14話 無責任な噂話
「何なの、あの子!私、言ってたわよね、昨日も!一昨日も!大事な客が来るから、完璧に髪を結いなさいよ、って!……ねえ!?」
娘奴隷のアドゥリーのけたたましい声が聞こえてくる。巻き込まれた娘奴隷の困惑する声も。
いくらこの大部屋が娘奴隷の待機部屋と薄い壁一枚隔てただけの場所とはいえ、薄布団をかぶっているのに。まるで耳元で怒鳴られているみたいだ。
アドゥリーはすぐに怒るからいけ好かない。だが、確かに、昨日や一昨日どころか十日ほど前から言われていた事を反故にするのは悪いと思っている。
でも、無理だった。
こんな泣き顔、アドゥリーどころか、誰にも見せたくない。
生まれた時から苦役奴隷だった。この年まで育ったことが奇跡だと思うぐらい、鞭や棍棒で打たれたり、蹴られたり殴られたり――奴隷の名にふさわしい扱いを受けてきた。
苦役奴隷から娘奴隷になったって、結局意に沿わない扱いを受けるのだと、その覚悟はあった。
何より、ゲゼルにそう扱われた。……ゲゼルに、だ。
あんな奴の出世の材料に使われただけでも腹立たしいのに、その後もアイツは苦役区画の監視役から娘奴隷の監視役として私の前に再び現れて――
そして、私に『ただ一つの名』を授けた。身勝手に。アイツは私の『ただ一人の人』になってしまった。
ありえない奇跡――あるいは絵空事の相手が、どうしてゲゼルだったのか。
『ただ一つの名』を授け、私を『セレ』として庇護するはずの存在が、誰より私を傷つける存在だなんて、笑うに笑えない。
そして、そのゲゼルは、勝手に授けた『ただ一つの名』を、取り上げようとした。
……取り上げるなんて事、できないようだけど。
「……そうだ。できない。私は、『セレ』だ」
薄布団の中で、小さく呟く。セレという言葉が、私の体に染み渡り体があたたまる。そして、胸元から煌めく星の輝きが放たれる心地がした。
誰にも渡さない、奪わせない。――それができないからこそ、『ただ一つの名』なんだろう。私のもの。私だけのもの。
なのに、アイツは……ゲゼルは、そんな事も理解せずに……!
「ちょっと!髪!」
アドゥリーが大部屋を覗き込んでくる。私は大部屋の隅で、布団を深くかぶった。
「お腹が痛いので!無理です!」
「なに見え見えの嘘ついてるの!アンタねえ、何様!?この、苦役区画あがりが!今のアンタは、私を機嫌よく送り出すのが仕事――」
いつものように、石でも投げつけてくるみたいな勢いで言葉を叩きつけていたアドゥリーが、一瞬、言葉を切る。
「……アンタ程度に、医者なんて呼んでもらえないわよ」
「……」
「聞いてるの!?何、口もきけないほど!?それとも、無視!?」
「大丈夫です、寝てたら直ります!」
「――ああ、そう!あー、そう!?……リャーラ!サタネテでもいいわ!髪を結って頂戴!」
ハンッ!と不満で鼻を鳴らしてアドゥリーが待機部屋の方に戻っていった。
うるさいのがいなくなってよかったと思う。
……しかし。
「何なのよあの子。泣いて許されると思っているのかしら」
「泣かせたんですか、アドゥリー姐さん……」
「な……泣いてたのよ!私じゃないわ!?本当にお腹が痛いのかもしれないし!」
どうやら髪結いはサタネテがしてくれるようだった。大丈夫だろうか。まあ、リャーラが不在なら、サタネテがするしかないだろう。サタネテは、館で仕事を初めて以降どんどん贔屓の客を増やしている。アドゥリーよりも忙しいぐらいなのに。
それより、泣いていた事に気づかれた。
しくじった。鼻声で応答してしまったのだから仕方ない。サタネテの耳に入ったなら、当然リャーラの耳にも入る。そうなるとすぐに娘奴隷全員が知る事になるだろう。
ああ、何もかもゲゼルのせいだ。
人の増える気配がする。そろそろ館の店準備が始まる時間だ。自室を持っている娘奴隷達が、身支度をするのに出てきたのだろう。
――その中で、余計な事を言う者がいた。
「また『呼び名』のない子、ゲゼルと揉めてたって。ホント、ゲゼルも懲りない奴よねえ。あら、いたのぉー?ごっめー……え?いないの?なんで?」
本来なら、私は今頃、館に出る娘奴隷の髪結いを次々行っているはずだった。髪結いで忙しく、身動きの取れない私をからかうつもりにしていたのだろう。誰だ。別にもう、どうでもいいけど。『あれ?いつもの子は?』その言葉のあとに、何やら声が潜めく。私についての話をしているのだろう。
「泣いて……?あの子、泣く事あるの?何したのよ、ゲゼルの奴」
「心当たりがあり過ぎて、困るやつー」
こちらの気持ちなど考慮しない、無責任な笑いが起きる。
「まあほら、あの子は苦役区画にいた時から、ゲゼルの……ね?」
「ああ……まあ、男と女なら、色々あるわよねえー?」
――勝手な事を!
