第106話:北方の伯爵領
魔導馬車に揺られて半日ほどが経った。
窓の外に広がっていた森や畑も、いつの間にか建物の並ぶ街並みに変わっている。
石造りの家々の間を抜けると、遠くに大きな城が見えた。
……あれがヴァルグレン伯爵の城だろうか。
街を見下ろすように建った城には、高い塔がいくつも並んでいた。
「……大きいですね」
リリアも窓の外を覗き込んでいる。
「あぁ。遠くからでも目立つな」
やがて魔導馬車が速度を落とし、街の乗り場へと停まった。
こうして俺たち八人は、ヴァルグレン伯爵領へと到着した。
時刻はすでに夕方近くになっている。
荷物を持って馬車を降りると、ダグラスが大きく背伸びをした。
「……やっと着いたか。ずっと座ってると、身体が固まっちまうな」
「まずはギルドへ向かいましょう。依頼の詳しい内容も伺わなければなりませんから」
ルシアの言葉に頷き、俺たちは通りを歩き始めた。
ギルドに到着すると、ルシアが受付の職員へ声をかける。
「ハルゼンのギルドから派遣されました、第27勇者隊のルシアです。こちらでAAAランクのモンスターが出現したと伺ったのですが」
「お待ちしておりました、ルシア様」
職員はそう答えると、受付の奥から一通の書状を取り出した。
「こちらを、伯爵様からお預かりしております」
「……伯爵様から、ですか?」
「はい。勇者様方が到着されましたら、お渡しするようにと」
ルシアは書状を受け取り、その場で目を通した。
俺たちは少し後ろで待っていたが、やがてルシアが小さく頷く。
「……なるほど。まずはお城へ伺う必要があるようですね」
「城?」
俺が尋ねると、ルシアは書状を畳みながら答えた。
「ええ。伯爵様が、直接お話をされたいそうです」
「なるほどなぁ……」
どうやら、いきなりモンスター討伐というわけにはいかないらしい。
職員に城への道を教えてもらい、俺たちはギルドを出た。
遠くから見えていた城は、近づくとますます大きかった。
門の両脇には衛兵が立ち、その向こうに広い中庭が見える。
ルシアが書状を見せると、衛兵は宛名と中身を確かめ、すぐに俺たちを城の中へ通してくれた。
「伯爵様からお話は伺っております。こちらへどうぞ」
案内されたのは、大きな広間だった。
磨かれた床に、天井から吊り下げられた明かりが映っている。
壁には大きな絵がいくつも掛けられ、廊下の先にも部屋が続いていた。
「こちらでしばらくお待ちください」
そう言い残し、衛兵は奥へと消えていく。
……しかし、さすが伯爵の城だな。
俺たち八人が荷物を持って並んでも、まだ随分と余裕がある。
「……何人住んでるんだ、こんなところに」
俺が小声で呟くと、ダグラスが少し肩をすくめた。
「家族だけじゃねぇからな。使用人も大勢いるだろうよ」
「それにしたって、広いな……」
そうして広間を見渡していると、奥の廊下から初老の男性が歩いてきた。
落ち着いた色の法衣を身にまとい、胸元には銀の飾りが下がっている。
その姿を見たルシアが、驚いたように目を丸くした。
「……あの。もしかして、オルディブ大司教様でいらっしゃいますか?」
声をかけられた男性は足を止め、ルシアのほうへ顔を向けた。
そして、こちらも驚いたような表情を浮かべる。
「……キミは確か、うちの機関所属の勇者……ルシアさんだったかね?」
「はい。ルシアでございます」
ルシアが姿勢を正すと、ユリウスとエステルも頭を下げた。
ミナも慌ててそれに続いている。
……そんなに偉い人なのか。
俺も、とりあえず頭を下げておいた。
オルディブはルシアを見て、目を細めた。
「キミの活躍はかねがね聞いているよ。魔剣士の適性がないにもかかわらず、持ち前の魔力で数々の脅威を取り除いていると。まさに、我が教会機関の英雄だね」
