何度でも手を伸ばす
ところどころ、コヨルガ襲撃の傷跡の残る荒れた町を、6頭の馬が駆け抜けていく。先頭を行くのはゼノで、その後ろにシオンを乗せたディートハルト、俺が続き、さらに3人の騎士が後方を守った。
宮殿へと続く橋に差し掛かると、ゼノを見た騎士があわてて門を開く。速度を落とすことなく関所を突っ切りながら、ぱちぱちと火が爆ぜながら空に昇っていくのを見て、俺はいよいよ火元が近くなったことを感じていた。
「火を放った、調教師の捜索は」
「グレン殿下の指揮のもと、リリア離宮にいた住民を順番に取り調べています。あわせて、敷地内と周辺の捜索を」
「このまま、リリア離宮に直行する。かまわないな」
「御意」
ディートハルトの簡潔な返答に頷くと、ゼノはさらに馬を急かした。うっすらと雪冠を被った生垣を抜け、噴水のそばを通り過ぎた時、ついに俺はリリア離宮を目にした。
これはひどい。最初に浮かんだ感想は、そんなシンプルなものだった。
つい数時間前、古い様式の門を大きく開け放ち、光が漏れ出でる大広間に美しく着飾った男女が笑顔をうかべ語り合っていたリリア離宮は、いまや無残な姿に変わり果てていた。
魔導石がはめられた煌びやかなシャンデリアが放つ、柔らかい光に変わり、館が放つのは赤とオレンジが入り混じる炎の輝きだ。開いた窓からはちろちろと館を嘗め回す火が顔をのぞかせ、離れていても顔に熱を感じる。
燃えさかる離宮に目を奪われていた俺の耳に、激しく言い争う声が飛び込んできた。何事かとそちらを見ると、二人の騎士がとめるのを振り切って、ピンクブロンドの髪の少女がゼノの前に飛び出した。
「ゼノ様……! たすけてください、ゼノ様! 」
「ユフィ!? 」
驚いたゼノが馬をおりると、ユフィリアがその胸に縋り付いた。いつも澄ました顔をした彼女からは想像ができないほど、ひどく取り乱した様子のユフィリアに、抱き留めたゼノにも困惑が浮かぶ。
追いついた二人の騎士が、ゼノとディートハルトを見て顔を青ざめさせた。
「ゼノ殿下! 申し訳ありません! 止めようとしたのですが……」
「かまわん。ユフィ、一体、なにが」
「中に、まだミア様がいますの!!」
炎の熱で風が空にのぼっていく音が、いやに耳についた。
「いま、なんて言った? 」
「リゲル様……」
俺に気付いたユフィリアが、泣きはらした目で表情をゆがめた。やめてくれ。そんな絶望的な顔をして、こっちを見ないでくれ。気が付くと俺は、足早に彼女に詰め寄り、その細い肩を掴んでいた。
「いま、なんて言ったんだ! ミアが、そんなまさか……!! 」
「あなたは、どこに行っていましたの?! ミア様は、ミア様が!! 」
がん、と頭を殴られたかのような衝撃が走り、目の前の視界がぐらついた。その間にも、炎が揺らめき、顔の半分を熱くなめていく。
「ありえません! 逃げ遅れた住民がいないか、何度も中を確認しました! 」
「その後で、ミア様はこの中に飛び込んで行かれたんです。何度、そう説明したと!! 」
近くで言い争う声が続いていたが、すべてがどこか遠くで響いているかのようだった。ユフィリアから手を離し、全身が強張ったまま、炎に包まれたリリア離宮を見上げた。
この中に、ミアがいるというのか。
大人しく待っていろと、そう伝えた時の、俺を案じて不安をにじませるミアのことが思い出された。そばについてやれないことを苦しく思いながらも、俺が戦うことが、王宮を、彼女を守ることに繋がるのだと自らを鼓舞したのに。
ミアは、いつもこうだ。安全な場所に残してきたと思ったのに、いつの間にか危険に身をさらしている。俺がどれほど彼女を案じても、大人しく守られてくれた試しがない。
ほんとうに。
ほんっとうに、俺の惚れた女は、なんて手がかかるんだ。
「リゲル様?! 」
「待て、リゲル! 何をするつもりだ」
「決まってんだろ」
周辺に燃え広がらないよう、火の粉が飛んだ芝生に水を撒いていた騎士から、水を張った木桶を奪う。思い切って頭のうえでそれをひっくり返すと、肌を刺す冷水に息がつまった。ぽたぽたと水が滴り落ちる前髪の合間から、俺に手をのばそうとするゼノたちの姿が見えた。
