42 破壊と再生
山道を抜け、鳥居の前に立ったその瞬間――空気が変わった。
湿った冷気が肌にまとわりつき、背筋を這い上がるような寒さが全身を包む。
それまで感じていた森の匂いは唐突に途切れ、代わりに何かが腐ったような不快な臭気が鼻を突いた。
「……うわ」
目の前に広がる光景に、未久が思わず声を漏らす。
その声は静まり返った境内にやけに大きく響いた。
石畳はひび割れ、石灯籠が横倒しになっている。
社殿の梁からは千切れた注連縄が垂れ下がり、崩れ落ちた瓦があたりに散乱している。
「井戸はっ……!」
参道の脇に目を向けると、そこには吹き飛ばされた石蓋と、ぽっかりと口を開けた闇があった。
「何が起きたら、こんな……」
悟が低く呟く。
「……中、空っぽ?」
未久が恐る恐る井戸に視線を送る。
内部には不気味な闇が広がっているが、そこに邪悪な気配は感じられない。
「みっこ、ちょっと周り警戒しといてくれ」
「わかった!!」
凪と悟は視線を交わし、井戸の内部へと足を踏み入れた。
階段を降りた先には、見覚えのある石室が広がっている。
「……鏡、無事か?」
後ろから悟が尋ねる。
凪は数歩進んだところで立ち止まり、呻くように答えた。
「あっ……たけど……」
言葉が、続かない。
そこにあったのは鏡の“残骸”だった。
美しい円形だったはずの鏡は無残に歪み、折れ曲がっている。
黄泉の属性に縛られ、本来なら触れることすら叶わないはずの鏡。
それをイザナミは――自らの身体を代償にして、ここまで破壊したのだ。
その執念が石室内の壁や床にもべっとりと染みついているような気がして、息が詰まりそうになる。
身震いしながら周囲を見渡す凪だったが――
ここにあるのは、壊された鏡と、怨念のような激情の残滓だけだった。
「他は……何もない――か」
数秒の沈黙を挟んで悟が発した言葉に、凪は小さく頷く。
「……戻ろう」
胸の奥に重苦しい感覚を抱えたまま、壊れた鏡を手に階段を上る。
地上へ戻った凪たちを待っていたのは、変わらぬ静寂だった。
「鏡、だめだった……」
凪は皆に見えるよう、壊れた鏡を差し出した。
明るい場所で見ると、その損傷がよりはっきりと分かる。
鏡は変形しているだけでなく、その表面は曇り、かつて宿っていたはずの神秘的な輝きは完全に失われていた。
「……酷いな」
悟がそう呟き、鏡を受け取ったその瞬間――手のひらから、温かく柔らかな光が溢れ出した。
「悟――お前、それ……!」
凪が思わず声を上げる。
それは、未久が力を使う時に放つ光とよく似ていた。
だが胸に迫る感覚は異なり、その光は深く静かな落ち着きを感じさせる。
「え……なに、これ……?」
一番驚いているのは悟本人だった。
光は手から腕、肩、そして全身へと巡り、壊れた鏡を覆うように広がっていく。
瞬くように揺らぐ光の中で、鏡は徐々に変化していった。
歪みが消え、亀裂は塞がれ、曇っていた表面に澄んだ光が戻る。
光が消えた時、そこには元の姿を取り戻した鏡があった。
「……直っ……た?」
「え? え? どうなってんの!?」
未久が裏返った声を上げる。
「わか……らない」
悟は自分の手を見つめ、何度か握ったり開いたりするが――もう光は現れなかった。
やがて静かに顔を上げ、凪を見る。
「でも、これで……飛べるんじゃないか」
凪たちの心に、希望が灯る。
鏡は戻った。少なくとも、そう見える。
ならばここで立ち止まっている時間は、ない。
「よし、急いで家に戻って――」
「……ちょっと待って」
悟はリュックを開け、中から鏡を取り出した。
「え!? なんで持ってきてんの!?」
「井戸が開いたって聞いて、嫌な予感がしたんだ。家に置いたままだと危ないだろ」
封印が破られた今、いつどこからイザナミが現れてもおかしくない。
もし鏡が家に置かれたままだったら――取りに戻る余裕はなかった。
悟の行動は直感的なものであったが、結果的にこの状況ではそれが唯一の正解だった。
「よし、今回も井戸の中で飛ぼう。外は危険だ」
凪は善三の方を振り返る。
「じいちゃん、世話になった。その体は……なんというか――」
言葉を濁す凪に、善三は短く、そして力強く言った。
「気にするな。いいから早く行け――あいつが戻ってくる前に」
その言葉に、凪たちは深く頷いた。
井戸の縁で別れを告げ、石蓋を閉じて階段を降りる。
石室内に鏡を設置し、表面にライトを当て――
この時代へ来た時と同じ手順で、凪たちは “入り口” を作った。
白い光と、渦巻く風が凪たちを包む。
「行くぞ」
凪の声に合わせて光の中へ踏み出すと、三人の姿は静かにこの時代から消えていった。




