48 昭和の恩人
凪たちは清吉と紗名を社殿の中に移動させ、畳の上に寝かせた。
紗名は眠ったように静かで、呼吸のリズムも穏やかだったが――清吉の方は違っていた。
身体をわずかに揺らすたび、喉の奥から苦悶を押し殺したような息が漏れる。
額に脂汗を滲ませたその姿を見ていると、自分の心まで引き裂かれるようだった。
凪は社殿の一角に鏡を立て、昭和へ飛ぶ準備を進めた。
未来へ飛ぶ方法は単純だった。
以前、時代を遡るときに未来鏡から過去鏡へと反射させた光――その向きを、逆にするだけでいい。
鏡面が淡く震え、壁面に白い光の境界が立ち上がる。
凪は紗名の身体を抱き起こした。
思っていた以上に軽く、華奢な身体だった。
この身体を乗っ取って好き放題に操っていたイザナミへの怒りが、改めて込み上げる。
「……それじゃ、菊枝。清吉さんを頼む」
声をかけると、菊枝は短く頷いた。
凪は紗名を背に担ぎ、境界の光へと足を踏み入れる。
悟と未久もそれに続いた。
光が一気に広がり、目の前が白く塗り潰される。
視界が戻った時――彼らは同じ社殿の中に立っていた。
だが、もう誰も戸惑わない。
ここは“昭和”のはずだ。
ここからもう一度飛べば平成に帰れる。
凪は外を確かめるため、扉を押し開けた。
割れた石畳、倒れた灯籠、散乱する瓦――
間違いない。ここは昭和の曳石神社だ。
「おお……!」
境内に張りのある声が響いた。
井戸の脇に立っていた善三が、三人の姿を見るや否や駆け寄ってくる。
「――無事だったか!!」
「うん、何とか。……こっちは、大丈夫だった?」
「大丈夫も何も、お前たちが行ってからまだ一時間も経ってないぞ」
善三は凪たちを心配して、この場に留まっていてくれていた。
イザナミとの遭遇、覚醒した神の力、そして紗名の奪還――凪たちが江戸時代で起こった出来事を伝えると、善三は目に涙を溜めて力強く何度も頷いた。
「でも、紗名が目を覚まさないんだ。病院に連れて行かなきゃ」
「そうか。平成の――病院だな」
凪は深く頷く。
「向こうは平成二十九年、九月六日、か。……覚えておこう」
善三は空を仰ぎ、その日付を噛み締めるように呟いた。
再び鏡を設置し、凪は最後に振り返る。
「あ、そうだ。遅れて、菊枝が来ると思う。神様になっちゃってるけど、あいつ」
「なに?」
一瞬の間を置いて、善三の目が見開かれた。
「そうか。菊枝が……」
善三は声を震わせた。
水害を察知しながらも、菊枝だけは救えなかったという自責の念。
その菊枝が無事で、しかも再会できるとなれば大きな喜びだろう。
「ん? 待て……神様、だと!?」
「まあ、ちょっといろいろあって」
「いや、いい。無事ならば――それでいい」
善三は深く息をついて、凪の肩に手を乗せた。
「後のことは俺に任せろ。こっちの時代も、あっちの時代も、な」
「ありがとう。慌ただしくてごめん」
凪は唇をぎゅっと結び、鏡へと向き直る。
光をくぐり抜けたその先では、見慣れた平成の社殿が、静かに三人を迎え入れていた。




