03 揺れ動く心
「――じゃあ行こっか、凪!」
伸びあがって屋台を物色していた紗名がくるりと振り返る。
普段と全く変わらないその様子に、凪は少しほっとした。
――大丈夫、コイツは紗名だ。今まで散々見飽きた顔じゃないか。普段通り、普段通り……
「えと……何、買うんだ?」
「ん? えーとねー、焼きそばとー、お好みとー、たこ焼き!!」
「見事に炭水化物ばっかだな……太るぞ」
「へへー。部活で走るから大丈夫だもん」
行ける。いつもの感じ。平常心だ。
一軒、また一軒と屋台を覗くうちに、凪の心にも徐々に余裕が戻ってくる。
「……やば。お小遣い足りるかなー」
「何でもかんでもバカみたいに買ってるからだろ」
財布を覗き込んで困り顔の紗名に、凪は少しぶっきらぼうに返答した。
調子が戻った分、口調もつい雑になる。
紗名は少しだけムッとしたような表情を見せたが――次の瞬間それはニンマリとした笑顔に切り替わっていた。
「ねー、なぎぃー。足んなくなったら、おごってほしいなぁ~」
紗名は悪い笑顔を浮かべたまま、猫のように体を擦り寄せる。
「バカ! くっつくなよ」
薄い浴衣の生地を通してダイレクトに伝わってくる紗名の体温と柔らかな弾力。ほんのりと香るシャンプーの甘い匂い。
やっとのことで取り戻した凪の平常心など簡単に吹き飛ぶほどの破壊力だ。
心臓がドクドクと暴れ出す。
頭がぼんやりして、周囲の音が遠のいていく――
「……あれ?」
気付いた時には、もうかなりの額をおごらされた後だった。
「ありがとね、なぎっ!」
パンパンに中身の詰まった袋を両手に提げ、屈託のない笑顔を向ける紗名。
文句の一つも言ってやりたいところだが、この表情を向けられては何も言えなくなってしまう。
――昔から変わらない笑顔だ。
いつまでも自分の隣にいると思っていた存在。
この笑顔がいつか知らない誰かに向けられるのかもしれない――ふとそんな思いがよぎり、胸にチクリとした痛みを感じる。
『高校行ったら、誰かに取られちゃうんじゃないの?』
悟の言葉を思い出し、凪は軽く頭を振った。
「ん? どしたん凪」
「わッ! いやっ、そっ……! そろそろ待ち合わせの時間なんじゃないのか?」
「えー。まだ全然早いでしょ」
「これ以上買ったって持てないだろうが! ほら行くぞ」
紗名の荷物を半ば強引に受け取ると、凪はそっぽを向いて歩き出した。
空いた右手で凪のシャツをしっかりとつかんで、紗名もそれに続く。
人々の声に混じる、ヒグラシの大合唱。薄暗くなった空に瞬き始める星。
賑わう境内に少しずつ、夜の帳が下り始めていた。
「あ、上がったよ!」
午後七時半。
祭のフィナーレを飾る打ち上げ花火があたりを照らす。
大玉が次々と打ち上がり、歓声が境内に響き渡る。
しかし――
凪の視線は花火ではなく、隣で空を見上げる紗名の横顔に向けられていた。
普段見ることのない浴衣姿、まとめあげられた髪――色とりどりの光に照らし出される紗名の姿が、今日はまるで別人のように見える。
――あれ? 紗名って、こんなに……
あまりにも近すぎて意識したことがなかったが――もしかしたら紗名は、他人から見てもかなり“かわいい”部類に入るんじゃないか。
性格だって悪くはない。いや、悪くないどころかこれほど気の合う相手もいないだろう。
ふと視界に入る、悟と未久の姿。
しっかりと握り合った二人の手を見て、凪の意識は自分の右手へと向かう。
隣に立つ紗名の左手までは、ほんの数センチ。
少し手を動かせば届く距離だが、その数センチが凪には果てしなく遠く感じられた。
――無理だっ、無理っ……!!
伸ばしかけた手が、そのまま拳に変わる。
くすぶり続ける凪の想いと裏腹に、花火は夜空を盛大に彩る。
思春期少年の苦悩を置き去りに、祭りの夜はゆっくりと更けていくのであった。