「あいつを連れ戻して、今度こそ本当に凱旋すんだよ。――せいぜい華々しく、出迎えてくれよな! 」
そう言い置いて、大きく地を蹴って、燃え上がる炎を飛び越えた。
俺は、何度、こうしてミアに手を伸ばしただろう。
リーベの花咲く丘で、静寂の盗人に狙われたミザル・ブルクで、傭兵を迎え撃ったザクの酒場で、白竜の子を巡る一連の騒動の中で。
冒険者でもなく、戦う術もないくせに、なぜか彼女は災厄を引き当ててしまう。おかげで、一緒にいるこっちの方が肝を冷やすハメになるんだ。
二度と危険な真似するなって、今度こそがつんと言ってやろうか。
火の中を走りながら、そんな考えが浮かんだことに苦笑した。
ミアの凛とした横顔は、いつも先を見据えていた。彼女なりの正義が、彼女なりの信念が、彼女の類まれなる行動力の源だ。
俺はミアを変えるつもりはないし、ミアに変わって欲しいとも思わない。銀の髪をなびかせ、赤い瞳に強い意思を讃えて、己が信じる道を突き進んでいく彼女に、俺は惚れたのだから。
無意識に、俺の左手は胸のポケットのあたりを押さえていた。
この先の未来を、俺はミアと歩んでいきたい。いや、共に歩くと決めた。
もし、途中で彼女が躓くことがあれば、俺が全力で手を伸ばそう。
二人してつまずいたなら、まぁ、その時は助けあって何とかするさ。
どんなに無茶をしてもいい。どんな危険が降りかかろうと、俺が守ってやる。
だから――、頼むから、生きていてくれ。生きて、俺に微笑んでくれ。
戻ってこい、ミア。
「ミア――!! 」
迎賓の間に飛び込んだ俺の目に、火と煙の中心に立つ、銀色の髪の少女の姿が飛び込んできた。長かったはずのドレスは膝のあたりで破られ、炎のオレンジの光に照らされて凛と佇むミアの横顔は、さながら神話に出てくる女神のように神々しい。
それを見ただけで、彼女が目的を果たしたのだと理解した。
後は、俺の番だ。
レイピアを鞘から引き抜き、構えながら大広間に飛び込む。ぶちぶちと嫌な音が響いて、巨大なタペストリーが、炎をまとったままゆっくりと落下を始めた。凶悪な赤と黒の入り交じる炎の蓋に、ミアともう一人の姿が飲み込まれてしまいそうになる。
レイピアが白く強い光を湛えた。五感が研ぎ澄まされ、まるでスローモーションのように世界が過ぎ去る中、俺は剣の狙いをまっすぐに定めた。
届け。届け、届け、届け、届け―――――――!!
「レグルスの神よ、力を貸せ!! 」
このまま死ぬかもしれないと悟った時、真っ先に瞼の裏に浮かんだ人。もう会えない。そう思ったのに、まるですべてを吹き飛ばすように、その人の声が響き、赤と黒で彩られた炎の壁を真っ白な光が切り裂いた。
無数の布切れと化したタペストリーが、灰となって焼け落ちていく。その灰の雨の向こうに、まだ光の余韻を残したままのレイピアを握りしめて、モンスターと戦いに行くと告げたのと同じ姿で、会いたかった人がそこにいた。
「リゲル……っ」
「ばっかやろう!! 」
精悍な顔を歪めて、リゲルが怒鳴った。落ちてくる灰を手荒に払って、琥珀色の瞳に怒りを讃えて、まっすぐに歩いてくる。
だめだ、泣きそうだ。
リゲルが、無事にわたしの元に帰ってきてくれたということ。
またこうして、リゲルと言葉を交わすことが出来たこと。
たったそれだけのことが、堪らなく視界を滲ませた。
すぐにでも駆け寄っていきたいのに、今更のように足が震えてしまって、思うように進めない。座り込みそうになる私を抱きとめてくれたのは、やっぱりリゲルだった。
「ごめんなさい。ごめんね、リゲル」
自分でもよくわからないうちに、謝罪の言葉だけを口にしてすがりつく私を、リゲルは強く抱きしめた。男の人の固い胸の中に囚われて、彼に、どれほどの心配をかけてしまったのかを思い知る。泣きじゃくる私に、ため息がひとつ落とされた。
「いいよ、もう」赤子をあやすように、暖かな手が私の頭を撫でた。「俺がくるまで、ちゃんと生きてた。だから、許してやる」
届いてよかった。最後にリゲルは、耳元でそう呟いた。




