第1話:農民ですが、黒猪くらいなら普通に倒せます。
俺は勇者ではない。
聖剣に選ばれたこともなければ、王都の騎士学校に通ったこともない。魔法の才能もないし、貴族の血筋でもない。
七歳の時に前世の記憶を思い出したものの、だからといって神様から特別な力を授かったわけでもなかった。
俺の名前はカイル。
ラウム村に生まれた、ただの農民である。
だが、この農民としての暮らしを俺は割と気に入っている。畑を耕し、作物を収穫し、同じ村人たちと物々交換をする。そんな今の日常がいいのだ。
「さて、と」
朝食を済ませた俺は、家を出て畑に向かうことにした。
小屋に置いてあるスキを手に取り、今日は東の畑を耕そうと歩き出す。その矢先だった。
「きゃぁぁぁぁっ!!」
甲高い女の悲鳴が聞こえた。
声がした方へ視線をやると、そこは鬱蒼と茂る雑木林だった。
恐らく、この時期によく来る行商人の一団が、猪と鉢合わせでもしたのだろう。だが、行商人には必ず護衛がついている。猪の一頭や二頭に後れを取るはずもない。
そう頭ではわかっていたが、妙な胸騒ぎがした俺は、
「……仕方ない。ちょっと見に行くか」
自然と悲鳴の上がった先へ駆け出していた。
少し走った先にいたのは、案の定、一頭の猪と――三人の少女たちだった。
年齢は十七歳前後といったところか。行商人の娘かなにかだろう。助けたら謝礼くらいは貰えるだろうか……?
そんなことを考えていると、蒼い髪をした少女が叫んだ。
「勇者様っ! ここは一旦、盾とお成りくださいっ!」
勇者と呼ばれた金髪の少女は、蒼髪の少女に怒鳴り返す。
「無理に決まってんでしょ!!」
その奥では、教会のローブに身を包んだ赤髪の少女がうずくまっていた。
「怖い怖い怖い……死にたくない死にたくないっ!」
そう言いながら、肩を抱いてガタガタと震えている。
……なんのロールプレイだろうか。あんなのがこの世界の勇者とでも言いたいのか。ただの猪だぞ、あれ……。
俺は内心の疑念を振り払い、少女たちに向かって大声を出した。
「ちょっと危ないので、そこから動かないでねーっ!!」
声に気付き、三人の視線が俺に集中した。
その瞬間、俺は手に持っていたスキを、全力で猪目掛けて投げつけた。
――プギャッッ!!
投げたスキは見事に猪の頭へ的中し、そのまま猪は横転して絶命した。
「怪我はないかい? お嬢ちゃん達。こんな山奥に三人だけで来たら危ないぞ。親御さんは?」
そう声を掛けると、蒼髪の少女が拍子抜けしたような顔を見せた。
「お……嬢ちゃん……? 親御…さん?」
……やばい。前世の記憶が蘇ってから十年経ったせいか、心は中年、身体は青年みたいな感覚になっていて、同世代の子たちを思わず子ども扱いしてしまった。
どう言い直そうかと考えていると、金髪の少女がこちらをじっと見つめてくる。
「……すごい……! ブラックボアを、たった一撃でっ!!」
「……ブラック……ボア? なにそれ?」
急に聞き慣れない単語が出てきて、思わず聞き返してしまった。
「知らないんですか!? Bランク以上のモンスターで、普通は冒険者パーティが囲んで倒すのが定石なくらいの強さを誇るんですよ!!」
……Bランク。なんだろう、肉のランクなのかな。でも囲んで倒すって、あの猪ってそんなに強いのか? 勇者だの聖剣だのが存在する、この世界で?