ルシアは深々と頭を下げた。
「オルディブ大司教様にそのようにおっしゃっていただけるなんて、名誉の極みでございます」
いつもの軽口を交える様子とは、まるで違う。
ルシアは頭を上げてからも、どこか嬉しそうだった。
オルディブは、その後ろにいるユリウスとエステル、それからダグラスへ視線を移した。
「そちらが、ルシアさんのお付きの方々と、雇い入れている戦士の方かな?」
「ええ。とても頼りになる方々です」
ルシアが横目に俺たちを見ながら微笑む。
「それは、いい仲間に恵まれましたね。……それで、そちらの方々は?」
今度はオルディブの視線が、リリアのところで止まった。
リリアは一歩前へ出て、頭を下げる。
「ご挨拶が遅れました。私は第38勇者隊の勇者、リリアと申します。こちらが魔導士のセシルと、聖職者のミナです」
紹介された二人も、頭を下げた。
「第38隊の子たちが、よくぞここまで……。では、後ろの青年は?」
オルディブが、俺をじっと見つめてきた。
「俺……いえ、私はカイルと申します。勇者様方が私の村に寄られた際、旅に誘っていただきまして、ここまで同行しております」
「……ふむ。村人、ということかね?」
「はい。ただの力自慢の村人です」
俺は一度、言葉を切った。
村の名前を言いかけて、口を止める。
「ベルクスより北西に進んだところに、アロム村という、地図にも載っていない小さな村がありまして。そこの出身です」
「そのようなところに村があったのか……」
「はい。村人もごく少数しかおらず、特に何もない村でございます」
リリアが、不思議そうにこちらを見た。
俺が突然、嘘を言い出したことに気づいたんだろう。
だが、俺は気づかないふりをして、オルディブへ向き直ったままでいた。
今頃、ラウム村にはノーラと名を変えたモリアが、そろそろ着く頃だ。
教会機関や王都の連中に、村の場所を知られるわけにはいかねぇ……。
オルディブは少し考えるように俺を見ていたが、やがて小さく頷いた。
「そうか。遠くから来たのだね」
「はい」
それ以上、村について聞かれることはなかった。
そんな話をしていると、広間の奥から声が聞こえてきた。
「勇者殿、お待たせしました」
顔を向けると、身なりのいい男が歩いてくる。
襟や袖には細かな刺繍が入り、その少し後ろを使用人がついてきていた。
「私がこの城を預かる、ヴァルグレンだ。この度は緊急要請を受けていただき、感謝する」
俺も含め、全員が深々と頭を下げた。
ヴァルグレンは俺たちが頭を上げるのを待ち、再び口を開く。
「さて、こんなところで話す内容でもあるまい。応接間に来たまえ」
そう言うと、来た道を戻っていった。
オルディブがルシアへ顔を向ける。
「では、私はこれで失礼するよ。ルシアさん、勇者の仕事は大変でしょうが、頑張ってください」
「はい。恐れ入ります」
ルシアは再び頭を下げた。
俺たちもオルディブに一礼し、ヴァルグレンのあとについていく。
応接室に案内されると、ヴァルグレンは部屋の中央に置かれた革張りの椅子へ腰を下ろした。
ルシアが改めて名乗り、俺たちのことも簡単に紹介する。
俺も、村人として同行していることだけを伝えた。
「キミたちも座りたまえ」
そう促され、俺たちは向かいと左右に置かれた革張りの長椅子へ腰を下ろした。
大槌を脇へ立てかけてから座ると、身体が少し沈む。
……ずいぶん柔らかい椅子だな。
応接室に控えていた執事が、テーブルの上へ一枚の地図を広げた。
ヴァルグレンは、その一点に指を置く。
「ここが我々のいるヴァルグレン伯爵領だ。ここから北東へ半日ほど向かったところに村があったのだがね……」
その指が、地図の上を北東へ動いた。
