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32 決意の朝

 東の空が、かすかに白み始めていた。

 鳥の声はまだ途切れ途切れで、風すらもその身を潜めている。


 凪《なぎ》は机に突っ伏したまま、目を閉じることもできずにいた。

 一晩中考え、何度も同じ結論にたどり着いては――また考えた。


 ――悟《さとる》と未久《みく》に、全てを打ち明けよう。

 そして三人で、一緒に清吉《せいきち》のもとへ逃げよう。


 そう決めたはずなのに、胸の奥には重い不安がこびりついて離れない。


 紗名《さな》は昨夜のうちに発った。

 行動を起こすなら今日しかない。


 時刻は、午前四時半。

 凪《なぎ》は机の上のスマートフォンに手を伸ばしかけ――そして止めた。


 ――ダメだ。


 個人チャットとはいえ、見られているような気がしてならない。

 電話も、同じことだろう。


「……行こう」


 小さく呟いて、凪《なぎ》は立ち上がった。

 靴を履き、玄関を出て、自転車のスタンドを蹴り上げる。

 朝もやの中、チェーンの軋む音だけがやけに大きく響いた。




 悟《さとる》の家に着く頃には、もう山の端から太陽が半分ほど顔を覗かせていた。

 農家の朝は早い。庭先では悟《さとる》の母がホースで水を撒き、湿った土の匂いが朝の空気を満たしている。


「おはようございます。悟《さとる》、いますか」


「まあ凪《なぎ》ちゃん、朝早くからどうしたの? ちょっと待っててね」


 ほどなくして玄関に現れた悟《さとる》は、まだ眠そうに目を細めていた。

 しかし凪《なぎ》の顔を見た瞬間、その表情が一気に引き締まる。


「どうした、こんな時間に」


「話がある。……大事な話だ」


 二人は悟《さとる》の部屋へ入り、小机を挟んで向かい合う。

 凪《なぎ》は深く息を吸うと、声の震えを押し殺しながら語り始めた。


 紗名《さな》はもう人間ではないこと。

 この世界は、何度も同じ時間を繰り返していること。

 そして――紗名《さな》が自分たちを殺そうとしていること。


 悟《さとる》は何も言わなかった。

 眉ひとつ動かさず、聞き終わるまでじっと凪《なぎ》を見つめていた。


 遠くで、鶏の鳴く声が聞こえる。

 沈黙の後、悟《さとる》はゆっくりと口を開いた。


「実は――その話、なんとなく気づいてた」


「えっ!?」


「校舎裏で、お前と紗名《さな》が話してた時、聞いたんだ。

 “あの二人に知られたら、生かしておけない”――って」


 凪《なぎ》は息を呑んだ。

 悟《さとる》は表情を変えず、淡々と続ける。


「最初は何か冗談でも言い合ってるのかと思ったんだ。

 でも、後から探りを入れてみたら予想外にお前の反応がガチでさ……」


 悟《さとる》は、紗名の“異状”に気づいていたのだ。


「昨日お前、“明日は用事がある”って言ってただろ。紗名《さな》も同じことを言ってた。

 だから紗名《さな》がいない今日、お前がうちに来た時点で――もう何の話かはだいたいわかった」


 なんて察しがいいんだ――凪《なぎ》の胸に、畏怖と感謝が入り混じる。

 悟《さとる》の冷静さが、自分の心の混乱も収めてくれる――そんな気がした。


「これ――持ってきてるんだ」


 凪《なぎ》は、バッグから古びた銅鏡を取り出した。

 曳石《ひきいし》神社の“鏡”。

 このまま三人で神社へ行き、その場で時間跳躍をする――それが凪《なぎ》の立てた計画だった。



「うん。そのプランでいいと思う。動くなら早い方がいい」


「いいのか。もし神社に鏡がなかったら……」


「その時は未久《みく》を連れて、ここを離れるさ」


 悟《さとる》の言葉に、凪《なぎ》は短く頷いた。


「あとは……みっこだな」


「未久《みく》には、まだ詳細は伝えない方がいいと思う」


 その意見には凪《なぎ》も賛成だった。

 実の姉のように慕っていた紗名《さな》が実は別人だったなんて――未久《みく》がすんなり受け入れられるはずもない。


「じゃあ、みっこへの説明は悟《さとる》に任せる。準備したらみっこの家、行こう」


「オッケー。すぐ行ける」


 悟《さとる》は床に置いてあったリュックを肩に掛けた。

 どうやらすでに“その時”に備えていたようだ。


「!? 用意いいな……」


「まあ、嫌な予感ってやつだ。こういうときは当たるもんだろ」


 その周到さに驚きながらも、凪《なぎ》は胸の奥で確かな心強さを感じていた。


 ――いける!

 俺ひとりだとちょっと頼りないけど! 悟《さとる》が一緒ならいける!!




 澄んだ朝の風を受けて、自転車は走り出す。


 凪《なぎ》はハンドルを握り直し、悟《さとる》の隣に並んだ。


「悟《さとる》」


「ん?」


「……ありがとう」


 それだけ言うと、凪《なぎ》は前を見た。


 ――この繰り返す世界の中で、今はただ前に進む。

 世界がどう歪もうと、この瞬間だけは、真実だ。



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