23 重なる風景
自分の持つ記憶が本物なのか、それともただの夢なのか。
それを確かめるために凪はひとり、山へ向かった。
誰にも気づかれぬよう、慎重な足取りで家を出る。
特に紗名には知られてはいけない――そう思った。
人目を避け、小学校の裏手から山へと入る。
錆びたフェンスの裂け目を抜けると、足元の砂利が控えめな音を立てた。
「ふう……」
ここまで来れば、もう人の気配はない。
凪は小さく息をつき、再び歩き出した。
出がけに祖父へ尋ねた猿合への道のりは、凪が覚えているものと寸分も違わなかった。
やはり、自分はそこへ行ったことがある――あとはそれを“証明”するだけだ。
陽はすでに高く、照りつける日差しがじりじりと肌を焦がす。
だが凪の足取りは迷いなく、確かなものだった。
曳石神社までの道のりは、あの日と同じ。
みんなで腰を下ろして休憩した場所。
カーブの先にそびえる二本の大杉。
見知った風景を通り過ぎるたび、ぼんやりとした記憶の輪郭が次第にくっきりとしていく。
やがて神社を越え、猿合へと続く獣道に入ったあたりから――凪の疑念は確信へと変わっていった。
もしあれが夢なのだとすれば、ここは初めて訪れるはずの場所だ。
しかし草むらの形や曲がり角の風景、木々の隙間から差し込む光の角度さえも――そのひとつひとつが、凪の持つ記憶とぴったり一致している。
ここを、紗名と二人で歩いた。
これは、紛れもなく実在する“記憶”だ。
確信とともに凪の歩みが速くなる。
やがて道が大きく開け、猿合の集落跡が見えてきた。
崩れかけた家々と、散乱した生活道具。
そこに広がっていたのは、まるっきり昨日見たままの光景だった。
凪はためらいなく、ある一角へ向けて歩を進める。
城山家の跡地。
昨日、確かにここで手にしたはずの帳面。それが、どうしても気になっていた。
「この辺、だったよな……」
手探りで瓦礫をかき分けると、乾いた音とともに古びた帳面が姿を現した。
記憶がぐらりと揺れる。
これがここにあるということは――
凪は震える指で埃を払い、帳面を開いた。
そして息を呑む。
「違う……」
その帳面に記録された内容は、昨日とはまったく異なっていた。
昨日の帳面は、自分たちとのやり取りから始まり、途中で別の人物との交信に移り変わっていたはずだ。
だが今手にしているこの帳面は、最初から別の人物である『清吉』とのやり取りで始まっている。
そしてその内容は凪の記憶している帳面のやり取りと、矛盾なくつながっていた。
「これ……二冊目、だ……」
昨日の手記は途中で終わっていた。
だがここには、凪の知らない菊枝の“その後“が記録されている。
水害の後も菊枝が無事だったこと。
鏡が二枚そろったという報告。
そして、清吉からの具体的な手順の指示。
読むほどに、頭の中で何かがつながっていく。
凪はページをめくる手を止められず、夢中で読み進めた。
――その時。
「うーん、やっぱりそうなるかぁ……」
静まり返った廃村に、不釣り合いな声が響いた。
聞き覚えのある、澄んだ声。
「――だよねぇ。納得いかないよねぇ。私もさすがにちょっと無理があるかもって、思ったもん」
「……紗名!?」
反射的に振り返る。
陽光に照らされた瓦礫の先に、よく見知った少女が立っていた。
笑ってはいるが、その瞳は底知れない冷たさを宿している。
「まぁ、『なかったこと』にはできないよね。だって凪、あれだけ怖い思いしたんだし」
理解が追いつかない。
なぜ紗名がここにいる?
「ごめんね? 混乱させちゃって」
声は確かに紗名のものだ。だが、その響きにはどこか違和感があった。
話し方も、言葉の選び方も、その笑い方も――何もかもが、微妙にずれている。
ほんのわずかなその『ずれ』が、どうしようもなく不安をかき立てた。
背中を汗が伝う。けれど、それは暑さのせいではない。
今、自分の目の前にいるのは、本当に“紗名”なのか――
息を飲み込みながら、凪は再び帳面に視線を落とした。
今やそれだけが、この不可解な現実を説明してくれる唯一の手がかりのように思えた。
そして――凪はページの最下段に、見落としていた一行を見つける。
清吉が菊枝に向けて送ったと思われるメッセージの一部。
そこにはこう記されていた。
「イザナミは、平成の未来では平坂紗名の姿をとっている」




