温泉旅行 そして帰省
1
「・・・5時13分・・・お風呂行こ・・・」
習慣とは恐ろしいものだ。目覚時計を使わなくてもこの時間に起きるとは・・・紗希は既に朝風呂に行ったようだ・・・あれ?奈那がどうして紗希の布団で寝ているんだ?私は紗希と奈那に挟まれて寝ていたのだから、奈那が意識的に紗希の布団に潜りこんだとしか考えられない・・・まぁいいか・・・女の子が女の子を好きになっても問題ない。しかも相手が紗希だからな・・・
大浴場に行くと、やはり紗希がいた。
「キュウは?」
「まだ寝てるよ」
「あいつ、私に夜這いしたんだよね」
やっぱそうか・・・
「何かあったの?」
「何もない。私の横で寝るだけで満足したみたい・・・いいけどね。好きな人と一緒にいたい気持ち、私にも分かるから・・・」
意外だった。これまで恋愛に関する話を一切しなかった紗希が、自らの経験を踏まえたようなことを言うなんて・・・
「紗希には好きな人がいるの?」
私の好奇心に火が付いた。紗希が恋愛?これ以上興味をそそることはない!
「いるよ。私はその人が死ぬまで傍にいる。絶対に離れない」
何ですと?紗希にここまで慕われている人って誰?
「誰?」
「言わない。絶対に!」
「私が知っている人?」
「さて、サウナで〆だ」
紗希はサウナに入っていった。誰なんだ?あそこで話を遮ったのは、私の知っている人の可能性が高い・・・あれ?絶対に離れないって、もう傍にいるってこと?紗希と一緒にいる男性って・・・教授?まさか・・・いや、紗希と教授は法的な親子に過ぎない。血の繋がりはないんだから、あり得ない話じゃない・・・ちょっと待て、だったら2人だけで暮らしていればいいのに、紗希は何故私を下宿させた?何故、家に私という邪魔者を入れたんだ?・・・教授じゃないのか・・・ダメだ、訳分らない・・・もう出よ・・・あっ、のぼせたかも・・・
「ハチ!どうしたの!」
「・・・のぼせた・・・」
「もう!何してんのよ!」
紗希は私を湯船から引きずり出すと、更衣室まで引きずって行った。
2
部屋に戻ると、奈那はまだ寝ていた。
「キュウ!起きろ!」
紗希は奈那の布団をめくる。
「・・・もう少し・・・」
「ダメだ!さっさと起きろ!」
紗希は敷布団をめくり奈那を畳の上に転がした。こうなったら奈那も起きざるを得ない。
「おはようございます・・・」
「顔洗ってきな」
「はい・・・」
「紗希、もう6時半なんだけど・・・」
「仕方ない、議論は朝御飯食べてからだね・・・」
「そうなるね・・・」
さて、旅館の朝御飯といったら、焼いたのか茹でたのか分からない鮭の切り身、固形燃料で加熱する鍋、納豆、卵、海苔等々が定番。これ、塩味で誤魔化しているようなもんだから当然紗希は食べられないし、正直、私も食べたくない。ところが、菊地教授が旅館と談判した結果、昨晩の料理の縮小版を部屋に運んでもらうことで折り合いがついた。悪く言えば残り物みたいなもんだけど、定番の朝食より遥かにましだ。そしてある事実が・・・
「紗希、昨日、男の人と卓球して負かしたんだって?」
「そうだよ」
「彼ね、去年、全日本卓球選手権大会の男子シングルスで優勝したんだって」
何ですと!紗希は全日本卓球選手権大会男子シングルスの優勝者を余裕で負かしたと!高校・大学の部活じゃなかったのか!
