗濯物と同じようになった感じがした。
この館の監視役である事に、どれほどの価値があるっていうんだろう。そんな大したものでもないくせに。それと比べられたのか、私は。そして、そんな価値のない物よりも、価値がないって、コイツは言うのか。
「逃がしてくれるっていうのなら、少しは感謝したけどね」
『自由になってほしい』と、ゲゼルがそう願ってくれているのかと、少しは思えた。馬鹿みたいに、私は、伸ばされてもいないその手を取ろうとすら――
「……でも、アンタはいらない。ここでお山の大将にでもなれば?」
「ここを出て生きていく方が地獄だろ。お前ができる『稼ぎ』方は、結局ここで求められている事と同じだ。――しかも、最低の質と金で」
なんだ。結局どこも地獄なのか。
……別にそんなの、わかっていた。でも――なら、生きている意味なんて、どこにあるんだろう。
この屋敷で、見知らぬ客に毎晩『可愛がられる』ように媚びへつらうのが最善の道だというのか。今度こそ、乾いた笑いが漏れた。
少し早歩きで歩みだす。洗濯物が崩れないよう、横着して顔で洗濯物を押さえつけるようにして。男と女の、嫌な臭いが洗濯物からはしていた。
※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!
毎日一話ずつ更新中。
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