08 迎撃
「よし、到着だ。ギャムレイとシャントゥは、表に出な」
やがて四半刻ばかりも過ぎると荷車が動きを止めて、御者台に通じる小窓からダルドロの声が聞こえてきた。
ギャムレイは最後にピノの寝顔を右目に焼きつけてから、身を起こす。
「じゃ、行ってくるわ。ノッド、ラミカ、ピノをよろしくな」
「ああ。そっちもしくじるんじゃないよ」
ノッドは皺くちゃの老婆であるが、その双眸には子を守る獣のごとき眼光が爛々と燃えている。ギャムレイがそれを頼もしく思いながら身をひるがえそうとすると、シャントゥがのんびり声をあげた。
「お前はここで、ピノを見守ってもらえるかの?」
シャントゥが語りかけている相手は、黒猿の子である。
黒猿の子はシャントゥの笑顔とピノの寝顔を見比べてから、「きい」と甲高い声をあげた。
「うむ。おぬしも、よき子に育ったの」
シャントゥが頭を撫でると、黒猿の子は心地よさそうに目を細める。
そうしてシャントゥも身を起こすと、ラミカが震える声をあげた。
「二人とも……本当にごめんなさい……」
「しつけえな。俺たちは、一蓮托生だろうがよ?」
「ほほ。わしは一番の新入りだが、せいぜい力を尽くすとしよう」
シャントゥは柔和な笑みを残して、荷台を出ていく。
ギャムレイは置き物のように動かないライラノスの肩をぽんと叩いてから、それに続いた。
表には、残る座員たちが立ちはだかっている。
座長のダルドロ、大男のペテル、青ずくめのトゥーイだ。これにギャムレイとシャントゥを加えた五名が、《ダルドロの一座》の戦力であった。
ダルドロとペテルは手斧をひっさげており、トゥーイは曲芸で使う長いグリギの棒を携えている。それに対して、ギャムレイとシャントゥは手ぶらだ。そんな両名に、ダルドロは不敵な笑いを含んだ声を投げかけてきた。
「ギャムレイ。でかい仕事を片付けたばかりだが、細工は十分か?」
「ああ。舞台と荒事じゃ、使う細工も違うんでね。これまで荒事に出くわすことはなかったから、たんまりさ」
「そうかそうか。シャントゥ、獣たちはどうだ?」
「うむ。狼も大鷲もすぐそばに控えておる。こちらに呼び寄せるべきかの?」
「いや。いきなり姿を見せたほうが、相手を怯ませることができるだろうさ。それじゃあ、細工は上々だな」
ダルドロは手斧を肩に担ぎながら、周囲を見回した。
ここは雑木林の内に広がる空き地であり、足もとは草むらだ。三台の荷車はその中央に集められており、すでに六頭のトトスたちは荷車の壁に守られていた。
「厄介なのは、弓矢だからな。俺たちも、荷台の陰に身をひそめるぞ」
ダルドロの号令で、ギャムレイたちも荷車の陰へと移動する。
トゥーイは勇ましい形相、ペテルは悲壮な覚悟の面持ちであるが、ダルドロとシャントゥはいつも通りだ。いっぽうギャムレイも、取り立てて心は乱していなかった。
(きっと俺は前世でも、無法者を相手取ったことがあるんだろうな。我ながら、心強いこったぜ)
そんな思いを胸に、ギャムレイは仲間たちに呼びかけた。
「最初に言っておくけど、俺の奇術に人を殺める力はねえ。ただ、そうそう消えねえ炎を相手の顔面に仕掛けることはできる。そうすりゃ刀を振るうこともできねえだろうから、あとの始末は座長たちに任せるよ」
「おう。俺だって、気安く人を殺めてえとは思わねえがな」
手斧の柄をしごきながら、ダルドロはペテルを振り仰いだ。
「ペテル、お前さんもだ。とりわけ気の小せえお前さんは、人を殺めるなんて考えただけで手が出なくなっちまうだろう。だから逆に、不殺の誓いでも立てるこったな」
「ふ、不殺の誓い?」
