03 奮起
「この子の名前は、ピノだよ。ベラのやつが、あらかじめ名前を決めておいたのさ」
厳粛なる長老のごとき面持ちで、ノッドがそのように言い放った。
そのかたわらには草籠が置かれて、織物にくるまれた赤ん坊が眠っている。そこは彼女が生み落とされた荷台の内であり、あとはラミカだけがひっそりと控えていた。
残る座員は荷車の外に立ち並び、開け放しの扉ごしにノッドたちと相対している。
赤ん坊を育てる場所は清潔に保つ必要があるため、ギャムレイもダルドロも追い出されたのだ。そして、別の荷車で森まで移動して、ベラの亡骸を弔ったのちのことであった。
ベラは、魂を返してしまったのだ。
しかし、死産と思われた赤ん坊が、その代わりに息を吹き返した。それでノッドがあらためて、混乱の場を取り仕切り始めたのだった。
「こうして新たな肉体に生まれ変わったら、名前をあらためる決まりなんだとさ。まったくあいつは最期まで、外連の塊みたいな女だったねぇ」
ノッドは皺くちゃの顔を歪めて、皮肉っぽい表情をこしらえた。
「ま、生まれ変わりだの何だのっていう与太話はどうでもいいさ。何にせよ、このピノは赤ん坊なんだから、赤ん坊として育てるしかない。だけどひとつ、でかい問題があるんだよ。このままだと、この子は十日で飢え死にしちまうのさ」
「な、なんだって? そいつは、どういうこったよ?」
トゥーイが慌てふためいて声をあげると、ノッドはそちらをじろりとにらみつけた。
「今、それを説明するんだよ。言うまでもなく、赤ん坊にはお乳が必要なんだけどね。ベラはくたばっちまったし、あたしやラミカにそんな気のきいたもんは出せやしない。そうすると、クルグの実を頼るしかないのさ。ほら、いつだったかの村落で分けてもらった、あの木の実だよ」
「あ、ああ。あいつを煮込めば、赤ん坊の滋養になる煮汁が取れるって話だったよな」
「そう。だけど、あんなひなびた村落じゃ、十粒の実しか分けてもらうことができなかった。こいつはひと粒で一日分だから、十日しかもたないってことさ。だからそれまでの間に、なんとしてでもクルグの実を調達しないといけないんだよ」
「そ、そうか。まあ、あと二日もありゃあ人里に出られるだろうから……」
「いや。クルグの実ってのは、そんな簡単に手に入るもんじゃないんだよ。この前の村落の連中だって、さんざん渋った上で十粒しか差し出さなかったんだからね。こんな調子じゃ、いつかは絶対にこの子を飢えさせることになっちまうだろうさ」
ノッドの目に、ぎらりと火のような輝きが灯された。
「こうなったら、どこかでかい領地にでも出向くしかない。領地がでかければでかいほど、クルグの実もどっさり出回ってるはずだからね」
「い、いや、だけどそれは……」
「わかってるよ。座長、あとはあんたの仕事だ。夜の風は赤ん坊に悪いから、もうその扉を閉めておくれ」
ダルドロは「おうよ」と気安く応じて、荷台の扉を閉める。
そして、毛むくじゃらの分厚い肩をすくめた。
「死んじまったベラの代わりに、ノッドが気を立ててやがるな。まったく、険呑な話だぜ」
「ほほ。赤ん坊を守るのは、母としての本能だからの。赤ん坊のためには、心強い限りよ」
シャントゥはのんびり笑いながら地べたに座り込み、黒猿の子を胸もとに抱え込んだ。
「それで、どうするのだ? 残念ながら、わしの芸を立派な領地で見せるのは難しかろうな」
「ああ。狼やら大鷲やらを連れ込むだけで、衛兵どもに取り囲まれちまうだろう。こうなったら、お前らを頼るしかねえだろうな」
と、ダルドロの目がギャムレイとペテルの姿を見比べた。
「ここから三日ばかりも北に向かえば、ムロンパの領地に行き当たる。あそこは貴族のいない自治領区だが、そこそこ賑わってるはずだ。そのムロンパで芸を見せて、銅貨を稼いで、買えるだけのクルグの実を買い集めてきやがれ」
「お、俺たち二人でですか?」
