余波
1
前期試験だけとはいえ学年トップ、もっとも35人しかいないけどさ。学祭のミスコンで優勝もした。入学時には考えることすらできなかったことが現実になった。夏休みのバイトも刺激的だったし、これは全て紗希に大学生活を引っ掻き回された結果だ。紗希との出会いが無ければ、何処にでもいるつまらない学生のままだっただろう。やはり紗希に感謝するしかないのかな・・・
モデル紛いのこともした。すごく気になったので雑誌の発売から暫く経ってから”草壁ひとみ”でエゴサーチしたら9百万件以上ヒットした。”如月エリカ”が4千万件以上だからそれと比べれば遥かに劣るけど、メジャー俳優をも上回る数だ。土曜日の昼下がり、私は大学の空き教室で1人スマホをいじくりながら考えていた。
「あれ?誰だろう?」
スマホに着信があった。
「はい、八屋です」
《初めまして、弁護士の三島です。お話ししたいことがあるのですが、お時間は大丈夫でしょうか?》
三島弁護士って・・・確か紗希の顧問弁護士だったはず・・・私に何の用だろう・・・
「はい・・・どうぞ・・・」
《八屋さんに紗希ちゃんが所属する事務所から正式なオファーが来ました。理由は、紗希ちゃんとのコラボにより雑誌が完売したこと、SNS上で草壁ひとみがトレンドになったこと、紗希ちゃんからの強い要請があったことです》
「えっと・・・」
《早い話が、紗希ちゃんと同じ条件で契約を締結したいとのことです》
何ですと!私がファッションモデル?しかも1回の撮影で20万ですと!
「でも、私、未成年ですし・・・」
《御安心下さい。私がサポートしますから》
「でも、弁護士費用なんて払えませんし・・・」
《只でいいです》
「はぁ?」
《実は私、菊地教授と高校時代からの友人なんです。紗希ちゃんの顧問弁護士をしていますが、それ自体只ですから。紗希ちゃんの御友人であれば、只で構いません》
何なんだ、この至り尽くせりの条件は!
「でも、私、紗希と違って土日も勉強しないと・・・」
《そうですか・・・そこは調整しなければなりませんね・・・どうでしょう、例えば紗希ちゃんとコラボできる時だけにして、単独の撮影は断るとか》
「それであれば・・・」
《分かりました。その方向で事務所と調整してみます。でも、嫌なら何時でも連絡してください。契約成立までだったら何時でも交渉を止めることができますから》
「分かりました・・・宜しくお願いします・・・」
《はい、今日はありがとうございました。また御連絡差し上げます》
2
かなりの好条件だ。三島弁護士が間に入ってくれるのであれば、おかしなことにはならないだろう・・・此処でダラダラしていても意味ないから、図書館に行こう・・・
「お前、後輩に獣医学科の奴いるか?」
「いるけど、それがどうした?」
「今度の飲み会に八屋さんを連れてこいって言っとけ」
「えっ!いきなりなんだよ!」
「ミスコンの女王様と同席したいだろが!」
すれ違った男子学生の会話・・・講義棟の狭い廊下で、確実に私が視界に入っているのに私の存在に気付かない。ジャージ姿の私には誰も興味を示さないんだ・・・プロの仕事ととはいえ、着飾った私との落差があり過ぎて笑ってしまう。所詮男なんてこの程度、相手にする時間がもったいない・・・
さて、社会的共通資本を読む前に宇沢弘文を調べておこう。私は備え付けのPCで検索を始める。へぇ、シカゴ大学でフリードマンの同僚だったんだ。そのフリードマンが広めた新自由主義を徹底的に批判している。しかも主流派経済学の枠組みの中で・・・紗希が宇沢弘文の思想を理解しているのであれば、コテコテの新自由主義者である禿と衝突するのは必然だ・・・あれ?菊地教授は禿が一般教養で経済学を教えていることを当然知っている。だから、入学前に紗希に社会的共通資本を読ませたのか?新自由主義に対する強力な抗体を紗希に持たせるために・・・紗希は18歳までの記憶がない分、白いキャンバスそのものだ。菊地教授はその真っ白なキャンバスを菊地教授自身が忌み嫌う新自由主義で汚されたくなかった・・・紗希はそうした菊地教授の意図を知らなかっただろうけど、宇沢弘文を理解しその思想を人間と動物の関係に拡大した・・・よし、そういう問題意識で読んでみよう。そうすれば、紗希の考え方、更には菊地教授の哲学をもっと理解できるはずだ。未だ2時になっていない。時間は十分ある!
