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35 辿り着いた先

 眩しい光が弾け、あたりに静寂が満ちる。

 痛いほどの耳鳴りが収まり、凪《なぎ》たちはゆっくりと目を開いた。


「ここは……」


 視界に広がるのは――冷たく湿った石壁。

 先ほどまでいた地下室と、まるで変わらない光景だった。


「成功した……のか?」


 悟《さとる》が息を飲む。


 しかし、周囲の状況は先ほどと全く同じではなかった。

 鏡の配置が微妙に変わっている。

 外から漂ってくる気配も、さっきとは違う。


 凪《なぎ》は石蓋に手をかけ、慎重に押し上げた。

 差し込む朝の光が、暗がりに滲んだ緊張をあっけなく溶かしていく。

 柔らかな風が頬を撫で、土と草の匂いが鼻先をかすめた。


「……よし、大丈夫だ」


 凪《なぎ》が身を乗り出して外へ出る。

 悟《さとる》と未久《みく》もそれに続いた。

 参道の先には手入れの行き届いた立派な社殿が見え、凪《なぎ》たちの知っている『廃神社』の面影は微塵もない。


 ――成功、したんだ。


 胸の奥で安堵が膨らんだ、その瞬間。


「……ん?」


「あ……」


 参道を歩いてきた男と、不意に目が合った。

 沈黙が流れ、空気がぴんと張りつめる。


「……なんだお前たち。どこの子供だ?」


 男は目を細め、三人をしげしげと見つめている。

 鋭い視線。しかしその奥には、どこか懐かしい温かさがあった。

 未久《みく》が凪《なぎ》の袖をそっと引き、小声で囁く。


「凪《なぎ》ちゃんの……おじいちゃんだよね?」


 間違いない。

 その顔は仏壇の写真で見た若い頃の祖父そのものだ。


「てことは……ここ、昭和十二年か?」


「……ここからもう一回飛ばないと江戸時代には行けないってことか」


「鏡、どうすんの? あれないと――」


「鏡、だと!? ……今、鏡と言ったか!?」


 善三《ぜんぞう》の表情が一変した。


 ここは水害が起こったあとの昭和十二年。

 善三《ぜんそう》も、 “鏡のメッセージ”についてはすでに知っている。


「鏡とは、ご神体の鏡のことか? お前たち、何か知っているのかっ!?」


 善三《ぜんぞう》が凪《なぎ》に詰め寄り、その肩を強く揺さぶる。


「ちょ、ちょっと待って、鏡がまだ地下に――」


「なに!? ――あるのか!!」


「説明するから……ちょっとだけ、待って!」


 善三《ぜんぞう》の手を振りほどき、凪《なぎ》が井戸へと駆け戻る。

 階段を降りかけた瞬間、地下の空気がひどく冷たく感じた。

 さっきまでなかった、湿った気配――。


 次の瞬間、黒い影が風より速くその脇をすり抜けた。


「うわっ!」


 風圧のような衝撃が身体を弾き飛ばし、凪《なぎ》は踏みとどまる間もなく階段の底へ転がり落ちた。

 背中に衝撃が走り、息が詰まる。


「凪《なぎ》っ!!」

「凪《なぎ》ちゃん!!」


「だいじょ……ぶ……っ、けど……痛ってぇ……」


 地上からの声に返答し、痛む肘を押さえながら石室の奥へライトを向ける。

 白い光に照らされて――真っ黒な“影”が立ち上がるのが見えた。


「イザナミ……!」


 黒い影と化した女の姿。その輪郭には確かに紗名《さな》の面影を宿している。

 イザナミは時を超え、凪《なぎ》たちを追ってきていたのだ。


「――――!!」


 とっさに構えた凪《なぎ》には目もくれず、イザナミは壁に立てかけられた鏡を両手で掴み上げた。

 その手が鏡に触れた瞬間、ジュッと音を立てて白煙が上がる。


「こんな……もの、が……あるから……ッ!」


 怒りに震えた声とともに、イザナミは狂ったように鏡を締めあげた。

 煙はいっそう激しく立ちのぼり、軋むような金属音が地下室に響く。


「やめろ!」


「黙っててよッ! わ、たしは……凪《なぎ》と、一緒に……ッ!」


 その声は紗名《さな》のものだった。だが、それはもう紗名《さな》ではない。

 地下室を埋め尽くさんばかりの執念が轟々と渦を巻き、黒く塗り潰された顔が怒りに歪んでいるのが見えるようだった。


 けれど、その奥で迷子のように揺れる紗名《さな》の意識を感じた瞬間――凪《なぎ》の中で、何かが静かに形を変えた。

 逃げる前に考えるべきことがある。

 そんな当たり前の思考が、なぜかすっと戻ってきた。


 何ができる? どう動けば、みんなを守れる?


 イザナミの位置。鏡の場所。階段との距離。

 地下室全体の“絵”が、すべて一度に頭へ流れ込み、整理されていく。



「おい」


「――なに!? 邪魔しないでよ!!」


「状況。ちゃんと見てみろよ」


「――!?」


 イザナミは鏡に気を取られて、地下室の奥まで入り込んでいる。

 その間に凪《なぎ》は、すでに階段を半分ほど登っていた。

 出口はその背後――凪《なぎ》のすぐそばだ。


「ちょっと……ちょっと待ってよ……」


 鏡を抱えたまま、イザナミが向き直る。


「私は……ただ凪《なぎ》と……」


 懇願にも似た声。

 胸の奥にかつての紗名《さな》の姿が浮かび、凪《なぎ》の心を締めつける。

 振り返れば迷うと分かっていた。だから凪《なぎ》は、振り返らなかった。

 そのまま一気に階段を駆け上がり、石蓋に手をかける。


「やめっ……!」


 音を立てながら石蓋が井戸を塞いでいく。

 その隙間から、黒い霧がうねるように噴き上がる。

 しかし凪《なぎ》は全身で体重をかけ、それを押しきった。


 ゴウン――


 重い音が響き、地下室は完全に閉ざされた。



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