この時ほど鍛えられていて良かったと感謝した日はないでしょう。※
季常は、弟に関平が職務を全うするのを監視させる為に、関平が馬に乗っている傍に待機させていた。
敬兄を尊敬はしているが、自分はもっと才能があり、それを生かす所で働きたい。
自分には野望がある。
自分は王佐の才がある。
それを、上手く使ってくれる主を得たい。
もっと、自分の才能を認めてくれる主を……その為には力をつけ大きな戦を指揮し、勝ちたい。
今回は敬兄が献じた策だが、それを生かし応用して、もっと敵に被害を与えるようにして……。
「張益徳将軍からの伝令です。進んできます。主将は夏侯元譲。思ったより広がってはいないようです……もう少ししたら囮を動かしますか? 」
伝令の声に返答しようとした瞬間、関平が突然馬を逆方向に走らせ始めた!!
つまり、草原を敵を背にし油を撒いている場所に敵を追い込む筈が、敵に向かって走っている。
それだけでなく、関平は、
「伏兵よ!! 伏兵!! 貴方たちを火攻めにしようとしてるの!! 逃げなさい!! 」
と、叫び始めるではないか。
季常は蒼白になる。
何をしている!? この女は、何と……!?
「幼常!! 今すぐあの女を捕まえろ!! 」
「わ、解りました! 兄上!! 」
追いかけようとするが、馬は雲長の最後の温情か、愛馬、赤兎の子供である。
ぐんぐんと速度が広がる。
と、別方向から白い髪を靡かせた青年が白馬に乗って現れ、関平の馬と並走し、手綱を奪い取り馬を停止させる。
ようよう近付いてきた幼常に、それを押し付け、
「いけ!! 軍規違反の沙汰は、お前の上司たちと共に負わせる!! 下がれ!! 」
押し殺した低い声で言い放った孔明は、何かを思い付いたように、関平の腕から矛を奪い取ると、馬の尻を蹴り飛ばした。
そして、関平の叫び声に警戒した……内容は解っていないらしい……部隊が、じりじりと近づいてくる。
それを唇をあげ、いかにも余裕のあるように見せた孔明の前に、一人出てきた武将。
「騒々しい軍隊だな……女子供を散々な目に遭わせる。物心もつかぬ自分の娘を戦場に立たせたり、娘を餌に逃走する。女子供をなぶるのは、劉玄徳の好きな行動だ。私はそう言うことをする下衆は何よりも嫌いだ!! 」
がっしりとしているのかと思いきや、想像よりも清廉な物静かな印象。
しかし、歴戦の武将だと解るのはごつごつとした手と、慣れた傷だらけの鎧、そして、片目を覆い隠す布。
あぁ、彼は……。
孔明は、漢王朝では高位の……本当の意味での将軍位を持つその人物に、拝礼をする。
伏兵は息を飲み、そして警戒していた敵軍も呆気に取られる。
「……それは、何だ? 」
「現在は敵とはいえ、文武両道を心掛け、ただ一人曹孟徳に諫言できると言う……そして、あの時に助けて戴き感謝しております」
「あの時……」
考え込んだ男に、孔明は微笑む。
「15年前、場所は徐州。姉妹を庇い、うずくまっていた……」
「……そなたか!! 」
「はい。私は、じ、常山郡真定県の生まれ、趙子竜!! 出身地を追われ追われて逃げ込んだ徐州で、再度虐殺に巻き込まれた!! 私は、曹孟徳に一矢報いる為に来た!! 貴方は一度だけお見受けした夏侯元譲殿でしょう!! 」
孔明は、心の中で計算する。
相手は歴戦の将軍。
武器は、今孔明の持っている貧相な古びた物のみ。
このような物でなど彼と数合打ち合えば、破壊されるに違いない……ならば。
「私のような若輩者では物足りないでしょうが、お手合わせを希望致します!! 如何でしょうか? 」
「そなたのその武器、そして装備では私には勝てぬ」
「侮られるか!? では、こちらから参ります!! お覚悟を!! 」
孔明は、愛馬を走らせる。
