6.価値観とは変わるもので
レナードの雰囲気が、変わった。先ほどまでは朗らかに笑っていたのに、やけに真剣な表情になっている。
「現在、社交界ではたくましい男性がもてはやされている。ちょうど、先日の舞踏会で見かけたジェイムズ殿なんかがそうだね。しかし僕は、見てのとおりまるで逆だ」
「いえ、そんな……」
とっさに否定すると、彼は手を顔のところまで持ってきて、ひらひらと振る。たっぷりのフリルが、しなやかに揺れた。
「はっきり言ってくれていいよ。女装が似合う男性なんて、珍しいって」
「……ええ、まあ」
仕方なく本音を口にすると、ようやく彼も納得してくれたらしい。朗らかに笑いながら、彼は楽しげに言葉を続けた。
「そんなこともあって、女性たちにとって僕は恋愛対象というよりも、親しみを覚える相手みたいなんだ」
「女友達扱いされている……ということですか?」
まさか、そんなことがあるのだろうか。困惑しつつも尋ねると、彼はさらりと答えてきた。
「ああ、そういうことだよ。だからなのか、僕はちょくちょく令嬢たちの愚痴を聞かされていたんだ」
レナードは人当たりもいいし、誠実な人だ。きっと彼は、たくさんの友人に恵まれているのだろう。……こんなわたくしにわざわざ声をかけてくるくらいのお人よしでもあるから、なおのこと。
「同時に、男友達も僕に対してあれこれとぼやいていた。見るからに弱い僕に対しては、彼らも肩ひじ張らずにふるまえるんだろう」
彼の言いたいことも分からなくはないけれど、彼自身はそれでいいのだろうか。そういえば、馬にもなめられていたようだし……。
「だから僕は、男女両方の悩みを知ることができる立場にいた。自分で言うのもなんだけれど、かなり珍しい立ち位置だね」
しかしレナードは、いつものようにゆったりと構えつつ、ちょっぴりおかしそうに笑うだけだった。
「令嬢たちは、弱々しくふるまうことに飽き飽きしていた。というか彼女たち、腹の中では結構過激なことを考えていたよ。たくましいね。令息たちが知ったら、真っ青になるかも」
「……参考までに、どんな内容か聞いても?」
すると彼は、思い切り声をひそめて、わたくしの耳元でささやきかけてきた。
「『猫をかぶって甘ったるい声を出していれば、みんな鼻の下を伸ばしてでれでれしちゃうのよね。男って、頭の中まで筋肉なのかしら。単純ね。ああ、つまんない』って感じ。……これ以上詳しいことは、知らないほうが幸せだと思う」
怖い。確かにそれは、怖い。わたくしは令息ではないけれど、少しぞわっとした。
レナードはわたくしを安心させるように微笑みかけると、いたずらっぽく片目をつぶってみせる。
「そして令息たちも、いつも愛らしくにこにこしているだけの令嬢たちをうっすら怖く感じるとともに、彼女たちの前で強くふるまっていることに疲れを感じていた」
「……令嬢たちの態度が演技だと、感づかれていたんですね……」
「みたいだね。まあそういったわけで『令嬢たるもの、愛らしく、か弱くあるべし』『令息たるもの、強くたくましくあるべし』という考え自体が、若者たちには合わないものになっていたんだよ。誰も、言い出せなかっただけで」
そんなことになっているなんて、気づかなかった。わたくしにはセイラのほかに友人がいないから、気づかなくて当然なのかもしれないけれど。
「この事実を知ってしまってからも、僕は何かを変えようとは思わなかった。今のままでも、僕は特に困りはしなかったから。けれど……そんな折、あの舞踏会で君を見かけた」
軽やかに語っていた彼の声が、また真剣な響きを帯びる。
「壁際で息をひそめ、心細そうに視線をさまよわせている君の姿は……ひどく僕の目を引きつけた。もっと話したいと思ったのだけれど、逃げられてしまって」
「……ごめんなさい、あのときは気が動転してしまっていて」
「いいや、謝ることはないよ。僕は、感動していたんだから。ドレス姿で、一応は男性である僕をまくほど速く走れるなんて、すごいなって思ったよ」
……あの状況でそんなことを考えるなんて、やっぱり彼はちょっと変わっているのかも。
「それからずっと君のことが、頭から離れなかった。けれど次の日、ぼんやりとしながら出かけた森で、また君と会えた」
わたくしのとまどいを置き去りに、彼は語り続けている。そのまなざしが、少しずつ熱を帯びてくる。
「こんなに早く再会できるなんて、これはもう運命だと思ったよ。それに、男のなりをしていた君は、本当に美しかった。足を痛めていることも忘れて、つい見とれてしまうくらいに。
くすぐったくなるような言葉をうっとりとつぶやいた彼が、ふと流し目をよこしてくる。