「先日、村人全員がモンスターに食い殺されているのが発見された」
「……全員、ですか」
ミナが小さく声を漏らした。
ヴァルグレンは重い顔で頷く。
俺も地図へ身を寄せた。
ここから半日。
そんなに遠くない場所の話だ。
ルシアは少し考え込んだあと、口を開いた。
「何か手掛かりは残されていたのでしょうか?」
「村には、巨大な犬型モンスターの足跡が残されていた。それも、一頭分だけだ」
「……大型のウルフ種でしょうか?」
「いや。遺体には、二つの顎で噛みつかれたような傷が残されていた。双頭の魔犬、オルトロスの可能性が高い」
「……オルトロスですか」
「うむ。AAAランクに指定される、極めて危険なモンスターだ」
その話を聞いたダグラスが、考え込むように腕を組んだ。
「資料で読んだことはあるが、オルトロスか……めんどくせぇ相手だな」
「……頭が二つある犬、ってことか?」
「あぁ。片方を避けても、もう片方が来る。真正面から相手するのは、骨が折れるだろうよ」
リリアも深く頷いていた。
「爪の攻撃もそうですが、二つの頭から噛みつかれたら……一撃で終わりですね」
「……そりゃ、そうだろうな」
片方の頭だけ見ているわけにはいかないのか。
どれほど大きいのかは分からないが、村を一つ襲ったモンスターだ。
簡単な相手じゃないだろう。
セシルは目を閉じ、少し考えてから天井を見上げた。
「……カイルとダグラスさんが抑え込んでから、ファイアランス……いや、ライトニング?」
ダグラスが呆れたようにセシルを見る。
「……おい。なんで当然のように、俺らが前を抑えることになってんだ」
セシルは、ふふんと鼻を鳴らした。
「男なんだから当然っ!」
「……誰の影響だ……って、お前しかいねぇか」
ダグラスが俺のほうをじっと睨んでくる。
「……んなわけない……と思いたい」
「なんだ、その自信なさげな返事は……」
そういや、俺も普段から似たようなことを言ってた気がする。
だからって、こんな場面で使うなよ……。
俺たちのやり取りを聞いていたヴァルグレンが、驚いたような顔をした。
「……カイルくん。キミは荷物持ちではなかったのかね?その大槌も、そちらの戦士の方のものではないのかね?」
伯爵の視線が、脇に立てかけた大槌へ向く。
俺は苦笑いを浮かべた。
「……まぁ、色々出来る村人です。はい……」
「村人が……信じられんな……」
ルシアが少し笑ったが、すぐに地図へ目を戻した。
「作戦を決める前に、まずは相手の状態を確かめましょう。明日、現地を確認しに参ります。今から向かったのでは、到着する頃には暗くなってしまいますから」
「そうだな。それがよいだろう」
ヴァルグレンが頷く。
だが、ルシアは何か引っかかるように、地図を見つめていた。
「……しかし、オルトロスですか。元がAAAランクで、人里を襲ったのであれば……」
ルシアが言葉を濁すと、ユリウスとエステルも深刻そうな顔をした。
「最悪の事態を想定しておく必要がありそうですね」
ユリウスが静かに言う。
エステルも小さく頷いた。
「すでに変異を終えて、Sランクに昇華していてもおかしくありません」
「……変異、ですか?」
ヴァルグレンが眉を寄せる。
「あくまで可能性の話です。ただ、村を一つ襲って、それだけのものを食べたのであれば……十分に考えられます」
ルシアが答えた。
……Sランクか。
以前戦ったマンティコアは、まだ変異しかけていた状態だった。
それで、あの強さだったんだ。
もし完全に変異を終えていたら、どれほど強くなっていたんだろうか……。
果たして、今度も全員無事に帰ってこられるんだろうか。
そんな不安が、ふと頭をよぎった。
リリアのほうへ目を向けると、彼女は自分の左腕をじっと見つめていた。