「……えーっと、Bランクってのは肉のランクのことかな?まぁ、そいつ、下処理すれば結構うまいけど」
「……え? ブラックボアって食べられるんですか……? モンスターですよ……? 大丈夫なんですか? 毒とかないんですか?」
俺の的外れな疑問に、蒼髪の子が食いついてきた。
……まぁ、都会っ子は猪の肉なんて食べないよなぁ。
「ただの猪に毒なんてないよ。ちょっと下ごしらえはいるけど、美味しいお肉だよ」
「……美味しい、お肉……」
蒼髪の子がお腹をさすり出した。どうやら空腹らしい。
「……助けていただいてありがとうございます……えっと、あのお名前を頂戴しても?」
先程まで隅で縮こまっていた赤髪の子が、今度はきちんとした態度で尋ねてきた。
「俺はカイル。このラウム村で農民やってんだ。よろしくな……えーっと……勇者様御一行様?」
きっとロールプレイなのだろうが、万が一ということもある。不敬罪で捕まるのはご免被りたいので、念のためからかうのはやめておいた。
「農民の方が、先程のブラックボアをたった一撃で!? ……すごい……うちの勇者様なんて、剣を跳ね返されていたのに……」
「……面目ありませんね……」
赤髪の子にジト目で見られ、金髪の子は申し訳なさそうに縮こまった。
そんな中、先程の悲鳴を聞きつけたのか、他の村人も集まってきていた。
スキが頭に突き刺さったブラックボアを見て、顔見知りの農民・ザックが声を上げる。
「おう! カイル!! お前、今年は大収穫じゃねぇか!! 今年で何頭目だっ!!」
感心したような顔で俺のほうを見てくる。
「今年で四頭目……だったかなぁ? いやぁ、今年は多いねぇ。山が不作なんかなぁ」
うろ覚えの記憶を探りながら俺は答えた。
正直、前世ならともかく、今の俺だと猪くらい投擲一発で終わるから、いちいち数を数えていないのだ。
「今年だけで四頭もっ!?」
金髪の子が、何やら尊敬の眼差しを俺に向けてくる。やめろよ、照れるだろ。
「残念、正しくは五頭だっ!! お前、適当に始末してっから全然覚えてないだろぉ~」
ザックが俺の記憶違いを笑い飛ばした。
「……仕方ないだろ、毎回一発で終わるから、いちいち数えてらんないのよ」
「……五頭……」
金髪の子が天を仰いでいる。……まぁ、キミの細腕じゃ無理もない。別に恥ずかしがることじゃないさ、うん。
「ところで、この子らはカイルの知り合いか?」
ザックが自称勇者たちを見て言った。
「いんや。勇者様御一行様が猪と戦ってたから、横やりを入れただけだよ」
「おんや、そうだったか。悪いなぁ、うちのカイルが邪魔しちまって」
ザックはさっきの悲鳴のことには一切触れず、勇者たちに頭を下げた。お前、ほんと気が利くやつだな……。
「……いえ……助かりました……」
「うちの勇者様は、まだまだ発展途上でございますからねぇ……」
「一緒に死ぬかと思ってました」
散々な言われようである。
この世界の勇者ってやつは、あんまり強くないのか……?
いや、ゲームならこれから強くなっていくものだし、きっと今は旅の始まりなのだろう。
「とりあえず、こいつ解体しちまおうぜ、ザック。悪いが荷車持ってきてくれよ」
俺は仕留めた猪の肉が悪くならないうちに解体しようと持ちかけたが、
「そっちはこっちでやっておくから、お前さんはその勇者様御一行様の相手をしてやんなよ」
と断られてしまった。
……相手? 何の相手をしろってんだ?
そう思いながら彼女たちを見回す。
泥で汚れた姿と、先程から腹を空かせたような顔でこちらを見つめてくる蒼髪の少女を見て、俺は察した。
「……そだな……んでは、勇者様。良かったら俺の家に来てくれ。狭いが三人くらいなら入れるし、飯と風呂くらいは出せるよ」
俺はそう言いながら、台所に残っている食料を頭の中で計算した。
「いいんですか!?」
蒼髪の少女が目を輝かせてこちらを見る。一方、金髪の子と赤髪の子は遠慮がちな視線を向けてきた。
「……まぁ、子どもが遠慮すんなって! 別に取って食ったりしねぇから」
俺はニヤッと笑いかけた。
「こ、子ども扱いしないでください!」
金髪の子が照れたように言い返してくる。
「……では、ご厚意に甘えさせていただきましょう……」
赤髪の子は素直に受け入れてくれたようだ。
俺はこうして、自称・勇者様御一行を自分の家へと招き入れるのだった。




