18話 齟齬
ちゃんと二人で話し合った方がいいって!――というリャーラの気持ちは理解できる。リャーラは悪い子ではない。娘奴隷の中では、一番私を気にかけてくれている。
しかし、お節介だった。煩わしいほどに。話し合いなんてお行儀のよい解決方法でどうにかできると思っているあたり、特に。
ただ、無視を続けるのも無理だった。顔を合わせるたびに『どうだった?』と聞かれ、『なんでまだなの!?』と咎められてはうんざりもする。
適当に『話し合った』事にすればいい。そう思って、私は館の裏方仕事を早めにすませ、娘奴隷の待機部屋を出た。
廊下を歩くほどに、ゲゼルに対する怒りがふつふつと湧く。アイツのせいで、私はリャーラに追い立てられ、忙しい仕事の合間を縫って話し合いをしなくてはならないのだ。
廊下ですれ違う監視役達から『あれがセレか……』などと物珍し気に呟かれるのが煩わしい。
そうして館中を回れば、ゲゼルは見つかった。ゲゼルの支給服は、また襟のラインのデザインが変わっていた。
「……」
ゲゼルは顔を顰めた。いつもならへらりと薄ら笑いを浮かべているところのはずだ。しかし、知るものか。そんなもので私は臆さない。ゲゼルの腕を掴む。
「――!?なんだ、おい。お前にゃわからないだろうが、俺だって仕事はあるんだぞ!」
こそこそ酒を呑んでは娘奴隷達をつまんでばかり。そんな監視役達が、何の仕事をしているというのか。
「優秀だとか、旦那様の覚えもめでたいとか自慢してなかった?そんなの後でどうにかして!」
「なんっ……おい!」
ゲゼルは私が腕を引いている間に、他の監視役に何やら手で合図を振っていた。とりあえず、私に従うつもりらしい。
――近くの部屋に入る。……とりあえず、他の監視役や娘奴隷の『使用中』ではなかった。
「まさか、お前がここに俺を引き込むとはな?」
この部屋の使用用途は主に『それ』であるが、もちろんそんなつもりはなかった。ゲゼルも、ただの嫌味で、そのつもりはないようだった。
「――セレ。俺以外の人間が、お前の『ただ一つの名』を知っているってのは、どういうことだ」
「……色々あったの。いいでしょう、そんな事」
「俺に奪われるとなったから、先に手を打ったか?巧い手を使ったもんだ」
「そういうわけじゃ、ない」
泣いて喋ったという経過までは、まだゲゼルの元には来ていないようだ。あんなみっともない事、知られなくてよかった。
「……よかったじゃねえか。それは、ただの『呼び名』じゃねえ。『ただ一つの名』だ。おかげで、セレ、セレ、セレ……どいつもこいつも浮かれて呼んでやがる。――これで、皆がお前を呼んで可愛がってくれるな?」
ゲゼルは部屋の壁に背を預けると、ひらりと手を揺らめかせ、私を哂った。
「俺の役目は終わった。そもそも、お前は『ただ一つの名』を得た時点で、俺は用済みだった。いや、苦役区画さえ抜け出られれば、か?……あーあー。お前程度に、巧く使われたもんだ。可哀想だなあ、俺は!」
相変わらず、よくもそんな事を言えたものだ。
「ともあれお前は、『ただ一人の人』が守らなくともやっていける。……だろ?」
「……何言ってるの?アンタが私を守った事なんて、ないのに。面倒事がなくなって、清々したと思ってるだけでしょ?」
せいぜい、自分だけの『玩具』ではなくなった事が不満なぐらいだろう。『ただ一つの名』を偶然授けて、奪おうとして。ゲゼルに振り回される私を、面白がっていただけだ。
そこで、ゲゼルが舌打ちをする。毎度毎度なんなんだ。こっちだって、舌打ちをしたい。
「……『守った事なんてない』?セレ。お前、本気で言ってるのか?俺はいつでもお前を守ってやっていただろうが。『ただ一つの名』だの、『ただ一人の人』だの、そんな事関係なく」
どの口が。
私の口が嘲るように歪んだのが、なおさらゲゼルには不快なようだった。
「苦役区画で、ボロをまとった棒切れでしかなかったお前を見つけた時から、俺は特別お前を引き立ててやっただろ?ここで――館で、綺麗な服着てあたたかい飯が食えて、手足を伸ばして眠れるのは、誰のおかげだ?」
「前もそんな事を言っていたけど、それは旦那様が娘奴隷達に準備しているもので、アンタのおかげなんかじゃ、ない!」
監視役が恩を着せる事ではない。私がその件で感謝せねばならないとなっても、その相手がゲゼルのわけはない。
「……あの苦役区画で、他の奴らと同じように死にたかったのか?」