いつもそうだ。勝手に人の事を妄想して、勝手に盛り上がる。
苦役区画にいた頃は、私は生きるのに精一杯だった。棒切れみたいな私を見返る者なんてなかった。
ゲゼルに目をつけられたけれど、それはこの『旦那様の館』に連れ出す目的があったからだ。――それ以降だって、アイツが勝手に付きまとって、アイツが勝手にしてきた事だ。
なのに、他人はいつも勝手に話を膨らませている。別に真実である必要などない。館が開くまで、あるいは、次の客を迎えるまでの暇潰しにできればいい。
その程度の事で、勝手に私を消費していく。ゲゼルとそう変わらない。
私は薄布団をひっかぶった。もう何も耳に入れたくない。そう思うのに、神経が研ぎ澄まされるように、耳に入ってくる。
「まあ、あの子もそろそろ、そういうお年頃だろうし――」
「――わかるわかる。私もあのぐらいの頃は」
「――え、何の話?」
「それがね、『呼び名』無しの子が、ゲゼルと痴話喧嘩を――」
「いつもの事でしょう?それより――」
あはははは。
何の事で笑っているのか。神経がざらつく。
「――まったく。ゲゼルはいつもあの子の事ばかりね?」
「そもそも監視役っていうのは――」
「いつか二人で逃げ出すんじゃない?」
「……ちょっと、こんな髪であの人の前に出ろって言うの!?ねえルォウレン、見てこれを!?」
「無理でしょ、あの二人じゃ――」
数人ずつに分かれて、それぞれに好きなように話している。隣の話を耳にして話題を変えたり、話題が飛んだり。
それでも、今日の話題の中心は、私かゲゼルについてのようだった。
別に私はゲゼルに何の夢も見ていない。なのにそうしたい奴がいるようだった。あるいはそういう夢を見たい誰か。
娘奴隷と監視役との儚い恋。珍しくもない話だけど、それは私とゲゼルの間にはない。アイツは私を守る事なんてしない。便利のいい道具として扱うような奴だ。嫌がる私をからかうのが楽しくてならないだけ。娘奴隷達の、私に対する扱いと同じだ。娘奴隷達は、それを愛だと言い張るつもりだろうか。
私に対して何もかも一方的なだけのアイツに、どうして熱いまなざしを向けられようか。馬鹿馬鹿しい。
なのに私がゲゼルのそばに向かうのは、ゲゼルが私を『セレ』と呼ぶからだ。
……セレ、と。私の『ただ一つの名』を、『ただ一人の人』になっているアイツが呼ぶから。アイツの喋る内容は漏れなく不快だ。けれど価値のない音声に時折紛れて挟まれる『セレ』という響きがあるからこそ、我慢できる。
アイツの価値は、それだけだ。
そばにいる理由なんて、本当に。それ以外に何があるっていうんだ。
娘奴隷達は、私が『ただ一つの名』を持っているなんて知らない。
だから二人でいる理由をまったく見当違いに邪推するのも仕方がないのかもしれない。『呼び名』すら持たせていないと思っている私が、ほとんど誰も持っていない『ただ一つの名』を持っていると知ったら、どれほど羨ましがるだろう。時折考える。アドゥリーなんて、いったいどんな顔をするだろうか。
……それを授けた『ただ一人の人』がゲゼルと知られるわけにはいかないから、話す気はないけれど。
絶対に、今以上に揶揄いの対象になるだろうから。
それに、『セレ』という特別な響きを、娘奴隷達に安易に口にさせたくもない。
娘奴隷で私の他に唯一『ただ一つの名』を持つルォウレンは、皆に『ただ一つの名』を呼ばせている。ずいぶん寛大だと思うし――同時に、ぞんざいだとも思う。だって、『ただ一つの名』は、大切なものなのに。
「それであの子が――」
「――どうせゲゼルも――」
「怪しいと思ってたのよ。結局あの子はゲゼルを――」
時折出てくるゲゼルの名が、やけに癇に障る。耳を澄ますまでもない内容を加えれば、なおさら腹も立つ。
それでも、泣いて体力を使ったのか、次第にうとうとと心地よくなってくる。ゲゼル、ゲゼルと色んな娘奴隷達の声が聞こえる。
アイツは監視役達の中でも悪目立ちし過ぎだ。
おかげで、寝入りかけた頃になって『ゲゼル』という言葉が聞こえて、覚醒してしまう。
……それでも、次第に私は夢に引き込まれていった――
※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!
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