3
社会的共通資本を夢中で読んでいたら、既に7時を過ぎていた。今日は菊地教授の当番だから買物をする必要もない。私は家に直行した。紗希が既に帰っていたので、早速相談してみた。
「いいじゃん、その条件で」
紗希はまるで他人事のように言う。
「でも、勉強時間が減って順位落したら・・・」
「少し自信を持ちなよ。前期試験の全科目、半分以下の時間で全問解いて、見直ししても間違いなかったんでしょ?」
「そうだけど・・・」
「モデルした結果成績が下がったら、辞めればいいじゃん。ああそうだ、これ見る?」
紗希はスマホに、何かの分析結果を出した。
「何これ?」
「あの雑誌がね、何故完売したのか理由を知るためにリサーチかけたんだって。その結果がこれなんだけどね、私の寄与率は7%しかないけど、ハチの寄与率は82%もあったんだよ。大雑把に言えば、新規購入者の8割はハチ目当てで買ったってこと」
「だから、事務所が正式にオファーしてきた・・・」
「そういうこと。条件が私と同じであれば、全く問題ない。私の条件は、私に有利になるように仕込んだと三島弁護士が言ってたから」
「でも、何故紗希は私をモデルにしたいの?三島弁護士も、紗希から強い要請があったって言っていたけど」
「正直ね、他のモデルと一緒に撮影する場合、私の身長とバランスが取れる子って限定されちゃうし、身長がなんとかなっても私を強く意識して背伸びするか委縮するかのどちらかで、これまで満足な撮影ができなかったんだよね・・・ハチはそこそこ身長があるし私に対して変な意識がないから、私も気を遣う必要が無くてこの前の撮影は凄くうまくいった。その結果、私もこれまでにない表現ができたから、カメラマンも出版社も喜んでいたんだよ・・・つまり、ハチと一緒に仕事がしたいわけ」
紗希は今迄私を従属物の如く扱い、時にはおもちゃにしていた。その紗希が私と一緒に仕事がしたいとは・・・ちょっと待て。私と紗希は同じ講義を受講し、同じバイトをし、同じ家に住んでいる。これらは全て紗希が言い出したことだ。これまで重要なイベントは常に紗希が”一緒にしよう”と言い出し、私がそれを受け入れてきた。”一緒に”という言葉を使ったのは今回が初めてだけど、意味は同じだ。その結果、入学前に思い描いていたよりも遥かに刺激的で充実した学生生活を送ることができている・・・そして、私も紗希の夢を一緒に見たいと思っている・・・そもそも、私はこの自分勝手で不思議な能力を持つ女性に魅かれているわけだし・・・これ以上考えても意味ないかもしれない。今迄紗希が私の考えにお構いなく勝手に決めたことでおかしな結果になったことは何一つないし、むしろ、私の単独行動の方が危険だ。であれば、答えは決まっている・・・
「分かった、一緒にやろう」
「よかった!じゃ、これにハンコお願いね!」
「何これ?・・・契約書!でも、昼に三島弁護士がこれから事務所と調整するって言ったんだよ!」
「だから、調整した結果だよ。撮影は私とハチが調整し合意した案件のみとする、って条文が追加されているから」
手際よいと言うか何と言うか、何時ものことだけど、いきなり内堀が埋められる・・・
「押します、押しますよ!」
私はハンコを探すために自室に向かった。




