年貢の納め時
あー、緊張した。
広間から出た私は、戸口から出てすぐの壁にもたれて息を吐いた。
「お疲れさま、ミアちゃん」
てっきり誰もいないものと思っていた私は、すぐ隣から呼びかけられ、文字通り飛び上がった。
「ごめんごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど」
「いえ! 会議、もう始めるみたいですよ? 」
「まずいな、遅刻になってしまう」
ちっともまずくなさそうにハルさんはのんびり言うと、小首を傾げた。
「それが、リゲルからのプレゼント? 」
「あ、えっと、はい。この間のお祭りの時に」
答えながら、申し訳なくてもごもごと歯切れ悪くなってしまう。今日はハルさんにもらったブレスレットは化粧台にしまってあって、なぜだかそれが後ろめたい。
だけどハルさんは私の胸中に反して、紫の瞳を細めて穏やかに微笑んだ。
「とても似合っているね。素敵だよ。リゲル、喜んだんじゃない? 」
ハルさんの方がよっぽど素敵で美人さんです! などと考えていた私は、突然出てきたリゲルの名に目を泳がせてしまった。
「その……、まだそんなにリゲルと話していなくて」
「そうなの? いつも仲いいのに、珍しいね」
珍しい――ハルさんの言う通りだ。実は、原因はわかりきっている。はっきり、ここに白状しよう。私はリゲルを避けている。
きっかけは単純。道角を曲がってエーアガイツ団が姿を現し、そこからリゲルが飛び出して来た時、私の体が硬直した。それからも、リゲルが視線の端に映るたび、彼に声をかけられるたび、条件反射的に体が回れ右してしまうという謎の症状に襲われているのだ。
誓って、リゲルに非はない。悪いとしたら、私の方だ。
けど、自分でも何故このような奇病が発症したのか、皆目見当がつかないのだ。一つ言えるのは、この間まで当たり前に出来ていたこと、すなわち、「リゲルと自然に話す」ということが、今はとてつもないハードルになっている。
ハルさんは私の沈黙をどう受け取ったのだろう。じっと私を見ていたと思えば、不意に手を伸ばし、私の頭をぽんぽんと叩いた。
「あの、ハルさん? 」
「さっさと答えをあげたいような、もう少しこのまま鈍感でいてほしいような、難しいところだね」
苦笑と共によくわからない言葉を残し、ハルさんは扉を開けて広間の中に入っていってしまった。残された私は、ハルさんに触れられた部分に手を重ね、首を傾げるしかなかった。
☆ ☆ ☆
夜分も遅くなり、細く欠けた月が顔を出した頃。
人間、いつまでも逃げているというのは、往生際が悪い。何事にも引き際というものがあり、どこかのタイミングで覚悟を決め、ちゃんと向かいあうべきだと思う。
だけどこの場合は、もう少し猶予があっても良かったんじゃないかしら。
「いた。やっぱり通ると思った」
現実逃避をしている私の目に、迷いなく足早に近づいてくるリゲルの姿が映る。私はというと、籠いっぱいに詰めた食料を両手に抱え、食料倉庫から本館へと戻る途中だった。うっかりしていた。前にも、倉庫からの帰りにここでリゲルと遭遇したんだった。
「あー、リゲル。ひさしぶり。元気だった? 」
言いながら、私は忙しなく周囲を窺った。やっぱりリゲルを前にすると、背中がムズムズするような、いてもたってもいられないような、変な緊張が全身を走る。だけど、リゲルはそんな私の退路を断つように、私の肩越しにダンッと木に手を付いた。
「逃がさねぇぞ。お前には、聞きたいことがあるんだからな」
ひっ、という色気もへったくれもない悲鳴が、喉から漏れる。とにかく、リゲルの目がマジだ。獲物を追い詰める狩人の目をして、絶対にここで吐かせると宣言する目だ。
「な、何よ……」
答えるときに、顔をそむけなかったのを褒めてほしい。なぜなら、この体制だとリゲルの顔がすごく近くなる。おかげで、さっきから背中のムズムズが止まらず、本当は横っ飛びに逃げ出したいくらいなのだが、仮にそれを実行したら、次はどんな風に詰められるかわかったもんじゃない。
リゲルは精悍な顔つきに、一層目つきを厳しくして、おもむろに口を開いた。
「お前、俺のこと避けているだろ? 」
ばれてた?! あくまで自然にスマートに、仕事に追われている風を装ってうまいこと巻いたはずなのに?!
ぱくぱくと魚のように言葉を継げずにいる私を見て何を思ったのか、リゲルはきゅっと口を引き結ぶと、傷ついたように目を伏せた。
「やっぱりな。お前が俺のこと、気に食わないのはわかった。文句があるなら言えよ。言ってくれなきゃ、どうすりゃいいのかわかんねぇ」
「それは違う! 」
慌てて、私は叫んだ。私の勝手な都合で、リゲルを傷つけてしまった。少し考えればわかることだ。身に覚えのないことで避けられて、不快に思わない人間がいるわけない。
「ごめんなさい。リゲルは悪くない。全部、私の問題なの」
「それ、どういう意味? 」
どういう意味と聞かれましても。
真剣な瞳に射抜かれ、とてもじゃないが、自分でもよくわかりませんで通せる雰囲気ではない。ごまかしでも何でもなく事実なのだが、言葉を間違えれば、リゲルを再び傷つける結果になるかもしれない。
「リゲルと、うまく話せる気がしなくて」
すぐ、そうやって悲痛な顔する! あんた、女々しいわね!
仕方なく、私は洗いざらいぶちまけることになった。
「勘違いしないでよ! 本当は会えて嬉しいし、ちゃんと話したいんだからね? それなのに、全身ぎくしゃくして声が裏返りそうで、どうしてこんな……って、リゲル? 」
木についているのとは逆の手で顔を覆い、ふるふると震えるリゲルに、言葉が途切れた。急に様子の変わったリゲルは、ややあってから、重い溜息をついた。
「俺、遊ばれてるのかなぁ……」
「はい? 」
暗くてよく見えないが、彼の耳は真っ赤になっている。私は、知らないうちに彼が真っ赤になって怒ってしまうようなことを口走ったのだろうかと、不安になる。
だが、すぐにそんな考えは吹き飛んだ。疲れたようにうなだれるリゲルの肩越しに、音もなく、小さな黒い影が横切った。人の身体能力を超える身軽さで、その陰は木から木へ飛び移り、軽やかにミザル・ブルクの屋根に降り立つ。
そんな芸当ができるのは、一人しかいない。
静寂の盗人――王国全土をにぎわす天下の大泥棒が、そこにいた。