「……実は、あのときにはもう、君があの令嬢だと気づいていたんだ。首元のほくろを見るより、ずっと前から、ね」
一緒に馬に乗ろうと提案したとき、彼は珍しくもためらうそぶりを見せていた。その理由が、ようやく分かったのはいいけれど……どうしよう、急に恥ずかしくなってきた。
「そうして君の悩みを知って、思ったんだ。僕なら、この人の力になれる。いや、僕にしかできない、って」
レナードはわたくしの両手をそっとにぎり、真正面からわたくしを見つめてくる。
「この美しい人が胸を張って生きられる、そんな場所を作るんだって、そう決めた」
彼の声は底抜けに優しく、そして力強かった。
「メリッサ、僕は君の幸せのためなら、なんだってするよ。妙な舞踏会を開くことも、女装することも。それくらい、どうってことない」
「レナード……」
ひたむきな思いが、伝わってくる。彼から目が離せない。
頬が熱くなるのを感じながら、ただじっと彼を見つめ続けていた。彼もまた、甘いまなざしでわたくしを見つめていた。
どれくらいそうしていただろう、彼がほわんと笑った。
「だからさっきの答えは『愛の力』かな」
「え、えっ?」
「あ、冗談を言われたかもって顔をしてるね。あいにくと、本気だよ」
「い、いえ、その」
「そういうことだから、どうかこれからも僕を頼って」
しどろもどろになっているわたくしの手にそっと口づけて、彼は上目遣いにわたくしを見てくる。そろそろと笑顔を返すと、彼はまた笑顔になった。とっても嬉しそうな、どきりとする笑みだった。
レナードが開いた風変わりな舞踏会から、一か月ほど経ったある日。
わたくしたちは、また連れ立って舞踏会に顔を出していた。ただしわたくしはドレス姿で、レナードは令息らしい格好だ。
他の参加者とのあいさつは全てレナードに押し付けて、わたくしはひたすら彼の陰に隠れる。彼のおかげで人前に出られるようにはなっていたけれど、まだ面と向かって話すのは怖い。
レナードの腕にすがるようにして、それでも精いっぱい胸を張って会場を歩く。彼と一緒なら、きっと大丈夫。そう自分に言い聞かせていた。
「……ねえねえ、あの方って、こないだ男装してた方よね」
すると、そんな声が耳に飛び込んできた。わたくしのことを噂している。びくりと肩を震わせたわたくしに、レナードが「大丈夫だから」とささやきかけてきた。
彼の声に励まされるようにして、そろそろと周囲をうかがう。声の主は、少し離れたところでお喋りをしていた令嬢たちのうちのひとりだった。
「あの姿、とっても素敵だったわ……また、見せてもらえないかしら」
彼女の言葉を受けて、別の令嬢がこくこくとうなずいている。さらに別の令嬢が、苦笑しながら口を挟んでいた。
「そうよね。ほのかな甘さと凛々しさを兼ね備えていて、もう非の打ちどころがないって感じ!」
「女性だって分かってたのに、どきどきしちゃったのよね……」
前の舞踏会のとき、わたくしは美しいのだと、彼はそう連呼していた。けれどわたくしは、まだちょっと半信半疑だった。
けれど彼女たちは、あの日のわたくしの姿を褒めちぎっている。彼が主張していたように、わたくしは……もう、醜い令嬢ではないのだろうか。
いやしかし、こうして女性のなりをしていたら、また話は別かもしれない。
「私もよ。けれど、あの方が今まとっているドレスもいいと思わない?」
「ええ、とってもよく似合っているわよね」
黄色い声を上げて語り合っていた令嬢たちが、わたくしのドレスをじっと見つめていた。憧れと称賛のまざった、熱いまなざしだ。
レナードの助言を受けて、わたくしは新たにドレスを仕立てさせていた。飾りを減らし、肌の露出も抑えた、甘さ控えめのものだ。乗馬服のジャケットに、ふくらみの少ないスカートを合わせたようなもの、というのが一番近いかもしれない。
このドレス姿を初めて彼に見せたとき、彼は「思ってた以上によく似合うよ! ああ、素敵だ……」と頬を染めて大騒ぎしていた。大げさだなと思っていたのだけれど、令嬢たちの反応を見るに、そうでもなかったのかもしれない。
「それにあのドレス、胸元が空きすぎてないのがいいのよね。今はやりのドレスって、胸をじろじろ見られて落ち着かないっていうか……」
「そうそう。意中の殿方に迫るときはいいんだけど、お呼びでない方に見られると、どうにも気持ちが悪いのよね」
令嬢たちの話が、少しおかしな感じになってきた。身もふたもない。なるほど、レナードもこんな愚痴を聞かされていたのだろう。
「それにあの方、背筋がぴんとして、動きもきびきびとしていて……なんなら、男性より強そうよね。うらやましいかも……」
「あ、確かに!」
しかしさっきから、どんどん妙なほうに話が転がっているような……?