「ああ。その手斧も、刃のついてないほうを振るうんだ。で、頭じゃなく腕や肩や背中を狙え。そうすりゃあ、相手を殺さずに大人しくさせることができるからよ。それなら、ちっとは気楽だろ?」
「は、はい……実はさっきから、ずっと震えが止まらないんです」
そう言って、ペテルは無理やりのように笑みをたたえた。
「で、でも、相手を殺めずにすむんなら……臆病な俺でも、ピノたちのために頑張れるかもしれません」
「おう。なんだったら、手斧を使わずに蹴り倒してやれ。それだけで、相手は何日か動けなくなるだろうさ」
ギャムレイが見たところ、ペテルは蹴るだけで相手を殺めかねないほどの怪力を有している。しかしダルドロはすべてを見越した上で、とにかくペテルの心を安らがせようとしているのだろう。それはすなわち、ペテル自身を守るための手管でもあるはずであった。
(やっぱりあんたは、立派な座長だよ。あんたがいりゃあ、俺たちは大丈夫だ)
ギャムレイがそんな風に考えたとき、天空から空気を引き裂くような甲高い音色が響きわたる。おそらくは、大鷲の鳴き声だ。シャントゥはひとつうなずいてから、ダルドロのほうを見た。
「敵方が追いついてきたようだの」
「そうかい。まずは、お手並み拝見だな」
五名の座員は荷台の陰に身をひそめつつ、その瞬間を待つ。
すると――鋭い音色に、鈍い音色が続いた。
そして、ギャムレイの鼻に馴染み深い香りが忍び込んでくる。
「座長、火矢だ。たぶん、荷車に火矢を仕掛けられたぞ」
「おっと、そいつは放っておけねえな。火の扱いは、お前さんに任せる。トゥーイ、援護してやれ」
「おうよ」と応じるなり、トゥーイは荷車の陰から躍り出る。
たちまち、左右から火矢が射かけられたが――それはトゥーイが旋回させたグリギの棒によって弾き返された。
「ギャムレイ、こっちだ。こっちの荷車に、火矢が突き刺さってやがる」
「了解」と、ギャムレイもトゥーイの背後に忍び出る。
再び火矢が射かけられたが、それもあっさりと弾き返された。
(ふふん。こいつも、頼もしいこったぜ)
ギャムレイはトゥーイと歩調を合わせて、横移動した。
一台の荷車の荷台に、火矢が突き刺さっている。ギャムレイは胴衣の隠しから水筒を引っ張り出し、その中身を口に含んで、ぶすぶすと黒い煙をあげ始めている箇所に噴きかけた。
水筒の中に収められていたのは水ではなく、リスタの樹液である。リスタの樹木が密集する地には山火事も起きないという伝承が残されているほど、その樹液には炎を封じる性質が備わっているのだ。炎を扱うギャムレイは、常にこのリスタの樹液を懐に忍ばせていた。
(こいつを上手く使えば、また新しい奇術を生み出せそうだしな)
ともあれ、火矢は消し止められた。
追撃の火矢は、すべてトゥーイの棒術によって退けられている。草むらに落ちた分を消火するのは、後の話であった。
「矢が尽きるまで続けるつもりか? こっちはいっこうにかまわねえが、もっと面白え芸を見せてやりてえところだな!」
トゥーイが挑発すると、最後にもう一本の火矢が放たれてから、襲撃がやんだ。
「ふん……ずいぶん荒事に手馴れてやがるな。さては手前らも、旅芸人の皮をかぶったご同業か?」
ガサガサと茂みを鳴らして、盗賊どもが姿を現す。
声をあげたのは、あの貧相な小男であった。
「やっぱり手前か。俺たちに何の恨みがあるってんだよ?」
トゥーイの背中に隠れたギャムレイが問い質すと、小ぶりの刀剣をひっさげた小男は「ふふん」と鼻を鳴らした。
「俺の鼻が、疼いたんだよ。手前らは、俺の女をかくまってるんじゃねえかってな」