「凄い!これ、SNSで・・・」
「ダメ!絶対にダメ!」
私は奈那を制止した。
「どうしてですか?」
「そんなことしたら、大学や教授の家にマスコミが押しかけて、私達の生活が破壊されるんだよ!それだけじゃない、商店街とか病院にもマスコミが押しかけて仕事を妨害することになる。私達の関係者が皆迷惑するんだよ!」
「でも、彼がしゃべりますよ」
「それはないな。彼は素人の女の子に負けた。そんな屈辱的なことを、まがりなりにも優勝者が話すことはない。たぶん、女将さんや従業員にも口封しただろう」
「はぁ・・・」
「でも、何故お父さんが知っているの?」
「さっき、女将さんと昼飯の相談していたら、当の本人が仲間に愚痴っていたんだよ。僕のすぐ横で。それにしても悪い奴だよ。これまでも卓球で負かした女の子を酒に誘って薬を使っていたらしい。録音しとけばよかった」
「その目的で紗希を狙って返り討ちにあった・・・」
「みっともないですね・・・」
「なるほど・・・まぁ、放っておけばいいってことだ・・・さて、朝御飯食べたら議論始めるよ!」
ちなみに、全日本卓球選手権大会は毎年1月に開催されるけど、こいつは1回戦で敗退した。紗希にプライドをズタズタにされた結果だろう。そして運が尽きたのか、今迄の悪事が露見し御縄になった。様を見ろってね。
3
「さてと、まず、山崎先生に関する情報を整理しましょうか・・・まず、オペの技術は平均的だけど、吻合・縫合の技術は私達に劣る」
「診断能力は高いよ。迅速かつ的確だし」
「それと、病院の隣のマンションに住んでいて、実質24時間365日待機している。学生時代は大酒飲みだったのに獣医師として勤務してから全面禁酒している」
「この前、お金が無くてペットを病院に連れてこれなかった人に、診察料と薬代を立て替えていた」
「山崎先生って、そこまでしていたんですか?」
「そうだよ」
「ちょっといいかな?」
「はい、どうぞ」
「山崎先生って、素晴らしい資質を持っていると思う。だけど、病院の組織的欠陥を個人的犠牲で補完しているだけじゃないのかな?」
「えっ?」
「例えば、何故山崎先生だけが病院のすぐ傍で酒も飲まず遠出もせずに24時間365日待機しなければならないの?獣医師を増やして3交代制にすれば個人的犠牲なくできることじゃないか」
「それは病院の予算とか・・・」
「君達の先輩で、70人以上の獣医師を抱えて完全24時間365日体制の総合病院を経営している人がいるよ。できないはずがない」
「・・・」
「それと、お金の無い人に立て替えるという話、これも美談だけど、踏み倒されたらどうするの?病院が基金を作って、損保とかと連携してリスク回避しながら生活困窮者の治療費を支援する方が合理的だ」
私と紗希は菊地教授の指摘にぐうの音も出なかった。確かに、個人犠牲の美談に酔っていたのかしれない。
「それにね、山崎先生が何らかの理由で病院を去ったらどうなる?全てが瞬時に崩壊するじゃないか。だから、組織的取り組みにしなければいけないんだよ。何かをするからには、それが長期的かつ安定的に供給されなければならない。そうでなければ利用者も安心して使えないだろ?」
ダメだ・・・何も言えない・・・
「これは経営的なことだから、今の段階で君達が追求すべき課題じゃない。だけど、本気で動物達の命を守りたいのであれば、解決しなければならないことだろうね・・・ところで、猫の血液バンクが無いって聞いたんだけど、これでいいの?」
「猫の血液は長期保存ができないんです。だから、現時点では健康な猫をドナー登録して必要に応じて血液を提供してもらうとか、病院が供血猫を飼育して対応しています。人工血液の開発も進んでいて、実用化までもう少しの段階です」
「なるほど、長期保存ができないのか・・・これは工学部の出番だな。生細胞の長期保存技術として、核磁気共鳴反応法を開発中だ。これを応用すれば・・・面白い!桜木学部長に学際研究として提案してみよう!・・・あっ、僕だけが一方的に話してもなんだから、次、どうぞ」
以後、議題は多岐に渡ったけど、新しい議題が出る度に菊地教授に言い負かされると言うか、とにかく私達は教授に歯が立たない。紗希さえも組織論的な議論になると途端に降参する始末。奈那に至っては口さえ挟めなかった。やはり、私達には基本的なところで何かが欠けているんだろうな・・・
4
「雪が止まないですね・・・」
「御昼御飯は?」
「下の食堂で準備してもらっている・・・食べに行くかい?」
「行こう。お腹減ったし」
「そう言えば、昼食代って出るの?」
「ちょっと待って・・・昼食代は対象外だって」
「仕方ないさ」
食堂に行くと、テーブルに食事が準備されていた。山女魚定食が3人分、蕎麦定食が1人分・・・蕎麦定食が紗希用なのは明らかだ。
「さぁ、食べようか。この山女魚定食が定番なんだって。蕎麦定食の天ぷらは塩使ってないから」
「このお魚、山女魚ですか。初めてです」
「ホクホクしていて美味しいよ。私は食べる機会が沢山あったけど」
「大量の塩がまぶしてあるね・・・私には絶対無理!」
「1人だけ蕎麦定食で天ぷらに塩を一切使わないでくれと言ったら、僕が高血圧患者扱いされたよ」
「年齢的に違和感ないけどね」
「実際どうなんですか?」
「上が135程度、下が85ってとこかな」
「閾値ギリギリだ」
「そばつゆ使わないで美味しんですか?」
「蕎麦の香りが醤油で殺されない分美味しいよ。天ぷらだって、素材の味と胡麻の味が合わさっているからそれで十分」
