20 侵入
深夜の千守神社。
静寂に包まれた境内を、音もなく進むひとつの影があった。
凪だ。
向かう先は、拝殿の脇にそびえるご神木。
その裏が、今夜の待ち合わせ場所になっている。
時刻を確認すると二三時五〇分。約束の時間には少し早いが――
「……凪」
低く、押し殺したような声。
一拍置いて、ご神木の影から紗名が顔をのぞかせる。
凪は素早く周囲を確認すると、彼女のもとへ駆け寄った。
「――バレたら私が怒られるんだからね」
そう言って口を尖らせる紗名に、凪は大げさなジェスチャーで謝ってみせた。
その滑稽な仕草に、彼女の頬がわずかに緩む。
「――もう。さっさと済ませて、さっさと帰るよ」
そう言って歩き出した紗名の後に凪も続く。
今回の計画はあえて悟たちには知らせていない。
集団での行動は目立ちすぎるし、未久もあの状態だ。無理に連れ出すようなことは、したくなかった。
拝殿を回り込んで、その裏手へ――二人は足音を立てないよう、慎重に歩を進めた。
もしこれがただの夜の散歩なら、この静けさも幻想的に感じられただろう。
だが今は、無断での侵入という後ろめたさが二人の気持ちを張り詰めさせていた。
「……ほら、あれ」
紗名が指差した先に、拝殿よりも一回り小さな建物が静かに佇んでいた。
それが本殿――目的の場所だ。
幸いなことに、居住スペースを兼ねる社務所はこの本殿から離れたところにある。
警備システムなども設置されていないため、紗名が持ち出した鍵一つで難なく中に入ることができた。
足を踏み入れた瞬間、冷気が肌を撫でるような感覚に包まれる。
神域の中の神域。
さっきまでの蒸し暑さが嘘のように、そこは冷たい静寂で満たされていた。
明かりはつけられない。
頼れるのは、わずかに差し込む月の光と、自分たちの勘だけだ。
二人は声を潜め、慎重に奥へと進んだ。
木材と古びた塗料の混じった匂いが、鼻先をくすぐる。
進めば進むほどに、空間の密度が濃くなっていくような感覚に襲われる。
「これか……!」
本殿内の最奥部。他の床より一段高くなった場所に、それはあった。
白い布に包まれて厳かに安置された“御神体”。
凪は駆け寄り、慎重にそれを手に取った。
全体をくるむ布を取り払うと――間違いない。先日の神事で使用されていた鏡だ。
凪のテンションが一気に上がる。
だが、その高揚感はすぐに違和感へと変わった。
この鏡は見た目こそ立派だが、“新しすぎる”のだ。
あまりにも綺麗なこの鏡は、とても凪の持つ鏡と対になるようには思えない。
「うーん……」
裏面を確認しようと鏡を傾けると小さな文字が書いてあるのが目に入った。
顔を近づけ、目を凝らす。
“奉納 山本硝子店”
「さすがに、これは違うか……」
静かにため息をつき、鏡を元の位置に戻す。
けれど――ここで引き下がるわけにはいかない。
この場所にはまだ、見落としている何かがあるかもしれないのだ。
本殿の中を見渡すと、綺麗に整頓されてはいるが意外に見るべき箇所は多そうだ。
並んで置かれた木箱や桐箪笥の中には、布のかかった祭具が収められていた。
ひとつひとつ丁寧に確認していくが――お目当ての鏡は見つからない。
奥に進むほど月明かりは届かず、次第に手元すら見えなくなってくる。
「暗いな……」
凪はポケットからスマートフォンを取り出すと、小声で紗名に呼びかけた。
「ちょっとだけ画面の光で照らしてみるからさ、紗名、ここ立って壁になってくれないか?」
返事は――なかった。
「紗名……?」
――そういえば。
さっきから紗名が一言も喋っていない。
というか、物音ひとつしないが――ちゃんとそこにいるのだろうか。
凪は振り向いて紗名の姿を確認する。
紗名は、そこにいた。
暗がりなのでシルエットの状態ではあるが、ちゃんとそこに立っていた。
しかし――
「……え?」
ちょっと待て。
黒い。
月明かりに青みがかって見える景色の中、その影だけが異様なほど黒い。
この黒さは、見覚えがある。
夢の中で見た、あの――