右手で左腕に触れ、確かめるように指を動かす。
あの時、折れた腕を魔力で無理やり動かしていた姿が頭に浮かんだ。
セシルも、今は何も言わない。
俺は一度、大槌へ目を向けてから、地図へ視線を戻した。
話が一区切りつくと、ヴァルグレン伯爵がパンパンと手を叩いた。
「とりあえず、夕飯は城で食べていってくれ。最高の食材でもてなそう」
控えていた執事が一礼する。
ルシアも、ヴァルグレンへ頭を下げた。
「お気遣いありがとうございます、伯爵」
そうして俺たちは席を立ち、応接室をあとにした。
使用人に案内され、しばらく別室で待つことになる。
窓の外は、もう随分と暗くなっていた。
部屋の中では使用人が明かりを灯し、廊下の向こうからは食器を運ぶ音が聞こえてくる。
テーブルには水と杯も用意されていたが、腰を下ろしても、頭の中にはさっきの話が残っていた。
村人全員が、一頭のモンスターに食い殺された。
明日は、その場所へ行くのか。
「……カイルさん」
隣から声をかけられ、俺は顔を向けた。
ミナが、俺の前に置かれた杯を見ている。
「お水、飲まれますか?」
「……あぁ。ありがとな」
差し出された杯を受け取り、一口飲んだ。
考え込んだまま、手もつけてなかったらしい。
それから少しして、夕食の準備が整ったとのことで、俺たちは食堂へ案内された。
食堂には長いテーブルが置かれ、料理を待つ皿や杯が綺麗に並んでいた。
すでにヴァルグレン伯爵と、見覚えのない若い男が席についている。
年の頃は二十代半ばといったところか。
身なりもよく、どことなくヴァルグレン伯爵に似ていた。
「おお、来たか。皆、席についてくれたまえ」
俺たちは使用人に椅子を示され、それぞれ腰を下ろした。
ヴァルグレンが、隣に座っていた青年を紹介する。
「紹介しよう。私の息子のディートだ。城では、来賓の対応などを任せている」
ディートと紹介された青年は席を立ち、俺たちへ軽く頭を下げた。
「初めまして。ディートと申します。この度は父の要請に応じていただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
ルシアが代表して挨拶を返すと、ディートはにこやかに微笑んだ。
やがて使用人たちが料理を運んでくる。
大皿には焼きたての肉が盛られ、その横には野菜やパン、他にも様々な料理が並べられていった。
肉を切り分けるたびに湯気が上がり、焼けた脂の匂いが漂ってくる。
……さすが伯爵家だな。随分と豪華な夕食だ。
隣を見ると、セシルも目の前の肉をじっと見つめていた。
「……おいしそう」
「ちゃんとこっちにも来るから、待ってろ」
「待ってる」
返事をしたあとも、視線は肉から離れない。
お前、本当にぶれないな。
そんなことを思っていると、ディートがリリアへ声をかけた。
「ところで、そちらのお嬢さんも勇者なのかな?」
リリアは顔を上げ、少し姿勢を正した。
「あ、はい。第38勇者隊のリリアと申します」
「第38隊……それは驚いたな。こんなに愛らしい女性勇者が、この北の地まで来られるなんて」
ディートは感心したようにリリアを見つめた。
「い、いえ……そんな。私たちは、勇者としての任務を果たしているだけですから」
リリアは少し照れたように答え、隣のセシルとミナへ目を向けた。
「それに、ここまで来られたのは、皆がいてくれたからです」
「ははは。謙虚なんだね。素晴らしいことだ」
ディートはそう言うと、満足そうに微笑んだ。
リリアも小さく頭を下げ、運ばれてきた皿へ視線を落とす。
……随分とリリアを褒める人だな。
そんなことを考えながら、俺は目の前に並べられた料理へと視線を戻した。




