5.あっと驚くおひろめを
信じられない再会から数日後、わたくしは屋敷の一室でため息をついていた。向かいには、笑顔のレナードが座っている。
「『僕に任せろ』と、先日あなたはそう言っていました。けれどその答えが……舞踏会なのですか」
結局あのあと、彼に押し切られる形でわたくしの屋敷の場所を教えてしまった。そして彼は、上機嫌で正面から訪ねてきたのだった。
ろくに外にも出ず、セイラ以外に知り合いもいないわたくしのもとを突然同世代の令息が訪ねてきたとあって、両親は大いに驚き、混乱していた。気持ちはとてもよく分かる。
ひとまず両親をなだめてから、彼を応接間に通した。
そうして今、わたくしは普段着のドレス姿のまま、大きな扇子で顔を隠して彼に向き合っていた。
彼には、既に顔を知られている。わたくしが男ではなく、女性であるということも。けれどそれでも、ドレスをまとった自分の姿を、彼に見られるのは怖かった。
いっそ、追い返してしまおうかとも思ったけれど、一応話だけは聞くことにした。……それはまあ、彼が何を思いついたのかが気にならなかったといえば、嘘になるけれど。
すると彼はわたくしの向かいの椅子に腰を下ろすなり、満面の笑みで言い切ったのだ。「僕と一緒に、舞踏会に出てほしいんだ」と。
顔を見せなくとも、わたくしがあぜんとしているのは声音で伝わっただろう。ところが彼は、やはり楽しそうな笑顔のままうなずいたのだった。
「そう、舞踏会。そこに、僕と君とで出席しよう」
「……わたくしは、そんな場所には出られません。前は、親友を祝うために勇気を出して、仕方なく出席しただけで」
ぴしゃりと跳ねつけたものの、彼は上目遣いで食い下がってくる。
「その勇気、もう一度だけ出せないかな」
「無理ですわ。分かるでしょう、わたくしは……醜いもの」
消え入るような声でつぶやくと、彼はこちらに向かって身を乗り出してきた。扇子にそっと手をかけ、少しだけずらす。そうして間近でわたくしの顔をのぞき込んで、力強く笑いかけてきた。
「君は決して、醜くなんかない。そのことを証明するんだ。次の舞踏会で、ね」
結局、わたくしはレナードに押し切られてしまった。大いに不本意ながら、舞踏会に顔を出していたのだ。
会場は、レナードの屋敷の大広間だ。馬車を降りたわたくしを、浮かれたレナードが出迎えた。
「……緊張してきたのですが」
「大丈夫。さあ、行こう」
彼の手を取り、歩き出す。
この舞踏会には、ひとつだけ決まりがあった。種類は問わない、仮装してやってくること。
令嬢たちはドレスに羽飾りをつけて天使や妖精に化け、令息たちは執事から借りたらしい服をまとっていたり、古めかしいかつらをかぶったりと、あれこれ工夫していた。
大広間は、前に参加した舞踏会よりもずっとにぎやかだった。風変わりなこの趣向を、みんな楽しんでいるらしい。
けれど、わたくしたちが大広間に足を踏み入れたとたん、辺りがしんと静まり返った。精いっぱいめかしこんだ人たちの視線は、ひとりの例外もなくわたくしたちに向いていた。
怖い。帰りたい。今すぐ、ここから出ていきたい。
「レナード、目立っているのですが」
血の気が引いていくのを、手足が震えるのを感じながら、思いっきり声をひそめてレナードにささやきかける。
「目立つためにきたんだよ。君はそのまま、堂々としているといい」
わたくしは、いつもの男装。ただし、ブーツはかかとの高いものだ。身長がさらにかさ上げされていて、いよいよ男性にしか見えなくなっている。
そして、わたくしの隣に寄り添うレナードは……女装していた。
といっても、ドレス姿ではない。彼が男性にしては小柄だけれど、さすがに普通のドレスは入らなかったのだ。
代わりに彼は、わたくしのお下がりのガウンにあちこち手を入れて、袖口や襟元にたっぷりとフリルを加え、華やかに仕上げたものを羽織っていた。
ガウンの下には白いブラウスとズボン、はいているのは絹の布靴。さらに首元には、母親から借りた大きな宝石のブローチを飾っていた。
しかも念の入ったことに、今ではわたくしの視線よりほんの少しだけ下にある顔には、ほんのりと薄化粧が施されている。
レナードの柔和な顔立ちと鹿のようなしなやかな体つきに、そのいでたちはよく似合っていた。……というより、似合いすぎていた。
彼はにっこりと、わたくしに笑いかけてくる。その優しいまなざしに、少しだけ緊張が和らぐのを感じる。
「ほら、メリッサ。落ち着いて、深呼吸して」
レナードだけを見つめながら、彼の言葉に従う。ようやく、震えが止まってきた。
こうなったら、舞踏会が終わるまで、ひたすらに彼だけを見ていよう。他の人間がいることを意識しなければ、なんとかなるかもしれない。
しかしそう決意したとたん、いくつものひそひそ声が耳に飛び込んできた。
「ねえ、あの方……とっても素敵……」