「あの方くらい強かったら、うっかり痴話喧嘩なんかになっても、勝てそうだもの」
「分かる! ひとにらみすれば、男性も黙らせられそうだし」
「女を軽く見てる殿方、多いのよね。いざとなったら力ずくでどうにかすればいいって、顔に書いてあるの。あれってほんと、腹が立つのよねえ」
わたくしがぽかんとしているのに気づいているのかいないのか、彼女たちは楽しげに笑いさざめいている。
「その点あの方は、そういう心配はなさそうで、いいなあ。うらやましい」
「レナード様、優しいしね」
褒められているのは分かる。でもちょっと、まだ頭がついていけていない。助けを求めるようにレナードを見たら、彼は微笑んだまま、無言で別のほうをそっと指し示した。
そちらには、令息たちが数人集まっていた。こちらも顔を寄せ合って、ひそひそと話している。彼らの視線は、わたくしたちに向けられていた。
「まるで、女王のような貫禄だ……」
「あの強いまなざしで、射抜かれてみたい……」
にわかには信じられないことに、彼らはそんなことをささやいていた。しかも、やけにうっとりとした目つきで。
屈強な肉体の男性たちにはまるで似合わない言葉の数々に、どんな顔をしていればいいのか分からない。
レナードが言っていたとおり、彼らもまた弱々しい令嬢たちに恐れをなしていたようだ。だから、わたくしのような女性が珍しいのだろう。しかし、あの物言いと態度はちょっと……。
ついこの間まで、自分にこんな視線が、言葉が向けられるなんて思いもしなかった。困惑しきったわたくしの耳に、レナードがとても楽しそうにささやきかけてくる。
「みんな、君のことを褒めているね。僕としても、鼻が高いよ」
それは全部、あなたのおかげです。とっさに、そうこたえようとした。
けれどその言葉は、ふさわしくないように思えた。彼は、自分を恥じてちぢこまっていたわたくしのために、あれこれと手を尽くしてくれたのだ。わたくしが、自分の魅力を認めて、前を向けるように。
「……ありがとう」
だから微笑んで、それだけを口にした。とても、幸せな気分だった。
◇
メリッサとレナードが甘く見つめ合っていたのとほぼ同時に、舞踏会の会場の壁際でセイラが頬をふくらませていた。
「どうした、セイラ。そんなにむくれていたら、君の美貌が台無しだろう。いい加減、機嫌を直すんだ」
その隣では、困り顔のジェイムズがたたずんでいる。ふたりの周囲に、他に人はいなかった。
「だあってえ……みんな、わたしのことをちやほやしてくれなくなっちゃって……」
「私がいる。それでは不満か?」
「……いえ」
否定したセイラの顔には「不満です」と大きく書いてあったが、どちらかというと鈍いところのあるジェイムズはそれに気づくことはなかった。
セイラはちっと小さく舌打ちをして、ジェイムズから顔をそらす。彼に聞こえないように、ぼそりとつぶやいた。
「メリッサがいい引き立て役になると思って、これまで親切にしてたのに……あてが外れちゃったわ。まさか、こんなことになるなんて」
心底いまいましそうに吐き捨てた彼女の顔には、普段の甘さや愛らしさは、かけらほども残ってはいなかった。
彼女は顔をゆがめたまま、会場の真ん中にいるメリッサとレナードをにらみつけている。その視線に気づいたのだろう、レナードがかすかに目を見張り、そっと肩をすくめた。
「どうしました、レナード?」
ちょうどセイラたちに背を向けていたメリッサが、不思議そうに小首をかしげている。彼女が彼の視線を追いかけるより先に、彼はにっこりと笑ってみせた。
「いいや、なんでも。……こうして君の笑顔をすぐ近くで見ていられる喜びをかみしめていただけだから」
「そう、ですか。その……わたくしも、幸せです」
メリッサが恥じらいながら言葉を返す。自分の醜さを嘆き、引きこもっていたころの暗い影はすっかり薄れ、彼女は年頃の乙女らしい笑みを浮かべている。
そのままふたりは、手を取り合って見つめ合っていた。周囲の人々の羨望と称賛のまなざしを集めているふたりは、間違いなくこの場の主役だった。
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