「午後はどうする?」
「ネタがもうない」
「じゃ、自由時間にしようか」
「そうしましょう。たまには何もしないのもいいですよ」
部屋に戻ると各人好きなことをし始めた。紗希は炬燵から頭と腕だけ出して本を読んでいる。奈那は紗希の真似をして紗希の横から頭を出してノートパソコンで何やら作業をしている。これじゃ私は炬燵に入れない。仕方ないので教授の部屋に行くと、教授も紗希と同じことをしていた。これじゃ無理だ・・・やはり親子なのか・・・部屋に戻ると、紗希と奈那が向かい合って寝ていた。そりゃ気持ちいいでしょうよ、2人だけで炬燵を占領すれば。それにしても、奈那は紗希に懐いたし、紗希も奈那を受け入れている。奈那も当初に比べしっかりしてきて、紗希に泣かされることも無くなった。奈那を見ていると、これまでの自分を追体験しているような感じだ。さて、私も本を・・・あれ、読みかけの本が無い・・・何処に入れたんだろう?・・・まさか・・・私は紗希が読んでいる本をそっと取り上げた。私の本だ。しかもよだれでふやけている・・・私はティッシュでよだれを拭うと、押し入れから布団を出して、寝っ転がって本を読み始めた。
5
3目目の朝、やはり5時過ぎに目を覚ました私は大浴場に向かった。大浴場には、紗希が一足先に来ている。外は未だ真っ暗だが、雪は止んだようだ。
「キュウは?」
「寝てるよ」
「あいつ、初日しか風呂入っていない。しかも1回だけ。何しに来たんだか・・・」
「紗希と一緒であれば、それだけで良かったんだよ。しかも、紗希と同じ布団で寝れたんだから。2晩も!」
「次は何時になることやら・・・」
「案外、泊めてくれとか、年始早々家に押しかけるかもよ」
「ハハハ、それもいいけどね」
「ところでさ、バイト代、開業資金獲得が目的でしょ?」
「そうだけど」
「桜木動物総合病院という発展途上の総合病院が近くにあるのに、新たに動物病院開業するのってどうなのかな?」
「それね、悩ましい問題なんだよ・・・あの病院並みの設備を整えるためには1億円程度じゃ全然足りないし、仮に十分な資金が確保できて開業したとしても、共倒れしてしまうしね・・・」
「だろうね・・・」
「でね、桜木動物総合病院って、株式会社なんだよ。だから、バイト代を全部使って株主になれば私も経営に参画できるから、100%でないにせよ自分なりの医療ができるようになるかなって」
「なるほど・・・でもさ、その株って、院長と学部長だけが持っていて、公開してないかもよ?どうやって買うの?」
「う~ん、そうなるとすごく面倒だな・・・まぁ、私達が獣医師免許取得するまで時間があるんだから、ゆっくり考えよう。その頃には状況が変わっているかもしれないし」
「そうだね」
「そろそろ出ようか。またのぼせるよ」
部屋に戻ると、やはり奈那はまだ寝ている。昨日と違い、紗希は起こそうとしない。
「宿を出るまで3人ですることないから、寝かせとけば」
結局、奈那は朝食ギリギリまで寝ていた。
「さて、八屋君とは大胡まで一緒だけど、大胡からは逆方向になるね」
「8時35分の電車に間に合えば、10時前に足利に着くんです。ちょっと寄り道しませんか?案内しますよ」
「ああ、そういう帰り方もあるね。ちょっと待って・・・なるほど、2時半に足利を出れば、5時半には桜町に着くか・・・紗希、どう?」
「私はいいけど、キュウは?未だ寝てるよ」
「間違いなく付いて来るから大丈夫だよ」
「八屋君、その根拠は?」
「内緒です」
と言うわけで、またしても昨晩の残り物のような朝御飯食べて、8時前に宿を出た。奈那は嬉々として付いて来た。朝起きたら紗希と一緒にいる時間が6時間以上増えていたんだから当然だろう。電車を使えば、大胡から1時間強で足利に着く。定番の鑁阿寺と足利学校を見学して、市内でも美味しいと評判の御蕎麦屋さんで少し早めの昼食にした。
「御両親に御挨拶しないと」
「私、母に連絡していませんし、家に寄ったら今日中に帰れなくなりますよ。しかも明日は元旦ですから、酒盛りが始まりますし」
「そうか・・・じゃ、家に着いたら御両親に宜しく伝えといて」
「分かりました」
「次は何処行きます?」
「特に決めていないけど?」
「私、此処に行きたいんですけど」
「何処?」
奈那はスマホに表示された地図のある個所を指さした。織姫神社?愛の鐘を紗希と一緒に鳴らす気だ。そこまでするか?
「織姫か・・・いいんじゃない?」
織姫神社がどういう場所か知らない紗希は呑気に同意する。どうしようか・・・
「行ってみようよ。年末詣も悪くない」
教授が行こうって言うのであれば、もういい、行くしかない。と言うわけで御蕎麦屋さんから15分ほど歩いて織姫神社に着いた。だけど、奈那はモジモジしているだけで紗希に言い出せないでいる。紗希のことだ、私が伝えればきっと奈那と一緒に愛の鐘を鳴らすだろう。だけど、紗希には好きな人がいる。それじゃ奈那が可哀そうすぎる。ここは黙っているしかない・・・結局、奈那は何もできなかった。でも、それでいいのかもしれない。
「参拝も終わったし、後は電車の時間まで駅の近くを散策しますか?」
「そうしよう」
後は時間潰し的に駅の界隈を散策したけど、目的を達成できなかった奈那はすっかり元気を無くしている。可哀そうに・・・
電車の時間になったので、私は改札口で紗希達と別れた。年が明けたら後期試験まで僅かな時間しかない。頑張らないと・・・