「仮装っていうか、あまりにもしっくりきすぎて、少し怖いくらい」
「いつまでも見ていられそう……」
声の主は、令嬢たちだ。そちらを見る勇気はないので確認はできないけれど、たぶんその声はレナードに向けられているのだろう。
周りを見ないよう視線を落としていたら、レナードが微笑む気配がした。
「メリッサ、一度だけでいいんだ。顔を上げて、みんなを見てくれないか」
彼はちょっぴり上目遣いで、おねだりするようにわたくしを見ている。身なりだけでなく、しぐさや表情まで見事に女性そのものだ。わたくしよりずっと可愛らしい。
「本当に、あなたはお願いばかりですね……」
「そうかもしれないね。でもどうか、僕の一生のお願いだと思って」
「調子のいいことばかり……」
ぼやいてはみたものの、彼のことはどうにも憎めない。知らない人ばかりのこの場で、彼だけが味方のように思えていたからかもしれない。
だから、しぶしぶながらも彼のお願いを聞いてやることにした。本当は怖いけれど、勇気を出してみることにする。大丈夫、レナードがついていてくれるから。
そうして、そろそろと顔を上げ……驚きに立ち尽くした。
令嬢たちは、間違いなくわたくしを見ていた。わたくしと目が合うと、みなぱっと弾かれたように視線をそらしてしまう。
けれどその表情は、嫌悪のそれではなかった。目をうるませ、唇を薄く開け、頬を染めて……まるで、恋する乙女のような……。
どうして、わたくしをそんな目で見ているの?
わたくしは、醜い令嬢だ。男のなりをしていればまだましだけれど、それでも社交界でもてはやされるような、立派な体格の男性にはなれない。あんなまなざしを向けられる理由なんて、どこにもない。
「どういう……ことなの……?」
混乱しきったわたくしに、レナードがささやきかけてきた。
「ありのままの君の美しさ、みんなにも分かってもらえたね」
「ありの……まま……?」
「ああ。君は、美しいんだ。自覚していないだけで」
「でも……わたくしは……他の令嬢のように、か弱くはないのに……」
「そうだね。他の女性たちが着ているような、ふわふわで甘い砂糖菓子のようなドレスは似合わないかもしれない。でも、今のようにきっちりとした服を着ていると、君の魅力が引き立つんだ」
「わたくしの……魅力? でも、これまでにこの格好で、町を歩いたことだってあるのに、誰もそんなことは……」
それを聞いたレナードが、いたずらっぽく笑う。妖精のような、愛らしくもいたずらっぽい笑みだ。
「気づいていなかった? 町の人たちも、こっそりあんな目で君のことを見ていたよ。あの麗しい青年は誰だろうって、そう顔に書いてあった」
「わたくしのことを、男として見ていた、ですか……それなら、分かるかもしれません……」
納得しかけたそのとき、彼の笑みが変わった。女性には見えない不敵な表情に、思わずどきりとしてしまう。
「ところが、そうとも言い切れない。町の人たちは、男性の服を着ている君を男性だと思っていたかもしれない。でも変装が義務づけられるこの場では、みんな君が女性だって気づいている」
彼の視線が、この場にいる令息たちに向けられた。彼らはぽかんとして、わたくしたちを交互に見ている。驚いてはいるようだけれど、同時にその目には称賛の色がある。
「ほら、いい加減認めてしまおうよ。君は美しい。他の女性たちとは、少し違っているだけで」
訳が分からなくなっているわたくしに、レナードが甘くささやいてくる。そろそろと彼を見ると、彼はにっこりと笑ったまま、小さくうなずきかけてきた。
つられてうなずくと、彼はわたくしの手を取った。
「そうだろう? だから君は、もう顔を隠す必要も逃げる必要もないんだ」
「……はい」
「よし、いい返事だ。せっかくだし、踊ろうか。僕がリードしたほうが、よりややこしくていいかもしれないね」
「もう、レナードったら……」
彼に手を引かれて、大広間の真ん中に進み出ていった。これまでの自分では、まずありえないふるまいに、自然と笑みが浮かぶのを感じた。
ひとしきり踊って、壁際に移動する。開けた窓から吹き込んでくるそよ風で涼みながら、隣のレナードに話しかける。
「あの、レナード」
「うん、メリッサ」
「どうしてわたくしに、ここまでしてくれたのですか?」
彼はずっと、わたくしを気にかけてくれた。いっそ、過剰といってもいいほどに。
わたくしの認識を改めさせるため、わたくしの閉ざされた心を開かせるためだけに、彼はわざわざ舞踏会を開いてくれたのだ。そうして辛抱強く、わたくしを説得してくれた。
彼がそんな行動に出た理由を、知りたくなってしまった。こんなことが気になるなんて、わたくしらしくもない。きっとわたくしはたくさん踊ったせいで、ちょっと浮かれてしまっているのだろう。
「……そうだね。僕も、君に話しておきたいことがあったし、ちょうどいいかな」