「へえ。そのちっぽけな鼻に、そんな立派な力が備わってるのかい。前世は、犬か何かだったんじゃねえか?」
「ぬかしやがれ」と、小男はにたにたと笑う。
それはまぎれもなくムロンパで出くわした小男であったが、身なりはすっかり見違えている。その矮躯にはやたらと豪奢な織物が巻きつけられており、首からは宝石や銀細工などをじゃらじゃらと下げていた。
とりわけ目を引くのは、胸もとにまで垂れた真紅の宝石である。
それはぎらぎらと炎のように赤く照り輝いており、こんな遠目でもギャムレイの胸に小さからぬ波紋を及ぼした。
「偉そうに三台も荷車を抱え込んでやがるが、旅芸人なんざそうそう群れ集うもんでもねえだろう。この人数を相手に、どうにかできると思ってやがるのか?」
そのように語る男の左右には、三名ずつの無法者が控えている。
ただそれは、ギャムレイの位置から見える範囲のことだ。普通はこちらを包囲するものであろうから、裏側には同じだけの人数が立ちはだかっているのかもしれなかった。
(少なくとも、十人以上はいそうだな。ま、なんとかなるだろうさ)
ダルドロたちはいまだに身をひそめているが、それは弓矢を警戒してのことだ。ギャムレイの見える範囲でも、二名の無法者が弓を構えていた。
「おい。手前はもっと、向こうにずれろ。俺が合図を送るから、左右から同時に矢を射かけてやれ」
小男の命令で、弓を構えたひとりが右側に移動していく。
すると、ギャムレイの背後からヒュッと口笛を鳴らす音が響きわたり――それと同時に、巨大な狼が移動中であった無法者の背中に躍りかかった。
突如として出現した狼の姿に、盗賊どもは悲鳴をあげる。
するとこちらでは、トゥーイがグリギの棒を旋回させながら、もうひとりの射手へと襲いかかった。
狼の姿に気を取られていた無法者は矢を放つこともできず、グリギの棒の一撃で昏倒する。
さらに手近な無法者へと向きなおりながら、トゥーイが声を張り上げた。
「弓は片付けたぞ! お前らも働きやがれ!」
「おうよ!」というダルドロの声が、背後から響きわたる。
しかし、誰も姿を現そうとしない。こちらはすでにギャムレイとトゥーイと狼が出張っているため、おそらくは逆側の陣に突っ込んだのだ。ギャムレイもまた、トゥーイを援護するためにおっとり刀で足を踏み出した。
「その片腕野郎を、先に始末しろ!」
小男が狼のもとから逃げながら命令をくだすと、無法者のひとりがギャムレイに向かって突進してくる。
しかしギャムレイは心を乱すことなく、右腕を振りかざした。
次の瞬間には、無法者の顔面が炎に包まれる。無法者は刀を取り落とし、絶叫をあげながら顔面の炎を振り払おうとした。
しかしギャムレイは引火性の高いペテの油と火種を放ったので、その油が燃え尽きるまで炎が消えることはない。うかつに手でぬぐえば、その手も燃えあがるだけのことだ。それはせいぜい皮一枚を焼くだけの火力であったが、人の動きをしばらく止めるには十分な細工であった。
こちらの騒ぎに気づいたトゥーイは、得たりと棒を振り回す。その一撃で、男は顔面に炎を宿したまま倒れ伏した。
そしてその間に別の無法者がトゥーイの背後に迫り寄っていたため、今度はそちらにペテの油と火種を飛ばす。
無法者の悲鳴で振り返ったトゥーイは、そちらにも強烈な一撃をくらわせた。
いっぽう狼は最初に襲った無法者の襟首をくわえこみ、その身を別なる無法者の胴体に叩きつける。それで、二名の無法者が沈黙した。
あっという間に、見える範囲で無事に立っているのは頭目の小男ひとりである。