そして打ちかかり、矛の長さを生かした戦いをする。
しかし、刃を生かすことはなく、柄や逆の先端部での突き、払い殴打に終始する。
そして、元譲には解らないように、ジリジリと罠を仕掛けた方向に下がっていく。
「どうした!! 先程は大言を吐いていたが、腰が及び腰になっているぞ!! 」
元譲の声に、
「元譲殿の方こそ、私のような若輩者に遠慮されているのですか? お優しいのは美徳ですが、甘い考えは自らの危険を引き寄せますよ……!? 」
元譲の戟が降り下ろされると、孔明の矛の柄が真っ二つに折れる。
その様子に曹孟徳軍から歓声が上がる。
が、次の瞬間、想像だにしないことに固まった。
「隙あり!! 」
孔明は、折れた柄を瞬間交差させ、元譲の武器を押し返すと同時に相手の馬に飛び乗り、走り始めた。
「な、な!! 」
「将軍!! 将軍!! 」
「皆の者追いかけろ!! 夏侯将軍を取り返せ!! 」
兵たちが泡を食ったように、追いかけ始める。
兵士がただ走っている前、孔明と元譲の乗る馬上では、孔明は折れた矛を投げ捨て、隠し持っていた小刀で、戦っていた。
元譲も戟を捨て片手は手綱を振り絞ろうとし、それを孔明が阻む。
それが何度も繰り返され、一度はバランスを崩しかけた孔明を、その横に並走していた孔明の愛馬、月花が元譲に突進し、助ける。
「お、お主……趙子竜ではないな? 」
「おや? どうしてそんなことを? 私が私だと名乗っているのです。それをどうして否定するのでしょう? 」
戦いながら、舌戦を繰り広げる。
「7年前に会った趙子竜は、幼い子供だった。5、6才位だったな。金髪、青い目……酷い扱いを受けているのがありありと解る幼児だった」
「……そうでしたか? 私は、覚えておりませんが? 」
「で、お前は徐州にいたと言った。15年前とお主は言った。孟徳に何度も止めたが、強行した徐州の虐殺……思い出した。数人の子供を庇い立ちふさがる10才余りの少年……あれがお主か!? 」
元譲は孔明を見る。
唇を歪める。
「えぇ……あの時の『私』も私。そして、8年前の『私』も私ですよ。さぁ、無駄話もお仕舞いです!! 貴方には曹孟徳を止められなかった責任がある。そして、8年前に孤独感と絶望に打ちのめされ泣くことも許されなかった『私』を見ていながら救うこともなかった。貴方方の政治は自らの保身と金集め、何の罪もないごく普通の一般の民を苦しめ続けた董仲穎と同じ事‼ それを大義だ何だと大言を吐くだけなら、政なんてくそくらえだ!! そんなのは、上が下を見下して、自分の政治が正しいと思い込んでいる思い上がりも甚だしい!! 」
強い口調で断罪すると、並走していた馬に器用に飛び移り、元譲を見つめる。
「曹孟徳に伝えておけばいい。この趙子竜は、私の全てを奪おうとするものは全て貴方が昔やってくれたように、破壊し尽くし、消し去って、絶望の縁に立たせて見せると!! 貴方のやり方を踏襲するだけでなく、『孫子』の注釈とやらをつけたと言うが、それがどうした‼ ……戦は生き物で、そして化け物だ!! 注釈とか偉そうなことを言っても、所詮は殺しあいを推奨するだけではないか!! 何が文学、芸術……そんなものは今は唯のゴミだ!! 文化人を気取るなら、もっと平穏な時代に生まれてくるんだな!! 戦乱を悪化させた張本人が、片腹痛い!! 」
「……」
「芸術が見たいなら……あぁ、来られましたね、お仲間が。……貴方方に、この戦場での芸術をお見せ致しましょう!! では」
孔明は身を翻し草原の奥に姿を消す……と、次の瞬間周囲にばぁぁっと火が放たれる。
その火の向こうで、
「芸術家の曹孟徳にお似合いですよ!! 火と煙の競演をお楽しみあれ!! 」