ゲゼルが、私の腕を掴んだ。痛い。
「今でも細いままだが、それでもあの頃よりは肉がついてるじゃねえか」
ゲゼルが、確かめるように腕を掴む指に力を込める。そして、苦々しそうに口を開いた。
「……お前がいなくなって、苦役区画がどうなっていったか知ってるか?流行り病こそ出なかったが、元から蔓延していた病で、苦役奴隷は大勢死んだ。奴隷の値段が上がっていたから、奴隷の追加は無い。俺達は数少ない苦役奴隷を使って、託された仕事をこなさせなきゃならねえ。ますます死んだ。俺達苦役区画の監視役も、三割は死んでる。……お前があのまま残っていたら――あんなやせっぽちのガキだったお前は、俺が連れ出してやらなけりゃ、間違いなく死んでいただろうな?」
「『連れ出して』?」
誰がそれを望んだ?
苦役区画の苦役奴隷は、鞭や棍棒や、休みない労働という地獄を強いられる。けれど、館の娘奴隷は、別の地獄の中で生きなければならない。
「ああ。連れ出してやった。救ってやった。お前の望むとおりに」
「望んでなんてない!ふざけないで――」
ゲゼルに捕まれている腕を振りほどこうとする――無理だった。睨みつけるが、ゲゼルはそれを冷たく見返してきた。薄ら笑いではない目。いつかの目を思い出させる。お互い今よりボロボロで、薄汚くて、極限の縁を歩かされていたあの頃を。
「お前は、館がいいと言ったんだ」
ゲゼルの声が、静かに響く。
「……手薄になっていく館の娘として、苦役奴隷の女を献上すれば、俺はあのクソみてえなところから抜け出せる。そのつもりだった。それでも。……あの掃き溜めで、お前にわずかな飯を与えてやってもいいと思った。けどお前は、俺の元じゃなく、館がいいと言ったんだ。だから俺は、お前の望みを叶えてやった」
「望み……?」
ああそうだ。問われた。『選ばせてやる』と。どちらの地獄か、選ばされた。選ぶしかなかった。それを私が望んだと思っているの?
あんな無茶な選択を迫っておいて。
「お前は特別だった。俺の手元にはおけなかったが、他の監視役達に目をつけられる前に、お前を館に救い出せてやれた。俺も、運よく苦役区画の監視役を抜け出せた」
「何が……何が、『救い出せた』なの!?こんなの全然、救われてない!アンタは私を傷つけて、ここでもいずれ――」
何が特別だ。私を力づくでものにして、出世の道具として使って。
「何が不満だ。セレ、お前は――俺ですら、自由になんてなれないのに」
「……!」
「こんなガキで苦役区画にいたんだ。お前、外を知らないんだろう。まわりの奴隷の話ぐらいしか知らない。違うか?」
「……」
「奴隷に身を落とす前のいくらかの自由を――さして自由でもなかったはずなのに、『今と比べりゃずっとよかったはずだ』って信じたいやつらの言葉で」
別に……外が楽園だなんて思ってない。辛い事だっていっぱいあるって、想像できる。それでもきっとここよりは――
「セレ。……お前は生まれながらの奴隷にしちゃあ賢い方だがな?生まれながらの奴隷だからこそ、愚かだ。……外じゃあ『純粋』とも言ったかもしれねえがな?」
ゲゼルの声は、静かだった。
「お前が選べる『自由』が。お前でも叶えられる『自由』がそれだった。俺が、特別気に入っていたお前のために手を貸せる範囲では。……何もかもが叶うわけ、ないだろ」
「何を……そんな」
体が震えてくる。
それでも私は。それでも私は――
「どうして力づくで……あんな事をしたの。特別だって、お気に入りだっていうのならあの時や――その後だって。どうして私に酷い事をしたの!?結局は私を、アンタの出世の道具にしただけじゃない!やっぱり私を守ってなんていない!」
「――誰が死体かもわからねえようなところに、棒切れみたいなガキを置いておけば、早晩に死ぬ。俺の元にいるのも嫌だと言う。だったら、当初の予定通り、俺の出世に使うのでいい。俺とお前の望みが双方果たせる。なにより、特別気に入っていたから、俺の物にしたんだ。俺にはそれができた。何が悪い」
開き直り――ではない。
きっとゲゼルは、それが最良の道だと思っている。踏みつけもするが、それだけではないと。
「お前は『セレ』だ。たとえ今や誰も目を向ける事がなくとも、遥か昔、孤独の空に燦然と輝いていた星。それが『ただ一つの名』でなくとも、お前は俺の『セレ』だ」
セレは元々、星の名だ。今はもう無い星の。
本気でこいつは、私を輝く星のように思っているっていうの?