ギャムレイとトゥーイと狼に三方を囲まれた小男は、剣を構えながらわなわなと震えた。
「こ、こんな馬鹿な……どうしてこんな……」
「うるせえよ。手前が売った喧嘩だろうが?」
トゥーイは小男に向かって、ぴたりとグリギの棒を構えた。
如何にも棒術の達人という風情であるが、そこには芸人としての華も備わっている。しかもトゥーイは全身を真っ青に染めあげているため、それも舞台のごとき彩りを添えていた。
「そら、俺が一対一で勝負してやるよ。一撃で終わらせてやるから、とっととかかってきやがれ」
「な、なめるんじゃねえ!」
小男は憤激の形相で剣を振りかぶったが、その刀身の長さはトゥーイの棒の半分にも及んでいない。結果、小男はこめかみのあたりに痛撃をくらって、声もなく倒れ伏すことになった。
「へん。大層な飾り物をぶらさげてるくせに、情けねえ野郎だぜ。さて、座長たちのほうは――」
「おう! こっちも片付いたぞ!」
笑顔のダルドロが、荷車の向こう側から姿を現す。その背後には、ペテルとシャントゥの無事な姿もあった。
「お疲れさん。さすがにこんな雑魚どもに後れを取ることはなかったな」
「わはははは! 俺なんぞは、けっきょく二人をぶちのめしただけだがな! あとは大鷲がひとりで、ペテルが五人だ!」
ダルドロの背後で、ペテルはおずおずと笑っている。
ギャムレイは「やるじゃねえか」と、ペテルの分厚い胸板を叩いた。
「い、いえ。みんな大鷲の姿に怯んでいたので、危ない目にあうこともありませんでした。みんな大鷲とシャントゥのおかげです」
「ほほほ。お前さんも、役目を果たせたようだの」
シャントゥが首筋を撫でると、狼は甘えるように鼻を鳴らした。
「で、こいつらはどうするんだ? とどめを刺すのは気が引けるし、かといって放っておくわけにもいかねえだろ?」
「そうだな! 面倒だが、ふんじばって衛兵に突き出すしかねえだろう! またギャムレイたちに、ムロンパまで運んでもらうとするか!」
「そうだな。こいつがぶら下げてるお宝が、余所でも悪さをした証になるだろうよ」
トゥーイが棒の先で小男の頭を小突くと、ダルドロは「うん?」とそちらに向きなおる。
そして、その目が驚愕に見開かれた。
「なんだよ、こりゃ……まるで炎を固めたような宝石じゃねえか」
ダルドロは小男のもとに膝をつき、その胸もとに輝く真紅の宝石にそっと指先を触れさせた。
「ああ。盗賊なんざには、過ぎた品だ。どこかの豪商でも襲ってぶん取ったんだろうぜ」
「しかし、こいつは……生半可な品じゃねえぞ」
トゥーイは、「おいおい」と声をあげた。ダルドロが銀の鎖を引き千切って、その宝石を手中にしてしまったのだ。
「何をしてんだよ、座長? 盗賊のお宝を横取りするなんざ、俺たちの流儀じゃねえだろう?」
「わ、わかってるよ。ただ、これは……本当にすげえ品じゃねえか」
ダルドロの声は、陶然としていた。
そのごつい手の中で、真紅の宝石は妖しく照り輝いている。子供の握り拳ほどもありそうな、巨大な宝石であるのだ。こうして間近から目にしても、それは燃えさかる炎そのもののような美しさであった。
「その秘石を……お返しください……」
と――どこからともなく、そんな声が響きわった。
トゥーイはすかさず棒を構え、狼はうなり声をあげる。ギャムレイもまた懐の火種を探りながら、周囲を見回した。
「誰だ! 出てこい!」
「わたしは……そちらの秘石の、正当なる所有者です……」
空き地を取り囲む茂みの向こう側で、ゆらりと黒い人影が蠢く。
それは真っ黒のフードつきマントを纏った、如何にもあやしげな老人であった。




