25 最悪の告白
「……大丈夫?」
顔を上げると、心配そうにこちらを覗き込む紗名の顔があった。
しかし、その瞳には明らかに凪の知らない光が宿っている。
「ごめんね……本当は凪に、こんな思いをさせたくなかった」
柔らかな声とともに、イザナミが一歩踏み出す。
凪が反射的に身を引くと、彼女は足を止めて静かにうつむいた。
「……最初はね、凪の中に眠っている“あの人”を追って、ここまで来ただけだったの」
イザナミは視線を伏せたまま、かすかに微笑んだ。
「でもね、何度もループを繰り返してるうちに気づいてしまった。
私はもう、“あの人”じゃなくて……凪のことを、好きになっていたんだって」
その声は、わずかに震えていた。
密かに想いを寄せていた幼馴染からの告白。本来なら嬉しいはずのその言葉は、まるで呪いのように胸に響いた。
「だってもう……“あの人”と過ごした時間より、凪と一緒にいた時間の方が長くなってしまったんだもの」
……勝手なことを言うな。
胸に湧いたのは恐怖でも哀れみでもなく、燃えるような怒りだった。
紗名の姿で、よくもそんなことを――
「――イザナミ!!」
「ああっ!」
イザナミは激しく身をよじり、笑うとも泣くともつかぬ声を上げた。
その瞳がかすかに潤む。
「何度も、何度も繰り返してきた中で――初めて凪が私を『イザナミ』って呼んでくれた……!」
そう言ってイザナミは口角を吊り上げ、熱に浮かされたような笑みを浮かべた。
その狂気じみた喜びに、凪の背筋が凍りつく。
目の前の存在が、心の底からおぞましく感じられた。
「……紗名を返せ」
「返せって言われても……凪の知ってる紗名は全部、私なんだよ?」
その声はざらついたノイズのように耳を刺した。
「そう、私、わたし、ワタシ……」
呟きが波紋のように広がり、周囲の空間を歪ませていく。
「ねえ、受け入れてよ、“私”のこと。凪だって、気になっていたんでしょう?
……じゃないと私、凪を殺すしかなくなっちゃう。殺して、リセットして、もう一回やり直すしかなくなっちゃう」
吐息のような甘い声。
愛おしむように凪の胸元を指先でなぞりながら、イザナミはさらに言葉を紡いだ。
「本当はね、私たち……十五歳の誕生日までしか一緒にいられないの。
凪の中の神格が目覚めちゃうから――それまでに、私は凪を殺さなくちゃいけないの」
――誕生日までは、あとわずか。
あの悪夢の正体は、これだったのか。
あれは夢でもなんでもなく、何度も繰り返されてきた現実だったのだ。
「“あの人”が目覚めるとまた逃げちゃうから……仕方なく、ね」
イザナミが凪をまっすぐに見つめる。
その目には、悲しみと執着が混ざり合っていた。
「でもね、どの人生でも、病気や事故からは全力で守ってきたんだよ?
だって凪は、私の愛する人だから。私以外のものが凪の命を奪うなんて、許されない」
早口でまくし立てるその声は、かすかに上ずっていた。
優しさと狂気が絡み合ったその響きに、再び吐き気が込み上げる。
「鏡のこととか、過去のこととか――今回は凪がいろいろ知ってしまって、一度はリセットしようかとも思った。
でもね……そんな中でも、凪が私を“私”だって認識してくれたことが嬉しかったの」
イザナミの目に、次第に狂おしい光が宿り始める。
凪はその気配に圧され、思わず後ずさった。
「だから殺したくない! ぎりぎりまで、この状態を維持したい!
……だから、ね? 凪。もう変なことしないって約束して? 私と一緒にいるって約束して?」
その声は哀願にも似ていたが、同時に脅迫めいた響きを帯びていた。
イザナミはそっと凪の髪に触れ、優しく撫でる。その仕草には子をあやすような優しさと、歪んだ愛情が滲んでいた。
「――凪のためを思って、言ってるんだよ?」
「……いやだ」
乾ききった唇から、やっとの思いで絞り出した言葉。
その一言が、イザナミの動きを止めた。
まばたきひとつせず、ただまっすぐに凪を見つめ返す。
ゆっくりと目の奥から光が消えていくのが分かった。
伸ばしかけた指先が、空をつかむように宙を彷徨い――やがて、すとんと落ちる。
「そう、仕方ない……ね」
イザナミは、目を閉じて一度、深く息を吐いた。
そして、すべてを受け入れたような微笑みを浮かべながら、静かに顔を上げる。
「でも、大丈夫。凪は赤ちゃんに戻るだけだから……ね?」
その瞬間、イザナミの影が大きく膨れ上がった。
紗名の口調は消え、言葉にならない囁きが空間を満たしていく。
やがてそれは獣の咆哮に変わり、雄叫びとなって凪に迫った。
――逃げなきゃ。
次の瞬間、足が勝手に動いていた。
来た道を、全力で駆け抜ける。
昨夜、一度は逃げられたんだ。
あまり足が速くないのは知ってる。
あの触手。あれにだけ気を付けて、どこか人のいるところまで行ければ――
「――――っ!?」
突然、体が前のめりに崩れ、地面に叩きつけられた。
何が起きたかわからない。周囲には足をとられるようなものもない。
「――血?」
視界の端に鮮やかな赤が滲む。
だが傷はない。痛みもない。
ただ腰から力が抜け、立ち上がれなかった。
頭を打ったのか、意識が遠のいていく。
世界が、ゆっくりと暗闇に沈む。
「私の言うことを聞いて、おとなしくしていてくれたらよかったのに」
霞む視界の中で、イザナミがゆっくりと歩み寄ってくる。
その笑みだけが、異様なまでに鮮明だった。