ゲセルが、もう一方の腕も掴んで、私を見降ろす。
「ただ――『セレ』が――それが『ただ一つの名』であったために、俺は『ただ一人の人』になっちまった。加護し、庇護し――傷つける事ができない。……俺はお前をそんなに傷つけているのか?心臓を爪で裂かれるような痛みのせいで、お前を満足に抱く事すらできないなんて、そんなのありか?別に俺は、『ただ一人の人』になりたいわけじゃない。セレがセレであればいい。『ただ一つの名』である必要もない」
それらはすべて、ゲゼルの本心のようだった。だったら――なおの事、酷いと思う。
「結局……何もかも、身勝手なだけじゃない。アンタの欲のために、私から、唯一のものを取り上げようとしているんだから。そこまで私を傷つけて、よく言える」
「何がだ。傷つけるも何も、俺がどうしてそんな事を気にしなきゃいけない?これだけしてやって、何の不満がある?」
「……何の不満も何も――」
はっ、と鼻で笑ってやりたい。何もわかってない。それで心を揺さぶられるわけもない。
「俺はお前の旦那様じゃねえが、それでも娘奴隷の監視役だ。娘奴隷のお前に、何の気を遣う必要がある?」
「――」
苦役奴隷上がりの娘奴隷。それが私で。ゲゼルはそんな私を含む娘奴隷の監視役。
別に、忘れていたわけじゃない。
けど――今さらながら言われた言葉が、何故か強く胸に刺さる。……なんで?
奴隷なのは、生まれた時からだ。鞭で打たれて育ってきた。今も、娘奴隷として『本来の役割』が目の前に差し迫っているのを実感している。でも、そういう事じゃなくて――
「な、何の気を遣うって……アンタも私も嫌だけど、アンタが私に『ただ一つの名』を与えた『ただ一人の人』なのは変わらなくて。変えようがなくて!なのにアンタは私を傷つけて!守ってくれなくて!」
「セレ、お前、そんなに俺に守ってほしいのか?ディアドラ婆さんに立てつけって?旦那様の元から脱走させろって?」
「別に、アンタになんて守られたいわけじゃない!私はそんなに弱くなんてない!そうじゃなくて!そういう事じゃなくて――」
わからない。
歯がゆい。
ゲゼルは何から何まで私を苛立たせる。なんでこいつなんかが私の『ただ一人の人』なんだ。コイツでさえなければ。こんな奴なんか。そう思うのに。それでもゲゼルが私をセレと呼ぶだけで――
「なら――セレ」
ああ。『セレ』と――その響きを聞く瞬間、ゲゼルへの憎しみが、薄まる。苛立ちが、おさまる。
「セレ。お前……まさか俺に『愛されたい』のか?」
「――」
思いもしなかった言葉は、私では持ちえなかった欠片だった。その欠片はゲゼルの手で、今回も無遠慮に、何の躊躇もなく押し込められ――ピタリとはまった気がした。
――だからこそ。……認められなかった。
※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!
毎日一話ずつ更新中。
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