46 照らす者
ばちん、という破裂音が空気を裂き、凪の足首に絡みつこうとした泉守道者の腕が、何かに弾かれたように跳ね飛ぶ。
「……え?」
思わず漏れた声は、自分のものとは思えないほど遠く聞こえた。
呆然と立ち尽くし、足元へと視線を落とす。
腕も、胸も、脚も――凪の全身は、淡くあたたかな光に包まれていた。
眩しさはない。
突き抜けるような力強さもない。
朝の始まりに差し込む光のように、世界を照らす、静かな力。
胸の奥が、じんわりと熱を帯びていく。
それはまるで、内側から灯がともったかのようだった。
「……なんだ……これ……」
光は凪を中心として、波紋のように広がっていく。
「……っ、あ、あぁ……」
イザナミの身体が、ずるりと後退する。
光は、闇を押し返していた。
抗おうとするように振る腕が、光に触れて力なく垂れる。
「アマ……テラスッ……!!」
必死の形相でその名を呼ぶイザナミ。
その名を、凪は知っている。
思い出したのではない。教えられたわけでもない。
最初から、知っていたのだ。
迷いを振り切るように呼吸を整え、凪はゆっくりと歩き出す。
踏み出すごとに光は確かさを増し、イザナミは後ずさるように社殿へと追いやられていく。
やがて彼女は階段に躓き、社殿の縁にその背を打ちつけた。
闇から伸びる無数の腕が、彼女を引きずり込もうと絡みつく。
イザナミは戸の縁に爪を立てて、必死に踏みとどまった。
凪を見上げるその瞳には、懇願と恐怖と怒りが渦巻いていた。
縋るような表情。
言葉にならない、嗚咽のような声。
凪はそこで、一度歩みを止めた。
視線を伏せると、紗名の顔が脳裏に浮かんでくる。
笑っていた。泣いていた。怒っていた。拗ねていた。
隣に立ち、想いを重ね、未来の話をした。
――全部、偽りだったのだろうか。
今、目の前にいるのは紗名の体を奪い、人格を塗りつぶし、何千回にもわたる人生を繰り返してきた女神。
人を人とも思わず、自分の欲望を満たすためだけに命と時間を弄んできた存在。
それでも。
「……紗名」
喉の奥から、自然と名前がこぼれ落ちた。
気づけば、頬を涙が伝っていた。
凪の感情に呼応するように、光が脈を打つ。
「……ごめん」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
凪は顔を上げ、再び足を踏み出した。
“神”とは名ばかりの歪んだ存在が今、あるべきところに戻されようとしている。
それは裁きではない。
否定でも、復讐でもない。
「こんな、ことで……こんな……」
イザナミの身体が境界を越え、闇に沈んでいく。
足が沈み、腰が沈み――ついに首から下全てが社殿内部の闇に呑まれた。
あと少し。
もう少しで、全てが終わる。
歪んだ時は正され、人の未来は、再び――
「ふざっ……ける、なああああああああああぁぁぁぁぁっっ!!!!」
怨嗟の叫びが、空間そのものを震わせた。
その直後、イザナミの身体から黒い塊がずるりと抜け落ちる。
それは形を持たない怨念そのものだった。
叫び、歪み、うねり――木々を揺らして無秩序に飛び回ったそれは、やがてどこかへと飛び去った。
同時に、泉守道者の動きがぴたりと止まる。
彼らは静かに紗名の身体を抱え上げ、板張りの床へと横たえた。
その仕草に、もはや敵意はない。
役目を終えた守り人たちは、そのまま霧のように溶けて消えていった。
怨念も、腕も、闇も。
そのすべてが最初から存在しなかったかのように――社殿には、静寂だけが残った。
ただ、そこに横たえられた少女の姿だけが――
この場所で何が起きたのかを雄弁に物語っていた。