無言のギャムレイに代わって、ペテルが惑乱した声をあげた。
「おうよ。なんなら、ライラノスも連れていくか? しかし、こいつの星読みでどれだけ稼げるかは、知れたもんじゃねえからな。それなら、二人のほうが身軽で動きやすいだろう」
「な、なんで俺たちだけなんです? 赤ん坊を守るのは、シャントゥと獣たちで十分でしょう?」
「俺たちは、でかい領地に出向けねえ身なんだよ」
ダルドロはもしゃもしゃの顎鬚をまさぐりながら、そう言った。
「ま、こまかい話は置いておくとして、俺とトゥーイとラミカは出向くことができねえ。ノッドは赤ん坊の世話があるし、シャントゥとライラノスはさっき言った通りだ。だから、お前らを頼るしかねえんだよ」
「そ、そんな……」と、ペテルは目を泳がせる。
しかしギャムレイは、早々に覚悟を固めていた。
「わかった。俺の炎の奇術だって、でかい領地で披露できるかわからねえけど……俺たちしか動けねえってんなら、やるしかねえだろう」
「おう。どうせ出発は夜が明けてからだからな。とりあえず晩餐を片付けて、存分に英気を養ってくれや」
晩餐の支度のさなかで赤ん坊が生まれたため、まだ誰も何も口にしていなかったのだ。地面に下ろされていた鉄鍋が再び焚火にかけられると、トゥーイが肩を落としながらギャムレイのほうに近づいてきた。
「俺たちのせいで、世話をかけちまうな。赤ん坊のために、なんとか踏ん張ってくれ」
「で、でも、どうしてトゥーイたちはでかい領地に出向けないんです?」
ペテルが慌てて声をあげたので、ギャムレイが答えることにした。
「そんなもん、聞くだけ野暮だろうよ。仲間の素性を詮索しないってのが、俺たちの流儀だろ?」
「……お前は、最初から察してたみたいだな」
「ああ。俺も詮索しかけたら、ベラの姐さんににらまれちまったもんでね」
ベラの面影に思いを馳せながら、ギャムレイはそう言った。
「ま、俺だって前世ではどんな悪さをしてたかもわからねえんだ。もし俺が衛兵にでもとっ捕まっちまったら、ペテルだけでも逃げのびてくれよ?」
「そ、そんな……」と、ペテルはますます悄然としてしまう。頼りないことこの上ないが、ギャムレイはこの相棒とともに力を尽くさなければならなかった。
(……あの赤ん坊を死なせたりしたら、それこそベラの姐さんに呪われちまうだろうさ)
そんな思いを噛みしめながら、ギャムレイは頭上を振り仰ぐ。
とっぷりと暮れた夜の空には、無数の星が瞬いており――そのいずれかは、新たに生まれたピノの星であるはずであった。
◇
翌日から、《ダルドロの一座》はひたすら北方に荷車を走らせた。
目指すは、ムロンパの領地である。そちらに到着するまでの三日間で、ギャムレイはどのようにして銅貨を稼ぐかさんざん頭を悩ませることになった。
「座長。俺はやっぱり、ライラノスも連れていくことにするよ。ペテルと二人きりじゃ格好がつかねえし、ライラノスの星読みだってそれなりの銅貨を稼げるかもしれねえしな」
「そうかい。お前さんの炎の奇術がありゃあ、いくらでも稼げそうなところだが……確かにでかい領地ほど、旅芸人に対する当たりはきついだろうからな。大火事を起こしかねない炎の奇術を禁じられても、おかしくはねえか」
「ああ。そのときは、ペテルとライラノスだけが頼りだ。でも、あいつらはまったく口が回らねえからな。せいぜい俺が賑やかして、客どもの財布の紐をゆるませてみせるよ」
「おう。それだけでも、お前さんは頼もしいこったよ。……ただし、くれぐれも衛兵どもには逆らうんじゃねえぞ? お前さんがたがとっ捕まっちまったら、こっちもいよいよ手詰まりだからな」
神妙な言葉を並べたてつつ、ダルドロの豪放な笑顔に変わりはない。それを心強く思いながら、ギャムレイは舞台の筋道を考え抜いた。
(きっとでかい領地だったら、旅芸人にも見慣れてるだろうからな。ペテルの力自慢だけじゃあ、いかにも頼りねえや。でも、見せ方ひとつでどう転ぶかわからねえし……くそ、俺やライラノスがトトスを操れたら、いつもみたいに見せ場を作れるってのにな)
そうしてギャムレイが苦悩している間も、別の荷車ではピノが面倒を見られている。ギャムレイたちは日に何度か顔を拝むことしかできなかったが、今のところは健やかに育っているようであった。
ただし、母親のベラが小さかったためか、ピノも驚くほどに小さい。
ギャムレイは生まれたての赤子など見た覚えもなかったが、これが普通の大きさでないことは察することができる。ピノは同じ人間とは思えないほど小さくて、あまりにか弱く見えてならなかった。
それにギャムレイは、いまだにピノの泣き声というものを聞いたことがない。
これもギャムレイにとっては未知なる話であったが、赤子というのはしょっちゅう泣くものなのではないだろうか。ギャムレイが草籠を覗き込むとき、ピノは安らかに眠っているか静かに天井を見上げているかのどちらかであった。
そしてピノは、驚くほど可愛らしい姿をしている。
生まれたてでふやけていた肌がぴんと張り詰めると、その顔はもうベラに生き写しであったのだ。このまま育てばベラとそっくりの娘になることは、容易に想像がついた。
これは本当にベラの生まれ変わりなのではないかと、ギャムレイはそんな思いにとらわれることがある。
しかし、ギャムレイがそこで思い悩むことはなかった。ノッドの言う通り、ピノがベラの生まれ変わりであろうとそうでなかろうと、無力な赤子であることに変わりはないのだ。ギャムレイたちにできるのは、亡きベラに代わってピノを立派に育てあげることだけであった。
そして他の座員たちも、思いはひとつであるのだろう。
ピノはこれから異形の存在に取り囲まれて生きることになるわけだが、ただひとつ、愛情にだけは不足しないはずであった。
◇
そうしてついに、荷車を走らせてから三日目のことである。
間もなく中天という頃合いで、三台の荷車は動きを止めた。
こちらが通ってきたのは雑木林を突っ切る道なき道であるが、それが東西にのびる立派な街道に行き当たった格好だ。ギャムレイとともに荷台を降りたダルドロは、ぎょろりとした目でその街道を見渡した。
「普段だったら東に進んで、辺境の奥深くにもぐりこむ。だが、目当てのムロンパはこの街道を西に進んで半日足らずの距離だ。今から向かえば、夕刻の前には到着できるだろうよ」
「わかった。座長たちは、どうするんだ?」
「俺たちは、ここで腰を据える。ムロンパに近づけば近づくほど、辺境警備の部隊とかちあう危険が跳ねあがっちまうからな」
ダルドロは黄色い乱杭歯を剥き出しにしながら、ギャムレイの背中をどやしつけた。
「こっからは、お前さんが遊撃部隊の頭目だ。世話をかけるがよろしく頼むぜ、ギャムレイ」
「ああ。クルグの実をどっさり抱えて戻ってくるよ。期待して待っててくれ」
ダルドロはひとつうなずき、シャントゥが手綱を預かった荷車のほうに近づいていく。
いっぽうギャムレイは、こちらの御者台に陣取っているペテルに笑いかけた。
「それじゃあ、あらためて出発だ。頼むぜ、ペテル」
「は、はい。どうかよろしくお願いします」
ペテルは相変わらず気弱げな面持ちであったが、その目には覚悟の光が灯されている。どんなに気弱でも、ベラとピノを思う気持ちに変わりはないのだ。また、ペテルはギャムレイよりも長きにわたって、ベラと親交を深めてきた立場であった。
(この三人の中では、俺が一番の新参なんだもんな。新入りらしく、めいっぱい働かせていただくさ)
そうしてギャムレイが荷台に乗り込むと、ペテルが手綱を握る荷車は立派な街道を西に向かうべく踏み入った。
その先には、いったいどのような運命が待ち受けているのか――ライラノスに仲間の行く末を見通すことを禁じているギャムレイたちには、知るすべもなかったのだった。




